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text:jikkinsho:s_jikkinsho06-20 [2016/01/10 13:34] – 作成 Satoshi Nakagawatext:jikkinsho:s_jikkinsho06-20 [2020/04/17 18:15] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 ===== 校訂本文 ===== ===== 校訂本文 =====
  
-武則・公相といふ随身父子ありけり。「右近馬場の賭弓(のりゆみ)、悪(わろ)く射たり」とて、子を勘当して、晴(はれ)にて打ちけるに、逃ぐることもなくて打たれければ、見る人、「いかに逃げずして、かくは打たるるぞ」と問ひければ、「もし逃げ退かば、衰老の父、追はんとて、倒(たふ)れなむどしなば、きはめて不便(ふびん)なりぬべければ、かくのごとく、心のゆくかぎり打たるるなり」と申しければ、世の人、「いみじき孝子なり」とて、世のおぼえ、ことのほかなり。聖徳太子、用明((用明天皇))の杖にしたがはせ給ひけるを、思ひ入たりけるにや。+武則((秦武則))・公相((下野公相。武則とは親子ではない。))といふ随身父子ありけり。「右近馬場の賭弓(のりゆみ)、悪(わろ)く射たり」とて、子を勘当して、晴(はれ)にて打ちけるに、逃ぐることもなくて打たれければ、見る人、「いかに逃げずして、かくは打たるるぞ」と問ひければ、「もし逃げ退かば、衰老の父、追はんとて、倒(たふ)れなむどしなば、きはめて不便(ふびん)なりぬべければ、かくのごとく、心のゆくかぎり打たるるなり」と申しければ、世の人、「いみじき孝子なり」とて、世のおぼえ、ことのほかなり。聖徳太子、用明((用明天皇))の杖にしたがはせ給ひけるを、思ひ入たりけるにや。
  
-孔子、弟子に曽参といひけるは、父の怒りて打ちけるに、逃げずして打たれたりければ、孔子、聞き給ひて、「もし、打ち殺されなば、父の悪名をたてむこと、ゆゆしき不孝なり」といましめ給ひける。これも理(ことはり)なり。親の体に依るべきにや。+孔子、弟子に曽参といひけるは、父の怒りて打ちけるに、逃げずして打たれたりければ、孔子、聞き給ひて、「もし、打ち殺されなば、父の悪名をたてむこと、ゆゆしき不孝なり」といましめ給ひける。これも理(ことはり)なり。親の体に依るべきにや。
  
 そうじて、父母につかまつるべき道、くはしく『孝経』に見えたり。かの文に、二十二章を分け立てたる終の段をば、「喪親章」と名づけて、喪礼の儀式までしるせり。これを見るべし。なかにも聖教には、「孝養父母、奉事師長」をもて、往生のもととせり。 そうじて、父母につかまつるべき道、くはしく『孝経』に見えたり。かの文に、二十二章を分け立てたる終の段をば、「喪親章」と名づけて、喪礼の儀式までしるせり。これを見るべし。なかにも聖教には、「孝養父母、奉事師長」をもて、往生のもととせり。
  
-身体髪膚を父母に受けたる、生の始めなれば、恩徳の最高なること、父母にすぐべからず。およそ、人は、上には忠貞のまことをつくし、下には憐愍の思を深くし、父母・親類には孝行の心を宗(むね)とし、友には争はず、人を軽(かろ)しめ、仁義礼忠信の五常を乱さざる((「乱さざる」は、底本「不乱ら」。))を徳とすべし。+身体髪膚を父母に受けたる、生の始めなれば、恩徳の最高なること、父母にすぐべからず。およそ、人は、上には忠貞のまことをつくし、下には憐愍の思を深くし、父母・親類には孝行の心を宗(むね)とし、友には争はず、人を軽(かろ)しめ、仁義礼忠信の五常を乱さざる((「乱さざる」は、底本「不乱ら」。))を徳とすべし。
  
 ===== 翻刻 ===== ===== 翻刻 =====
text/jikkinsho/s_jikkinsho06-20.1452400470.txt.gz · 最終更新: 2016/01/10 13:34 by Satoshi Nakagawa