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発心集

第八第5話(93) 盲者、関東下向の事

校訂本文

東(あづま)の方、修行し侍りし時、さやの中山のふもとに、ことのさきと申す社1)の前に、六十ばかりなる琵琶法師の、小法師一人具したるが過ぎ行くを、呼びとどめて、乾飯(かれいひ)など食はせて、「いづくへ行くぞ」と、「世の常の人だに、はるかなる旅に思ひ立つことはたどたどしきを、いと心苦しくこそ」ととぶらへば、うなだれて、「鎌倉の方へまかり侍るなり。人は頼む所ありて、『訴へをも申さん』、もしは、『御かへりみを蒙(かうむ)らん』など思ひてこそ、思ひ立つことなれど、おのれは、何ごとをかは申さん。ことはりかうぶるべき愁へも持ち侍らず。さらに期することなし。ただ、世の過ぎがたさに、『もし、一日も過ごすばかりのこともや、かまへらる』とにて、あられぬ有様にてまかれば、道の間の苦しみ、行き着きて宿るほどの煩(わづら)ひ、ただ思ししやれ」と言ふ。2)

「いかが、ことにふれて苦しからん」と、いとほしき中にも、ある智者の極楽へ詣でんことを申すとて、無智の者の生まれんことは、たとへば、盲(めしひ)の道を行かんがごとし。聖教の心を知れる人は、目ある人の詣でんがごとくなり」と申し侍りしことを、きと思ひ出でて、わが身の上の様に思ゆれば、ねんごろにとぶらふ。「いと不便(ふびん)のことかな。さて、かなふまじくや思ゆる」と言ふ。

まことに、思ひ立つもおほけなきことなれど、何ごとも志によるわざなれば、などかは励まし侍らざらん。「世の常の人の、乗馬・下人・粮料のごとく、豊かに持ちたる、その志無きは、いまだ近江国をだに見ぬ、数も知らず。かく、たつたつしく、安からぬ身なれども、思ひ立ちぬれば、さすがにまからるるなり」となむ語り侍りし。

これを聞くにつけても、われらが盲(めしひ)のかたばかり、かれがたぐひにて、しかも心ざしは薄きことの、とにかくに取所なく、心憂く思え侍りし。

いささか頼もしきことの侍るは、ある記にいはく、「中ごろ、唐(もろこし)に朝夕念仏申す僧ありけり。その居所近く、鸚鵡といふ鳥のねぐらしめて棲むありけり。すなはち、念仏の声を聞き習ひて、かの鳥のくせなれば、口まねをしつつ、常に『阿弥陀仏』と鳴く。人、こぞりて、これをあはれみ讃むるほどに、この鳥、おのづから死ぬ。寺の僧ども、これを取りて掘り埋(うづ)みたりけり。後、その所より、蓮花一本(ひともと)生ひたり。驚きながら掘りて見れば、かの鸚鵡の舌を根としてなむ生ひ出でたりける」。

かの鳥、口まねのいみじきにもあらず、悲願のねんごろなるゆゑに、心に信ずとしもなけれども、口に唱へつれば、利益のむなしからぬにこそは侍らめ。かかれば3)、われらが散心念仏とても、愚かなるべきにあらず。

翻刻

  盲者関東下向事
東ノ方修行シ侍シ時。サヤノ中山ノフモトニ。コトノサキト申
社ノ前ニ六十計ナル琵琶法師ノ小法師ヒトリ具シタル
カ過行ヲヨビトトメテ。カレヰヰナドクハセテイヅクヘ行ゾ/n11r
トヨノ常ノ人ダニ遥ナル旅ニ思立事ハタドタドシキヲ。イ
ト心クルシクコソト訪ヘバ。ウナタレテ鎌倉ノ方ヘマカリ侍
ナリ。人ハ憑ム所アリテ。ウタヘヲモ申サン若ハ御カヘリミヲ
蒙ランナド思テコソ。思タツ事ナレド。ヲノレハ何事ヲカ
ハ申サン。コトハリカウフルベキ愁ヘモモチ侍ラズ。更ニ期ス
ル事ナシ。只世ノスキガタサニ若一日モスゴスバカリノ事
モヤ。カマヘラルトニテ。アラレヌ有様ニテマカレバ。道ノ間
ノクルシミ。行ツキテヤドル程ノ煩タダオボシヤレド。イ
カカ事ニ触テクルシカラント。イトヲシキ中ニモ或智者
ノ極楽ヘ詣ン事ヲ申トテ。無智ノ者ノムマレン事ハ/n11l
タトヘバ盲ノ道ヲユカンガ如シ。聖教ノ心ヲシレル人ハ目
アル人ノ詣ンガコトクナリト申侍シ。事ヲキト思ヒ
出テ。我身ノ上ノ様ニ思ユレハ懇ニ訪フ。イトフヒン
ノ事カナ扨カナフマジクヤ覚ルト云フ。誠ニ思立モ
オホケナキ事ナレド。何事モ志ニヨル態ナレバ。ナ
ドカハハゲマシ侍ラザラン。ヨノツネノ人ノ乗馬下人
粮料ノゴトク。ユタカニモチタル其志ナキハイマダ近
江国ヲダニ見ヌカズモシラズ。カクタツタツシク安カ
ラヌ身ナレドモ。思ヒ立ヌレバサスガニマカラルルナリ
トナム語リ侍シ。是ヲキクニツケテモ。我等カメシ/n12r
イノカタバカリカレガ類ニテ而モ心サシハウスキ事ノ
兎ニ角ニ取所ナク心ウク覚ヘ侍シ。聊タノモシキ事ノ
侍ハ或記云中比モロコシニ朝夕念仏申僧アリケリ。
其居所チカク鸚鵡トイフ鳥ノネクラシメテ棲アリ
ケリ。則念仏ノ声ヲ聞ナラヒテ彼鳥ノクセナレバ。口マネ
ヲシツツ常ニ阿弥陀仏トナク。人コゾリテ是ヲアハレミ
ホムル程ニ。此鳥ヲノツカラ死ヌ。寺ノ僧ドモ是ヲトリ
テホリ埋ミタリケリ。後ソノ所ヨリ蓮花一本生タリ。驚
ナガラ掘テ見レバ彼鸚鵡ノ舌ヲ根トシテナム生出
タリケル。彼鳥口マネノイミジキニモ非ズ悲願ノ懇ナル/n12l
ユヘニ心ニ信ズトシモナケレドモ。口ニ唱ヘツレバ利益ノム
ナシカラヌニコソハ侍ラメ。カレハ我等ガ散心念仏ト
テモ愚ナルベキニアラズ/n13r
1)
事任神社(ことのままじんじゃ)か。
2)
「と言ふ」は底本「ド」。諸本により訂正
3)
底本「カレハ」。諸本により訂正。
text/hosshinju/h_hosshinju8-05.txt · 最終更新: 2017/08/08 22:56 by Satoshi Nakagawa
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