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text:k_konjaku:k_konjaku1-5 [2016/04/05 02:18] – 作成 Satoshi Nakagawatext:k_konjaku:k_konjaku1-5 [2016/04/05 02:25] (現在) – [巻1第5話 悉達太子於山苦行語 第五] Satoshi Nakagawa
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 太子、此の事を聞給て思す様、「一百四年梵行を修して、得たる所の法此の如し。我れ、此れに勝たらむ位を求めむ」と思して、座より立て、仙人に別れ給ふ。二人の仙人、太子の去給ふを見て思はく、「太子の智恵、甚だ深くして量難し」と思て、掌を合せて送り奉る。 太子、此の事を聞給て思す様、「一百四年梵行を修して、得たる所の法此の如し。我れ、此れに勝たらむ位を求めむ」と思して、座より立て、仙人に別れ給ふ。二人の仙人、太子の去給ふを見て思はく、「太子の智恵、甚だ深くして量難し」と思て、掌を合せて送り奉る。
  
-太子、又、迦蘭仙の苦行の所に至り給ふ。憍陳如等の五人の栖也。其より尼連禅河の側に至給て、坐禅修習して苦行し給ふ。或日は一麻を食し、或日は一米を食し、或は一日乃至七日に一の麻米を食す。憍陳如等。又苦行を修し、太子を供養し奉て、其の側を離れず。太子、思す様、「我れ、苦行を修して、既に六年に満ぬ。未だ道を得ず。若し、此の苦行に身羸(つか)れて、命を亡じて、道を得ずば、諸の外道は、『餓て死たる』と云べし。然れば、只食を受て、道を成すべし」と思して、座より立て、尼連禅河に至り給ふ。水に入て、洗浴し給ふ。+太子、又、迦蘭仙の苦行の所に至り給ふ。憍陳如等の五人の栖也。其より尼連禅河の側に至給て、坐禅修習して苦行し給ふ。或日は一麻を食し、或日は一米を食し、或は一日乃至七日に一の麻米((糜(かゆ)))を食す。憍陳如等。又苦行を修し、太子を供養し奉て、其の側を離れず。太子、思す様、「我れ、苦行を修して、既に六年に満ぬ。未だ道を得ず。若し、此の苦行に身羸(つか)れて、命を亡じて、道を得ずば、諸の外道は、『餓て死たる』と云べし。然れば、只食を受て、道を成すべし」と思して、座より立て、尼連禅河に至り給ふ。水に入て、洗浴し給ふ。
  
 洗浴畢て、身羸れ瘠せ給て、陸に登得給はず。天神来て、樹の枝に乗せ奉て、登せ奉りつ。其の河に大なる樹有り。頞離那と云ふ。其の樹に神有り。柯倶婆と名づく。神、瓔珞荘厳せる臂を以て、太子を引迎へ奉る。太子、樹神の手を取て、河を渡給ぬ。太子、彼の麻米を食給ひ畢て、金の鉢を河の中に投入れて、菩提樹に向給ひぬ。 洗浴畢て、身羸れ瘠せ給て、陸に登得給はず。天神来て、樹の枝に乗せ奉て、登せ奉りつ。其の河に大なる樹有り。頞離那と云ふ。其の樹に神有り。柯倶婆と名づく。神、瓔珞荘厳せる臂を以て、太子を引迎へ奉る。太子、樹神の手を取て、河を渡給ぬ。太子、彼の麻米を食給ひ畢て、金の鉢を河の中に投入れて、菩提樹に向給ひぬ。
text/k_konjaku/k_konjaku1-5.txt · 最終更新: 2016/04/05 02:25 by Satoshi Nakagawa