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text:hosshinju:h_hosshinju8-07
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text:hosshinju:h_hosshinju8-07 [2017/08/10 16:35] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa
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 +発心集
 +====== 第八第7話(95) 或る武士の母、子を怨み頓死の事 法勝寺の執行、頓死の事 末代といへども卑下すべからざる事 ======
 +
 +===== 校訂本文 =====
 +
 +近ごろ、一人の武者ありけり。おのが身は世にあひて、下れる母をなむ持ちたりける。もとより孝の心薄き上に、面(おもて)ぶせにさへ思ひ、継母(ままはは)をのみ重く思へりければ、世の常の親子の様に、むつびまみゆることもなし。かかれど、さすがに正(まさ)しき母なれば、形のごとくなる所をなん取らせたりける。
 +
 +かの母、その所を得て、かしこに行きて、湯なん浴みて居たりける間に、継母の、「よからず」と言ひけるによりて、母が所知を改め、たちまちに異人(ことひと)に取らせてけり。
 +
 +そのあたりの人、聞き驚きて、このよしを母に告げければ、「さらば、われにこそ告げられめ。さることのほかのことはあるものかは」とて信ぜず。かかるほどに、かの庄の沙汰の者申さく。下文を持(も)て来て、母に読み聞かせける時、あまりこときはまりて、とばかりものも言はず。「あきれたる様にて居たる」と見るほどに、気色(きしよく)のことの外に見ゆるを、あやしくて、引き動かすに、いふかひなき様なり。はや、居ながら息絶えたるなりけり。すなはち悪心の熾盛なるゆゑなるべし。
 +
 +さて、かの武者は、その思ひをやかうぶりたりけん。ほどなく亡び失せにけりとぞ。名はたしかなれど、当時(そのかみ)のことなれば、わざと書かず。
 +
 +また、近きころ、法勝寺の九重の塔、雷(いかづち)の火のために焼け侍りし時、かの寺の執行、これを見て、悲しみに耐へず、絶え入りて、その日の中に命終ることは、みな人あまねく知れり。これ、法滅の菩提心の強く発(おこ)れるなるべし。かかれば、今の世までも、善悪につけて心の発ること、かくのごとし。
 +
 +いかが、仏道を願はんに至りて、「世の末」と卑下の心を起すべし。しかのみならず、男女に愛着して命を捨て、勝他名聞のために肝胆を砕く様なんどは、末代とて熾盛ならずやは。見えたることのたよりには、奕打(ばくちうち)といふ者どもの集りて、双六打つを聞けば、夜も寝(い)ねず、昼も立ち去ることもなく、七・八日など片時(へんし)も休まず、その間の身の苦しさ、心を砕く様、たとへて言はん方なし。されど、貪欲勝他の心の切なる身力(しんりき)にて、おのづから心を養ふ方もあるにや。目もつぶれず、腰もすくまず。限りあれば、かの大施太子の如意珠給ひけむ志もかくばかりこそはとぞ見ゆる。
 +
 +また、功を積みて、不思議をあらはせることを言はば、田楽・猿楽なんどの中に、刀玉(かたなたま)といひて、危ふきわざする者あり。これを見れば、刀六つを三人して取る。宗(むね)と上手なる者をば中に立てて、前に向へる者一人、後ろの方に一人、おのおの刀三つを持ちて、前後より「われ劣らじ」と早く投げかくるを、中にて、前より投ぐるを取りて後ろへ投げやり、後ろより投ぐるをば前ざまへ投げやる。すべて、六つの刀、なほとかくさばきやる様、凡夫のしわざとも思えず。人伝(ひとづ)てに聞かば、信ずべくもあらぬことなり。
 +
 +これは、また不思議にあらず。ひとへに功を積めるがいたすところなり。もし、功徳の為に
 +、かく功を積み勇猛精進の心を発(おこ)さんには、現身に三昧をも得つべし。うつつに仏菩薩をも見奉るべし。よしなきすさびには、かく心を入るれど、善根といへば、ゆるく懈怠(けだい)なるなり。
 +
 +中にも、阿弥陀仏の悲願は、なほざりなることかは((「ことかは」底本「コトハ」。諸本により訂正))。諸仏の捨て給へる五逆の悪人をも、「助けん」と誓ひ給へれば、昔も今も、智あるも智なきも、貴賤・道俗・老少・男女を選ばず、往生するためし、耳に満ち、眼(まなこ)にさへぎれり((「さへぎれり」は底本「さへぎり」。諸本により訂正))。聞けども信ぜず、見れども貴まず、ただん、「末世のわれらか分にあらず」とのみもて離れて、あるいは宿善とも言ひ、あるいは天魔のしわざなんど言ひつつ、行者の励みと仏の願力とをば、われも信ぜず、人も退心を発(おこ)さするは、いと心憂きことなり。
 +
 +かく、賢く尊きかと思へば、前(さき)の世の業報定まりて、「得がたき福祐をばいかにせん」と、火水に入るごとく仏神に祈り騒ぎ、昼夜に走(わし)り求む。詮(せん)は、ただ深く無明の酒にたぶらかされて、正念を失なへるなるべし。
 +
 +===== 翻刻 =====
 +
 +    或武士母怨子頓死事 法勝寺執行頓死事 雖末代不可卑下事
 +  近来ヒトリノ武者アリケリ。ヲノカ身ハ世ニアヒテ下
 +  レル母ヲナム持タリケル。本ヨリ孝ノ心ウスキウヘ
 +  ニ面ブセニサヘ思ヒ。ママ母ヲノミ重ク思ヘリケレバ世
 +  ノ常ノ親子ノ様ニムツビマミユル事モナシ。カカレド
 +  サスガニ正キ母ナレバ形ノゴトクナル所ヲナントラセ
 +  タリケル。彼母ソノ所ヲ得テ。彼ニ行テユナンアミテ
 +  居タリケル間ニ。ママ母ノヨカラスト云ケルニヨリテ。/n15l
 +
 +  母カ所知ヲアラタメ忽ニコト人ニトラセテケリ。其ア
 +  タリノ人キキ驚テ此由ヲ母ニ告ケレバ。サラバ我ニ
 +  コソツケラレメ。サル殊ノ外ノ事ハアル物カハトテ信
 +  セス。カカル程ニ彼庄ノ沙汰ノモノ申サク下文ヲモテ
 +  来テ母ニヨミキカセケル時。アマリ事キハマリテト
 +  バカリ物モイハズアキレタル様ニテ居タルト見ル程
 +  ニ気色ノコトノ外ニ見ユルヲアヤシクテ引動ニイフ
 +  甲斐ナキ様ナリ。ハヤ居ナガラ息タエタルナリケリ。
 +  即悪心ノ熾盛ナル故ナルベシ。サテ彼武者ハ其思ヒ
 +  ヲヤカウフリタリケン。程ナクホロビウセニケリトゾ/n16r
 +
 +  名ハタシカナレド当時ノ事ナレバ態カカズ又近キ比
 +  法勝寺ノ九重ノ塔イカヅチノ火ノ為ニヤケ侍シ時
 +  カノ寺ノ執行コレヲ見テ悲ニタエズ絶入テ其日ノ
 +  中ニ命オハル事ハ皆人アマネクシレリ。是法滅ノ
 +  菩提心ノツヨク発ルナルベシ。カカレハ今ノ世マデモ
 +  善悪ニ付テ心ノオコル事カクノゴトシ。イカカ仏道ヲ
 +  ネカハンニ至テ世ノ末ト卑下ノ心ヲ可起シカノミ
 +  ナラズ。男女ニ愛著シテ命ヲ捨。勝他名聞ノ為ニ
 +  肝胆ヲクダク様ナンドハ末代トテ熾盛ナラスヤ
 +  ハ。見ヘタル事ノタヨリニハ奕打トイフ者共ノ集テ/n16l
 +
 +  双六ウツヲ聞ケバ夜モイネズ昼モ立去事モナク。
 +  七八日ナド片時モヤスマズ其間ノ身ノクルシサ心ヲ
 +  クタク様タトヘテイハン方ナシ。サレド貪欲勝他ノ
 +  心ノ切ナル身力ニテ自ラ心ヲヤシナフ方モアルニヤ。
 +  目モツブレズ腰モスクマズ。限アレバ彼ノ大施太子ノ如
 +  意珠給ヒケム志モカク計コソハトゾ見ユル。又功ヲ
 +  ツミテ不思議ヲアラハセル事ヲイハハ。田楽猿楽
 +  ナンドノ中ニ。刀玉トイヒテ。アヤウキワザスル者アリ。
 +  是ヲ見レバ刀六ヲ三人シテトル。宗ト上手ナル者
 +  ヲハ中ニタテテ前ニムカヘル者一人後ノ方ニ一人各/n17r
 +
 +  カタナ三ヲ持テ前後ヨリ我オトラジト早ナゲ
 +  カクルヲ中ニテ前ヨリ投ルヲ取テウシロヘナゲヤリ。
 +  後ヨリナクルヲバ前サマヘナゲヤル。惣テ六ノ刀猶
 +  トカクサバキヤル様凡夫ノシワザトモ覚ヘズ。人伝
 +  ニキカバ信ズベクモアラヌ事ナリ。是ハ又不思議ニ
 +  アラズ。偏ニ功ヲツメルカ至ス所也。モシ功徳ノ為ニ
 +  カク功ヲツミ勇猛精進ノ心ヲオコサンニハ現身ニ
 +  三昧ヲモ得ツベシ。ウツツニ仏菩薩ヲモ見奉ルベシ。
 +  ヨシナキスサヒニハ。カク心ヲ入レト善根トイヘバユ
 +  ルク懈怠ナルナリ。中ニモ阿弥陀仏ノ悲願ハナヲザ/n17l
 +
 +  リナル事ハ諸仏ノ捨給ヘル五逆ノ悪人ヲモタスケント
 +  チカヒ給ヘレバ。昔モ今モ智アルモ智ナキモ貴賤道
 +  俗老少男女ヲヱラバズ往生スルタメシ耳ニ満眼ニサヘ
 +  ギリ。聞トモ信セズ。見ドモタウトマス。只末世ノ我等
 +  カ分ニ非ストノミモテハナレテ。或ハ宿善トモイヒ或ハ
 +  天魔ノシワザナンドイヒツツ。行者ノハゲミト仏ノ願
 +  力トヲバ我モ信ゼス人モ退心ヲ発サスルハ。イト心ウ
 +  キ事ナリ。カク賢ク尊キカト思ヘバ。サキノ世ノ業
 +  報サダマリテ得カタキ福祐ヲハイカニセント火水ニ
 +  入ゴトク仏神ニイノリサハギ。昼夜ニ走リ求ムセンハ只/n18r
 +
 +  フカク無明ノ酒ニタブラカサレテ正念ヲウシナヘルナ
 +  ルベシ/n18l
  
text/hosshinju/h_hosshinju8-07.txt · 最終更新: 2017/08/10 16:35 by Satoshi Nakagawa