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text:jojin:s_jojin2-21

成尋阿闍梨母集

二巻(21) 昔さりともと頼み聞こえさせしあたりも・・・

校訂本文

昔、「さりとも」と頼み聞こえさせしあたりも、忘れ給へれば、「わが心もなきか」と思ひつつ過ぎ侍るにも、

  かはとだに言はぬなりけり早くよりみなれ渡りてそぼちしかども

とぞ、時々独りごちて侍る。

阿闍梨(あざり)の知りおき給へりける所々、法師なるも、男なるも、おとづれつとしてとぶらふにも、「人はかくこそありけれ。わが身うたて、世にかひなくて」と思ひ知られつつ、

  うらうらにみるめばかりは見しかども石見潟(いはみがた)こそかひなかりけれ

  石見潟塩のやくとはうらみねどあまりありやと問ふ人ぞなき

受領(ずりやう)の中には、肥前の守1)・宮内卿の殿2)・治部卿殿3)など、常に問ひ給ふにかかりて、過ぐし侍るに、されば、昔見馴れ給へる人も、思さぬは、かひなきことに侍り。

今一人の頼もし人の、律師の御房4)、世にたぐひなき聖(ひじり)にて、こもり居給ひて、内の御修法ならぬことには出で給はで過ぐし給ふを、ありがたく思ひ聞こえて侍るなり。

今は阿弥陀仏を心にかけ奉りて、とく死にて、極楽に参らむことをのみ思ひ侍りてぞ、明け暮れ西を見やりつつ、明かし暮し侍る。

幼者(をさなもの)どもの、楓(かへで)を取り持て来たる、見れば、蝶の飛びかかりたるやうに花咲くものなりける。をかしう見えて、

  名にし負へば色かへでこそ頼まるれこてふに似たる花も咲きけり

おぼつかなくのみ、いとど隔てまさる心地し侍る。

翻刻

きはへるむかしさりともとたのみきこえ/s67r
させしあたりもわすれ給へれは我心も
なきかとおもひつつすき侍るにも
  かはとたにいはぬなりけりはやくより
  みなれわたりてそほちしかとも
とそ時々ひとりこちてはへるあさりのしり
おきたまへりける所々法師なるもおとこ
なるもおとつれつとしてとふらふにも人は
かくこそありけれ我身うたてよにかひな
くてと思しられつつ
  うらうらに見るめはかりはみしかとも
  いはみかたこそかひなかりけれ
  いはみかたしほのやくとはうらみねと
  あまりありやととふ人そなき/s67l
す両の中にはひ前の守くない卿の殿
ちふ卿殿なとつねにとひ給ふにかかりて
すくし侍るにされはむかし見なれ給へる
人もおほさぬはかひなきことにはへりいま人
りのたのもし人のりしの御房世にたく
ひなきひしりにてこもりゐ給ひて内
の御す法ならぬことにはいて給はてすくし
給ふをありかたくおもひきこえてはへる
なりいまは阿弥陀仏をこころにかけた
てまつりてとくしにてこくらくにまい
らむことをのみおもひはへりてそあけく
れにしをみやりつつあかしくらしは
へるをさな物とものかえてをとりもて/s68r
きたる見れはてふのとひかかりたるやう
に花さく物なりけるおかしうみえて
  なにしをへはいろかえてこそたのまるれ
  こてふににたるはなもさきけり
おほつかなくのみいととへたてまさる心
地しはへるつねは心地のあしくこのころ/s68l
1)
藤原定成
2)
源経長か
3)
源隆俊
4)
成尋阿闍梨母のもう一人の子
text/jojin/s_jojin2-21.txt · 最終更新: 2017/03/09 16:43 by Satoshi Nakagawa