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text:k_konjaku:k_konjaku24-23 [2014/09/01 15:38] – 作成 Satoshi Nakagawatext:k_konjaku:k_konjaku24-23 [2019/12/18 22:06] (現在) – [巻24第23話 源博雅朝臣行会坂盲許語 第廿三] Satoshi Nakagawa
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 +今昔物語集
 ====== 巻24第23話 源博雅朝臣行会坂盲許語 第廿三 ====== ====== 巻24第23話 源博雅朝臣行会坂盲許語 第廿三 ======
  
-今昔、源博雅朝臣と云ふ人有けり。延喜の御子の兵部卿の親王と申す人の子也。万の事、止事無かりける中にも、管絃の道になむ極たりける。琵琶をも微妙に弾けり。笛をも艶(えもいは)ず吹けり。+今昔、源博雅朝臣と云ふ人有けり。延喜の御子((醍醐天皇))の兵部卿の親王((克明親王))と申す人の子也。万の事、止事無かりける中にも、管絃の道になむ極たりける。琵琶をも微妙に弾けり。笛をも艶(えもいは)ず吹けり。
  
-此の人、村上の御時に、□□の殿上人にて有ける。其の時に、会坂の関((逢坂の関))に一人の盲、庵を造て住けり。名をば蝉丸とぞ云ける。此れは敦実と申ける式部卿の宮の雑色にてなむ有ける。其の宮は宇多法皇の御子にて、管絃の道に極(いみじか)りける人也。年来、琵琶を弾給けるを常に聞て、蝉丸、琵琶をなむ微妙に弾く。+此の人、村上((村上天皇))の御時に、□□の殿上人にて有ける。其の時に、会坂の関((逢坂の関))に一人の盲、庵を造て住けり。名をば蝉丸とぞ云ける。此れは敦実((敦実親王))と申ける式部卿の宮の雑色にてなむ有ける。其の宮は宇多法皇((宇多天皇))の御子にて、管絃の道に極(いみじか)りける人也。年来、琵琶を弾給けるを常に聞て、蝉丸、琵琶をなむ微妙に弾く。
  
 而る間、此の博雅、此の道を強に好て求けるに、彼の会坂の関の盲、琵琶の上手なる由を聞て、極て聞ま欲(ほし)く思けれども、盲の家異様なれば行かずして、人を以て内々に蝉丸に云せける様、「何と思懸けぬ所には住ぞ。京に来ても住かし」と。盲、此れを聞て、其の答へをば為ずして云く 而る間、此の博雅、此の道を強に好て求けるに、彼の会坂の関の盲、琵琶の上手なる由を聞て、極て聞ま欲(ほし)く思けれども、盲の家異様なれば行かずして、人を以て内々に蝉丸に云せける様、「何と思懸けぬ所には住ぞ。京に来ても住かし」と。盲、此れを聞て、其の答へをば為ずして云く
text/k_konjaku/k_konjaku24-23.txt · 最終更新: 2019/12/18 22:06 by Satoshi Nakagawa