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text:k_konjaku:k_konjaku4-11 [2016/08/01 13:23] – 作成 Satoshi Nakagawatext:k_konjaku:k_konjaku4-11 [2016/08/02 00:32] (現在) – [巻4第11話 天竺羅漢比丘値山人打子語 第十一] Satoshi Nakagawa
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 羅漢、此れを見て、山人に問て云く、「汝ぢ、何の故有て、此の幼童を打て哭かしむるぞ。亦、此の幼童は汝が何ぞ」と。山人、答て云く、「此れは己れが子に侍り。而るに、声問明((底本頭注「声問明諸本声明ニ作ル」))□□と云ふ文を教ふるに、え読取(おぼえとら)ねば、其れに依て、打て教ふる也」と。 羅漢、此れを見て、山人に問て云く、「汝ぢ、何の故有て、此の幼童を打て哭かしむるぞ。亦、此の幼童は汝が何ぞ」と。山人、答て云く、「此れは己れが子に侍り。而るに、声問明((底本頭注「声問明諸本声明ニ作ル」))□□と云ふ文を教ふるに、え読取(おぼえとら)ねば、其れに依て、打て教ふる也」と。
  
-其の時に、羅漢咲ふ。山人、「何ぞ咲ふ」と問へば、羅漢の云く、「汝ぢ、前生の事を知らずして、児を打つ也。此の教ふる所の文は、此の児の、昔、山人と有りし時、造れる所の文也。其れに、此の如く文を造て、世弘むる事は、只今は賢き様なれども、後の世には、露許も益を得る事無ければ、かかる愚痴の身と成て、前世の事をも知らで、自ら作れる所の文をも読取らざる也。猶、仏法の方の事は、当時は指(させ)る事無き様なれども、末の世には、過にし方の事共を只今見る様に思え、今来らむずる事共をも兼て知る事なれば、必ず仏法を習ふべき也。亦、汝に昔の事共、語て聞せむ。善く聴て持つべし。+其の時に、羅漢咲ふ。山人、「何ぞ咲ふ」と問へば、羅漢の云く、「汝ぢ、前生の事を知らずして、児を打つ也。此の教ふる所の文は、此の児の、昔、山人と有りし時、造れる所の文也。其れに、此の如く文を造て、世弘むる事は、只今は賢き様なれども、後の世には、露許も益を得る事無ければ、かかる愚痴の身と成て、前世の事をも知らで、自ら作れる所の文をも読取らざる也。猶、仏法の方の事は、当時は指(させ)る事無き様なれども、末の世には、過にし方の事共を只今見る様に思え、今来らむずる事共をも兼て知る事なれば、必ず仏法を習ふべき也。亦、汝に昔の事共、語て聞せむ。善く聴て持つべし。
  
 昔、南海の浜を、旅人共、多く具して行くに、浜辺に、枯たる大なる樹、一本立り。此の人共、風の寒さに堪へずして、此の樹も本に宿しぬ。火を焼きて、皆並び居て、夜を曙(あか)す。而るに、此の樹のうつろの上に、五百の蝙蝠住めり。此の火の煙に熏(ふすべら)れて、皆、『去なむ』と思ふ程に、暁方に成る程に、此の商人の中に一人有て、阿毗達磨と云ふ法門を読む。此の蝙蝠等、煙に熏られて堪へ難けれども、此の法門を誦するを聞くが貴さに、念じて、皆木のうつぼに付て居り。火の勢、高く燃え上がりぬれば、痛く炮(やか)れて皆死ぬ。一として生きたる蝙蝠無し。 昔、南海の浜を、旅人共、多く具して行くに、浜辺に、枯たる大なる樹、一本立り。此の人共、風の寒さに堪へずして、此の樹も本に宿しぬ。火を焼きて、皆並び居て、夜を曙(あか)す。而るに、此の樹のうつろの上に、五百の蝙蝠住めり。此の火の煙に熏(ふすべら)れて、皆、『去なむ』と思ふ程に、暁方に成る程に、此の商人の中に一人有て、阿毗達磨と云ふ法門を読む。此の蝙蝠等、煙に熏られて堪へ難けれども、此の法門を誦するを聞くが貴さに、念じて、皆木のうつぼに付て居り。火の勢、高く燃え上がりぬれば、痛く炮(やか)れて皆死ぬ。一として生きたる蝙蝠無し。
text/k_konjaku/k_konjaku4-11.txt · 最終更新: 2016/08/02 00:32 by Satoshi Nakagawa