ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:jikkinsho:s_jikkinsho01-11

文書の過去の版を表示しています。


十訓抄 第一 人に恵を施すべき事

1の11 人の有様をもこれらにて心得べし・・・

校訂本文

人の有様をも、これらにて心得(こころう)べし。その振舞、心ばせ、優なるためし。

定子皇后は一条院の后なり。御父の中関白1)の御ために、御仏事を行はれけり。こと果てて出づるほどに、長月十日あまりのころなりければ、秋風身にしみて、御前の前栽に2)鳴く虫の声、弱りゆく気色なる折しも、斉信中将3)、蔵人頭にておはしけるが、「金谷に花酔地、花は春ごとに匂ひて主(あるじ)かへらず」と詠じたりければ、聞く人、涙を拭ひけり。后、ことにふれて情おはしけるに、いかばかりあはれに聞かせ給ひけむ。

この后のなやみ、重くならせ給ひけるころ、

  夜とともに契りしことを忘ずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき

と書きて、几帳の紐に結び付け給ひけるを、失せ給ひて、院、御覧じつけたりける。御心中、さこそ忍びがたく思えさせ給ひけめ。

翻刻

ヨク成ヌレハ、キキトカメサルニヤ、人ノ有様ヲモ是等
にて心うへし、其ふるまひ心はせ優なるためし
定子皇后は、一条院の后也御父の中関白の御ために御
仏事を被行けり事はてて出ほとに、長月十日あま
りの比なりけれは、秋風身にしみて御前の前栽みな
く虫の声よはりゆく気色なるおりしも斉信中/k33
将蔵人頭にておはしけるか金谷に花酔地花は春
ことに匂て主しかへらすと詠たりけれは、聞人涙を拭け
り、后ことにふれて情おはしけるに、いかはかり哀に聞
せ給けむ此后のなやみ重く成せ給ける比、
  よとともに契しことを忘すは、こひむなみたの色そゆかしき
と書てき丁のひもに結付給けるを、うせ給て院御覧
しつけたりける、御心中さこそ忍かたく覚させ給けめ、/k34
1)
藤原道隆
2)
底本「前栽み」。諸本により訂正。
3)
藤原斉信
text/jikkinsho/s_jikkinsho01-11.1440511695.txt.gz · 最終更新: 2015/08/25 23:08 by Satoshi Nakagawa