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text:k_konjaku:k_konjaku22-7 [2014/05/04 14:24] – 作成 Satoshi Nakagawatext:k_konjaku:k_konjaku22-7 [2017/10/18 02:28] (現在) – [巻22第7話 高藤内大臣語 第七] Satoshi Nakagawa
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 +今昔物語集
 ====== 巻22第7話 高藤内大臣語 第七 ====== ====== 巻22第7話 高藤内大臣語 第七 ======
  
-今昔、閑院の右の大臣と申す人御ましけり。名をば冬嗣となむ申ける。世の思え糸止事無して、身の才極て賢く御けれども、御年若くして失給ひにけり。+今昔、閑院の右の大臣と申す人御ましけり。名をば冬嗣((藤原冬嗣))となむ申ける。世の思え糸止事無して、身の才極て賢く御けれども、御年若くして失給ひにけり。
  
-其の御子数(あまた)御けり。兄をば長良の中納言と申けり。次をば良房の太政大臣と申けり。次をば良相の左大臣と申けり。次をば内舎人良門と申けり。昔は此く止事無き人も初官には内舎人にぞ成ける。+其の御子数(あまた)御けり。兄をば長良の中納言((藤原長良))と申けり。次をば良房の太政大臣((藤原良房))と申けり。次をば良相の左大臣((藤原良相))と申けり。次をば内舎人良門((藤原良門))と申けり。昔は此く止事無き人も初官には内舎人にぞ成ける。
  
-而るに其の良門の内舎人の御子に高藤と申す人御けり。幼く御ける時より鷹をなむ好み給ける。父の内舎人も鷹を好み給ひければ、此の君も伝へて好み給なるべし。+而るに其の良門の内舎人の御子に高藤((藤原高藤))と申す人御けり。幼く御ける時より鷹をなむ好み給ける。父の内舎人も鷹を好み給ひければ、此の君も伝へて好み給なるべし。
  
-而る間、年十五六歳許の程に、九月の比、此の君鷹狩に出給ひにけり。南山階と云ふ所の諸の山の程を仕ひ行(ある)き給けるに、申時許に俄に掻暗がりて、しぐれ((底本雨かんむりに衆。シグレとルビ))降りきに風吹き雷電霹靂しければ、共の者共も各(おのお)の馳散て行き分れて雨宿をせむと皆向たる方に行ぬ。+而る間、年十五六歳許の程に、九月の比、此の君鷹狩に出給ひにけり。南山階と云ふ所の諸の山の程を仕ひ行(ある)き給けるに、申時許に俄に掻暗がりて、しぐれ((底本雨かんむりに衆。シグレとルビ))降り、大きに風吹き雷電霹靂しければ、共の者共も各(おのお)の馳散て、「行き分れて雨宿をせむ向たる方に行ぬ。
  
-主の君は西の山辺に人の家の有けると見付て、馬を走せて行く。共の舎人の男、一人許なむ有ける。其の家に行着て見給へば、檜垣指廻したる家に、小さき唐ら門屋の有る内に、馬に乗乍ら馳入ぬ。板葺の寝殿の妻に、三間許の小廊の有るに馬を打入て下りぬ。馬は廊の妻の亙なる所に引入れて馬飼の男居り、主は板敷に尻を打懸て御す。其の程、風吹き雨降て雷電霹靂して恐しきまで荒(ある)れども、返すべき様無ければ、此くて御す+主の君は西の山辺に、「人の家の有けると見付て、馬を走せて行く。共の舎人の男、一人許なむ有ける。
  
-而る間、日も漸く暮ぬ。何せむと心細く恐しく思え給へるに家の後の方より、青鈍の狩衣袴着たる男の年卌余許なる出来て云く「此れは何人此ては御すぞ」と。君答て宣く「鷹を仕つ此(かか)る雨風に合て行くべき方も思はでの向たる方任せて走せつる程に、家の見(みえ)つれば喜び乍ら此に来たる也何(いか)せむずる」と。男云はく「雨降らむ程は此こそ御まさめ」と飼男居たる所に「此れは誰が御すぞ」と問へば、「然々の人の御ます也」と舎人の男答ふればの男此れを聞驚て、家の内入て家□□ひ火灯(とも)しなどし、暫許り有て出来て云く「賤の様に候ふ所なれども、此ては何でかさむ止むは内にこそ御さめ。亦御衣も痛く濡(ぬれ)させ御したり。炮干(あぶりほし)してこそ奉らめ。御馬草食せ候はむ。彼の後の方に引入れ候はむ」と申せば賤の下衆(げ)の家なども故々し可咲(をか)し+其の家行着給へ檜垣指廻したる家に小さき唐ら門屋に、馬に乍ら馳入ぬ板葺の寝殿の妻、三間許小廊有る馬を打入下りぬ。は廊の妻亙なる所に引入れ馬飼の男居り、主は板敷打懸て御の程、風吹き雨降て雷電霹靂して恐しきで荒(あ)ども、べき様無けくて御す
  
-ば檜籧篨(ひあじろ)を以天井(くみ)には籧篨屏風を立たり。浄気な高麗端の畳三四帖許敷たり苦しければ装束解寄臥給たるに、家主の男来て、「御狩衣指貫など炮干む」と云う取て入ぬ+而る間、日も漸く暮ぬ。「何にせむ」と、心細く恐しく思えて居給へるに、家の後の方より、青鈍の狩衣袴着たる男の、年卌余許なる出来て云く、「此は何人の此ては御すぞ」と。君、答て宣く、「鷹を仕つる間に、此(かか)る雨風に合、行べき方も思はで、只馬の向たる方に任せて走せつる程に、家の見()つれば、喜び乍ら此る也何(いか)せむず」と男の云はく、「雨の降らむ程は、此にこそ御まさめ」と、馬飼男の居たる寄て、「此れは誰が御すぞ」と問へば、「然々の人の御ます也」と、舎人の男答ふれば、家主の男此れを聞驚て、家の内に入て、家を□□ひ火灯(とも)しなどして、暫許り有て、出来て云く、「賤の様に候ふ所も、此ては何でか御さむ。雨の止む程は、内にこそ御さめ。亦、御衣も痛く濡(ぬれ)させ御ましたり。炮干(あぶりほし)などしてこそ奉らめ。御馬も草食せ候はむ。彼の後の方に引入れ候はむ」と申せば、賤の下衆(げす)の家なれども、故々しくし可咲(をか)し
  
-暫許有て、臥乍ら給へ、庇の方より遣戸開け、年十三四なる若き女の、薄色の衣一重、濃き袴着るが、扇を指隠て片手高坏取て出来たり。恥じらひて遠く喬(そば)((底本異体字。「呑」が「右」にってい))みて居たれば、「君此寄(こちよれ)」と宣ふ。和(やは)ら居ざり寄たるを見れば、頭つき細やかに、額つき髪懸り此様の者の子見えず。極めて美麗に見ゆ。高坏・折敷を居(すゑ)て、坏に箸を置持来たる也+檜籧篨(ひあじろ)天井(くみれ)にしり。廻は籧篨屏風たり。浄気なる高麗端の畳、三四帖許敷り。苦しければ、装束解て、寄臥給たるに、家主男来て、「御狩衣指貫など、炮干さむ」云うて、入ぬ
  
-前に置き入ぬ。其後手髪房やかに生ひ末膕(よぼろ)許は過りと見ゆ。亦即ち折敷物共来たり。幼き者なれば賢くも居ずして、置きて居ざり去(のき)て居たり。見ればやきごめ((底本、米偏に扁。「ヤキゴメとルビ。))をし小大根・鮑・干鳥・□□などを持参る也けり。終日(ひねもす)鷹仕ひ行き給て(こ)じ給ひにけるに、此く進(たてまつ)たれば、下衆許也とても何かはせむとて、皆食(たべ)りぬ。酒など進たれば其れも飲給ひ、夜深更(ふけ)ぬれば臥給ぬ+暫許有、臥乍ら見給へば、庇の方よ遣戸を開けて、年十三四なる若き女の、薄色の衣一重、濃き袴着るが、扇を指隠て片手高坏、出来たり。恥じらひて、遠く喬(そば)((底本異体字。「呑」が「右」))れば「君、此寄(こちよれ)」と宣ふ。和(やは)ら居ざるを見れば、頭つき細やかに、額つき髪懸り、此様の者の子見えず。極め美麗に見ゆ。高坏・折敷を居(すゑ)坏に箸を置持来たる也
  
-有つる者付て思え給ければ「独り寝るが恐しきに有つる人此有れ」と宣ひければ参たり。「此寄」と引寄抱て臥給ひぬ。近く寄たる気はひ外に見よは娥(みめ)よく労哀れに思え給ひければ、心の内にも実行く末までの事繰返て、長月の夜極て長きに露寝ずして、に契置てけ+前に置きて返り入ぬ。其後手髪房やかひ、末膕(よぼろ)許は過りと見ゆ。亦即ち折敷物共を居、持来たり。幼き者なば、賢くも居ずし、置きて、居ざ(のき)て居れば、ごめ((底本、米偏扁。「ヤキゴメ」とルビ。))をして、小大根・鮑・干鳥・□□などを持参たる也けり。終日(ひねす)鷹仕ひ行給て、極(こう)じ給ひけるに、此く進(たまつり)たれば「下衆の許也とても何かはせむ」とて、皆食(たべ)りぬ。酒など進たば、其れも飲給ひ、夜深更(ふ)ぬれば臥給ぬ
  
-様も極く気高き様なれば奇異(あさましく)思え契明「夜も曙(あ)ぬれば、起て出」とて帯(はき)給たりけ太刀を「此れを形見置たれ。祖心(おやごころ)くして男など合すとも、努々人見ゆるなせそ」とて、遣らず云ひ置出給ぬ。馬四五町許御ましける程にぞ共の者共は此彼(ここかしこ)より主を尋出来合たりける。奇異がり喜び合へりけり。+此のつる者心に付て思え給ひければ「独り寝たるが恐きに有つる人、此に来て有れ」と宣ひければ、参たり。「此寄れ」とて、引寄て、抱て臥ひぬ。近く寄たる気はひ、外見よりは娥(みめ)労た。哀れに思え給ひければ、若き心の内にも、行く末までのを繰返し契て、長月の夜長き露寝ずして、哀れに契置てけり。
  
-其よりぞして京の家に給たりける。父の内舎人もの君昨日鷹仕ひ出給ひ其のままに見え給はねば、「何なる事にか有らむ」と終夜(よすが)思明し、今朝は明るや遅きと人し立てて、尋に遣しふ程、此く返給ひたれば、返々す喜び、「幼からむは此様の行きは制すべからず也。我れが心任せて鷹仕ひ行きしを故父殿の制し給ざりしかば、も任せて遊ばするに、此る事の有れば、極て後目(ろめ)た無し今よは幼らむ程は此る行き速に止むべし」と有れば、鷹仕ふ事も止ぬ+有様も極く気高き様なれば奇異(あさまく)思え、契明して、「夜も曙(あけ)ぬれば、起て出」とて、帯(き)給たりける太刀を、「れを形見置たれ。祖心(おやごころ)浅くて男など合すとも努々人に見る事なせそ」とて、出ず云て出給ぬ。馬四五町許御ましける程に者共は此(ここか)より主を尋て出来合りける奇異がり、喜び合へりけ
  
-共に有者共も、彼の家を見ざしかば、其れを知人無し只馬飼男一所を知たりしが、其の後暇申して田舎へ行ければ、彼の家を知た人無き依て、君、彼のし女を恋しく割(わり)無くけれども人を遣すべ様も無。然れば月日過れども事弥増(まさり)て心にひけに、四五年にも成にけ+其よりぞ、具て京の家には返給たる。内舎も、此君、昨日鷹仕ひに出給ひしが、其のままに見え給はねば、「何ならむ」と、終夜(よもすがら)思ひ明して今朝明るや遅と人出立てて、尋に遣し給ふ程に、此く返給ひたれば、返々す喜びて、「幼からむ程は、此様の行は制すべからず也。我れが心に任せ鷹仕行きしを、故父の殿の制しはざりしかば、此も任せて遊ばするに、此る事の有れば、極て後目(うしろめ)た無し。今よりは、幼らむ程は此る行き速止むべし」と有れば、鷹仕ふ事も止ぬ
  
-而る間に、内舎年若くて墓無く失給ひにけり然れば此君は伯父殿原の御許に通ひつつなむ過給けるに君は形も美麗に心ばも微妙くありければ、伯父良房大臣「此れは止事かるべ者也」と見給て、万ず哀れに当り給ひけるに、此のの父も御さで、心細く思え給るままに、彼のし女の事のみ心に懸りて恋しく思給ひけれをも儲け給りける程に許を経ぬ+有し者共も家を見ざりしかば、其れを知るし。只、馬飼男一人所を知たり後、暇申して田舎ければ、家を知たる人無きに依て、君、彼のし女を、恋しく割(わり)無く思給ひけれども遣はすべき様無し。然れば月日過れども、恋き事、弥増(まさ)て心に懸て思ひ侘給ひける程に、四五にも成にけり
  
-而る間、共に有馬飼の男田舎よ上て参たりと聞きて馬飼を召出て疥しめ(いため)ふ様近く呼て宣「一とせ鷹狩の次雨宿したりし家は汝ぢ覚ゆや否や」と。男申さく、「思え候ふ」と。君、此れを聞て喜(うれ)し思ひへば「今日其行かむと思ふ。鷹仕ふ様てなむ行くべき。其の心を得て有べし」と宣て共に帯刀にて有ける者仕ひ給ひけるを具して阿弥陀の峰越ぬ。+而る間内舎人年若く墓無く失給ひにけ。然れば此の君、伯父の殿原の御許に通ひつつなむ過し給けるに、此の君は、形も美麗、心ばへも微妙くあければ、伯父良房大臣、「此れは止事無かるべ者也」万ず哀れ当り給ひける、此君の父も御さで、細く思え給ままに彼の見し女の事のみ心懸りて、恋し思え給ひければ妻をも儲け給はざりける程、六年許を経ぬ。
  
-彼の入る程なむ御たりける二月の中の十日程の事なれば前なる梅の花所々散て、鶯((底本異体字。貝二つの下に鳥))木末哀れく。遣水散落るるを見る極く哀れ也+而る間、彼の有し馬飼男、田舎より上て参たりと聞きて、馬飼を召出て、疥しめ(いたはらしめ)給ふ様て、近く呼て、宣はく、「一とせ、鷹狩の次に雨宿りしたりし家は、汝ぢ覚ゆや否や」と申さく「思え候ふ」と。君此れを聞きて、「喜(うれ)し」と思ひ給へば、「今日其行かむと思ふ。鷹仕ふ様てなむ行べき其の心を得て有るべし」と宣て、共に帯刀にて有け者、睦く仕ひ給ひけるを具して、阿弥陀の峰越御ぬ
  
-乗乍ら前に有し様に打て下ぬ。家主の男を呼び出せば、思ひ懸ず此く御たが喜さ、手迷(てまど)ひて出来たり。「有し人は有か」と問給へば「候ふ」と答ふ。喜び乍ら有し方に入て見れば、几帳喬に鉉(はた)隠れて居たり。寄て見れば、見し時よりも長(ね)び増りて、非ぬ者に微妙く見ゆ。「世には此る者あり」とまで見るに、其の傍に五六歳許なる女子艶(えなら)ぬ厳気(いつくしげ)なる居たり。「此れは誰ぞ」と問給へば女低((底本異体字。人偏弓一))(うつぶし)て泣くにや有らむと+彼の所に、日の入るなむ御たりける二月中の十日の程の事なれば、なる花、所々散て((底本異体字。貝二つの下))、木末に哀れに鳴。遣水散落て流るるをるに、極く哀れ也
  
-墓々しく答ふる事も無ければ心も得で父の男を呼ば、出来て前に平がり居たり。君の宣はく、此の誰ぞ」と。父答て云く、「せ御ましたりしに、其の後人の当たりに罷寄る事も候はず。本よりも幼く候し者なれば、当り(よす)る事も候はざりしに、御まし候ひし程よ懐妊し候て産て候ふになむ」と此れを聞くに哀れに悲く、枕上の方を見れば、太刀有り。然は「此く深き契も有けり」と思ふに、弥よ哀れ悲き事限無し。此の女子を見れば、我が形に似たる事露許も違はず其の夜は其留ぬ+馬に乗乍ら前に有し様に打入て下ぬ。家主の男を呼び出せば、思ひ懸ず此く御たるが喜さに、手迷(てまど)ひして出来たり。「有し人有か」と問給へば、「候ふ」答ふ。喜び乍ら有入て見れば、几帳、鉉(はた)隠れ居たり。て見れば、時よも長(ね)び増りて、非ぬ者に微妙く見ゆ。「世にはる者あり」とまで見るに、其の傍五六歳許なる女子の、艶(えなら)ぬ厳気(いつくげ)なる居たり此れは誰ぞ」と問給へば、女低((底本異体字人偏に弓一))(うつぶし)泣くや有らむと見ゆ
  
-明る朝に返り給とても、「今迎へに来し」と云ひ置き出ぬ家主何者にからむ尋ね問給ひければ、「其の郡の大領宮道弥益」となむ云ひける。此る賤の者の娘也と云とも、前世契深くこそ有らめと思給へて亦の日、筵張の車に下簾懸て、侍二人許具して御ぬ。車寄せ乗せ給。彼の姫君も乗給ひぬ。無下人の無からが悪け呼び出て乗せたれば、年四十余許なる女の乾(かはら)かなる形て、此様の者の妻と見えたり。練色の衣の強(こら)かなるを着て髪をばこめて居ざ乗ぬ。殿将御て□□ひ下し給ひて其の後は亦他の人の方見遣棲給ひける程、男子二人打次(うちつづ)き産てけり+墓々しく答る事無ければ心も得で、父の男を呼ば、出来、前に平がり居たり宣はく「此の児は誰ぞ」。父答云く、「一とせ御ましたりしに、其の後人当たりに罷寄事も候はず本より幼く候し者なれば当りに寄(よす)る事も候ざりしに御まし候ひし程より懐妊ふに」と。此を聞くに哀れに悲くて枕上の方れば、太刀有り。は、「此く深契も有け」と思ふ、弥よ哀れに悲き事限無。此の女子を見れば我が形似たる事、露許違は。此其の夜は其留ぬ
  
-て此の高藤止事無御ける人にて成上り給大納言まで成給ひぬ。彼の姫君をば宇多院位に御時に女御に奉り給ひつ。其の後、幾(いくばく)程を経ずして醍醐天皇をば産奉り+明る朝に返り給ふとも、「今迎へに来べし」と云ひ置きて出ぬ。家主の男、「何者にか有らむ」と思て、尋ね問給ひければ、「其の郡の大領宮道の弥益」となむ云ひける。「る賤娘也と云とも前世の契、深こそは有らめ」と思給へて、亦の日、筵張の車下簾懸、侍二人許具し。車寄せて乗せ給ふ。彼の姫君も乗給ひぬ。無下に人の無からむが悪ければ、母呼び出て乗せたれ、年四十余許なる女、乾(かはら)かなる形て、此様の者の妻と見えたり。練色の衣の強(こはら)かなを着て髪をばきこめて居ざ乗ぬ。殿に将御して□□ひ下し給ひて、其の後は亦他人の方に目も見遣ずしてひけ程に、男子二人打次(うちつづ)き産てけり
  
-男子二人は兄は大納言の右の大将にて名をば定国とぞ申ける。泉の大将と云ふ此れ也。弟は右大臣定方と申す。三条の右大臣と云ふ此れ也。祖父の大領は四位に叙して、修理の大夫になむ成されたりける。醍醐の天皇位に即せ給ひにければ、祖父の高藤の大納言は内大臣に成給ひにけり。+然て此の高藤の君、止事無く御ける人にて成上り給て大納言まで成給ひぬ。彼の姫君をば、宇多院((宇多天皇))の位に御しける時に、女御に奉り給ひつ。其の後、幾(いくばく)の程を経ずして醍醐天皇をば産奉り給へる也。 
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 +男子二人は兄は大納言の右の大将にて名をば定国((藤原定国))とぞ申ける。泉の大将と云ふ此れ也。弟は右大臣定方((藤原定方))と申す。三条の右大臣と云ふ此れ也。祖父の大領は四位に叙して、修理の大夫になむ成されたりける。醍醐の天皇位に即せ給ひにければ、祖父の高藤の大納言は内大臣に成給ひにけり。
  
 其の後、弥益が家をば寺に成して、今の勧修寺此れ也。向の東の山辺に其の妻堂を起たり。其の名をば大宅寺と云ふ。此の弥益が家の当をば哀れに睦じく思食けるにや有けむ、醍醐の天皇の陵、其の家の当に近し。 其の後、弥益が家をば寺に成して、今の勧修寺此れ也。向の東の山辺に其の妻堂を起たり。其の名をば大宅寺と云ふ。此の弥益が家の当をば哀れに睦じく思食けるにや有けむ、醍醐の天皇の陵、其の家の当に近し。
  
 此れを思ふに、墓無かりし鷹狩の雨宿に依て、此く微妙き事も有るは、此れ皆前生の契なりとなむ語り伝へたるとや。 此れを思ふに、墓無かりし鷹狩の雨宿に依て、此く微妙き事も有るは、此れ皆前生の契なりとなむ語り伝へたるとや。
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text/k_konjaku/k_konjaku22-7.1399181066.txt.gz · 最終更新: 2014/05/04 14:24 by Satoshi Nakagawa