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text:k_konjaku:k_konjaku7-25

今昔物語集

巻7第25話 震旦絳州僧徹誦法花経臨終現瑞相語 第廿五

今昔、震旦の絳州に、唐の高宗の代に、一人の僧有けり。名をば僧徹と云ふ。幼少にして出家して、心に慈悲深くして、専に仏法を修行す。亦、人を哀ぶ事限無し。

而るに、孫山の西の阿(をか)に堂を造る。其の所、樹木多く茂て盛り也。僧徹が栖(すみか)と為るに、皆堪へたり。

而る間、僧徹、栖より出でて、遊行するに、其の山の間に、一の土の穴を見る。其の内に、一人の癩病の者有り。瘡(かさ)身に満て、臭き事限無し。更に近付くべからず。

而るに、此の病人、僧徹が過るを見て、呼て、食を乞ふ。僧徹、此れを哀むで、穴より呼び出て、食を与へて、病人に語て云く、「汝を我が栖に将行て、養はむと思ふ。何(いか)に」と。病人、此れを聞て、喜ぶ事限無し。

然れば、僧徹、此の病人を本の寺に将行て、忽に土の穴を造て、病人を居へて、衣食を与へて養ふ。亦、法花経を教へて、読誦せしむ。病人、文字を識る事無く、心鈍くして、習ひ難しと云へども、僧徹、心を至して文々句々に教ふる事、力を費やして、更に怠らず。

然れば、病人、既に法花経を習ひ得る事、半部に成ぬ。其の時に、病人、夢に人来て、「我れに此の経を教ふ。我れ、自ら悟て、五・六の巻を読誦す」と思ふ程に、夢悟ぬ。我が身を見れば、瘡、皆愈たり。「此れ、偏に法花経の威力也」と信じて、実に奇異に貴く思ふ。其の後、皆一部を読畢ぬるに、鬚・眉、皆本の如く生ぬ。

其の後は、病人、自から人の病を療する人と成て、僧徹に随て有り。然れば、僧徹、此の人を以て、世に病有る人の許に遣て、祈り療ぜさするに、必ず其の験(しるし)有り。然れば、此の人、昔は身の病を患へき、今は人の病を愈(いやし)ぬ。

亦、此の僧徹が寺の辺に、水無くして、常に遠く、山の下に下て汲む。然れば、纔に一度の食物を備ふ許也。而る程に、忽に地に陥たる所有て、泉、涌き出たり。其の後は、此の所に水乏き事無し。

其の時に、房の裕仁と云人有り。秦州の刺史と有り。此の泉の出たる故を以て、此の僧徹が寺を改て、「陥泉寺」と付たり。

亦、僧徹、専らに善事を勧るを以て、常の務とす。遠く近き人、崇め敬ふ事父母の如し。

而る間、永徽二年と云ふ年の正月に、僧徹、弟子等に告て云く、「自からは既に死なむとす」と云て、衣服を直(ただし)くして、縄床に端坐して、目を閉て動かず。其の時に、天晴れたりと云へども、花降る事、雪の雨(ふ)るが如し。香しき匂ひ、室の内に薫じて消えず。亦、其の辺、二里許に樹の葉の上に皆白き色出来たり。軽き事、粉の如し。三日に常の色に尚(なほ)りぬ。

亦、僧徹が身冷て三年、猶端(ただ)しく坐せる事、生たりし時の如し。亦、臭き香無く、身壊るる事無し。只、目の中より涙出たる許也。

此の事、僧徹が弟子等、及び、州の人の語るを聞て、語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku7-25.txt · 最終更新: 2016/12/29 14:11 by Satoshi Nakagawa