text:jojin:s_jojin2-11
成尋阿闍梨母集
二巻(11) さるは身の思はずなるありさまになり侍りしより・・・
校訂本文
さるは、身の思はずなるありさまになり侍りしより、長らへてあるまじき心地のみして、春の梅の匂ひをかしく、桜の盛りに、花とうく1)の匂ひ見るに、目も霧り、めでたく思えながら、「立ち返り咲かむまでも、世にあらじかし」と思ひ、秋の檀(まゆみ)の紅葉(もみぢ)の、同じ梢(こずゑ)なれど、むらむらにいろいろなる、をかしけれど、「これにはまたや会はむ」とのみ思え過ぐしつるに、かく数知らず、多くの年を過して、いまはの世まで長らへて、世にたぐひなき目をも見侍る、あさましく、「いかなる月日出で来たるにか」とも、この折、知るべき人のあらばこそ、人も責め、阿弥陀仏ばかりこそは頼み参らするままに思へど、「いらへせさせ給はばこそは」と心のわびしきままに思ひわびて、律師(りし)2)の見え給ふに、愁へ聞こゆるに、「われもそのことを思ふなり。みづからのことし置いて、いま少し若きをと頼みし人の御心、かく世に似ざりける」とのみいらへ給ふ。
ただ、心一つにわびてのみぞ、この春さへ立ち返り給へる。なほ心憂く。
立ち返りなほ春になる歎きをば身をうぐひすの同じ枝(え)に鳴く
取り寄せても見まほしう。「これもこずゑにこそは」とのみ。
翻刻
といはるるさるはみのおもはすなる有さま になりはへりしよりなからへてある ましき心地のみして春の梅のにほ ひをかしく桜のさかりに花とう(本ニ本)くの にほひみるにめもきりめてたく/s50r
おほえなからたちかへりさかんまても よにあらしかしと思ひ秋のまゆみの もみちのおなしこすゑなれとむらむらに いろいろなるおかしけれとこれにはまた やあはむとのみおほえすくしつるに かくかすしらすおほくのとしをすく していまはのよまてなからへてよに たくひなきめおもみはへるあさまし くいかなるつき日いてきたるにかと もこのおりしるへき人のあらはこそ人/s50l
もせめ阿弥陀仏許こそはたのみまい らするままに思へといらへせさせ給はは こそはとこころのわひしきままに思ひ わひてりしの見え給ふにうれへきこ ゆるに我もそのことを思ふなりみつ からのことしおいていますこしわかき をとたのみし人の御こころかくよにに さりけるとのみいらへ給たたこころひと つにわひてのみそこの春さへたちかへ り給へる猶こころうく/s51r
たちかへり猶春になるなけきをは みをうくひすのおなしえになく とりよせても見まほしうこれもこす ゑにこそはとのみ三月つこもりになりて/s51l
text/jojin/s_jojin2-11.txt · 最終更新: 2017/02/26 13:16 by Satoshi Nakagawa