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text:hosshinju:h_hosshinju8-04
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text:hosshinju:h_hosshinju8-04 [2017/08/08 15:31] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa
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 +発心集
 +====== 第八第4話(92) 橘逸勢の女子、配所に至る事 ======
 +
 +===== 校訂本文 =====
 +
 +昔、橘逸勢((通常「たちばなのはやなり」だが、標題の振り仮名に「タチバナノイツセイ」とある。))といふ人、ことありて東(あづま)の方へ流されける時、そのゆかりの人、歎き悲しむたぐひ多かりける中に、情けなき女子の、ことにとりわきさりがたく思ふありけり。主(ぬし)も、かく憂きことにあへるをばさるものにて、これに別れんことを思へり。
 +
 +むすめは、言はぬことを憚り忘れ、恥を捨てて、悲しみをたれて、もろともに行かんとす。おほやけ使(つかひ)、限りなくいとほしく思ゆれど、流さるる人の習ひにて、ことの聞こえも便なかるべければ、かたくいさめて免さず。
 +
 +せめて思ひ余りけるにや、その宿を尋ねつつ、駅(むまや)づたひに夜々(よるよる)なん行きける。身に堪へたらん人だに、知らぬ野山を越えて、夜な夜な尋ね行かんことは、あるべきことにもあらず。まして、女の身なれば、おぼろけにて至り着くべくもあらねど、仏天やあはれと思しけん、からくして、つひにかしこに至り着きにけり。
 +
 +遠江国の中とか、半ばなる((底本「遠江国中ト。カナガハナル」))道のほどに、形は人にもあらず、影のごとく痩せ衰へて、濡れしほたれたる様にて、尋ね来たりける。待ちつけて見けん親の心、いかばかり思えけん。
 +
 +さるほどに、行き着きていくほども経ず、父、重き病を受けたりければ、このむすめ、一人添ひて、残り居て、終日終夜(ひめもすよもすがら)行ひ勤むるさま、さらに身命を惜しまず。これを見聞く人、涙を流し、あはれみ悲まぬはなし。後には、あまねく国の中こぞりて、貴みあへり。わざと詣でつつ、縁を結ぶたぐひ、多くなんありける。
 +
 +さて、ほど経て後、国の守に告げて、「御門にことのよしを申し、許されを蒙りて、父のかばねを都へ持て上りて、孝養の終りとせん」と請ひければ、そのありさまを聞こし召して、驚きて、またことなく免されけり。悦びて、すなはち、かの骨を首に懸け、帰り上りにけり。
 +
 +昔も今も、まことに心ざし深くなりぬることは、必ず遂ぐるなるべし。
 +
 +===== 翻刻 =====
 +
 +    橘逸勢之女子至配所事
 +  昔橘逸勢ト云人事アリテ東ノ方ヘナガサレケル時/n9l
 +
 +  其ユカリノ人歎キ悲ム類オホカリケル中ニ無情女子ノ
 +  殊ニトリワキサリガタク思フアリケリ。主モカクウキ
 +  事ニアヘルヲバ。サルモノニテ是ニ別ン事ヲ思ヘリ。娘ハ
 +  云ヌ事ヲ憚ワスレ恥ヲ捨テ悲ミヲタレテ諸共ニ行
 +  ントス。ヲホヤケ使カキリナクイト惜ク覚ユレド。ナガ
 +  サルル人ノ習ニテ事ノ聞ヘモ便ナカルベケレバ。堅クイ
 +  サメテ免サズ。セメテ思アマリケルニヤ其宿ヲ尋ツツ
 +  駅ヅタヒニ夜々ナン行ケル。身ニタヘタラン人ダニ。シ
 +  ラヌ野山ヲ越テ夜ナ夜ナ尋ユカン事ハアルベキ事ニ
 +  モアラズ。増テ女ノ身ナレバオボロケニテ至ツクベクモ/n10r
 +
 +  アラネド。仏天ヤ哀トオボシケン。カラクシテ終
 +  ニカシコニ至リツキニケリ。遠江国中ト。カナガハ
 +  ナル道ノホドニ形ハ人ニモアラズ影ノコトク痩オ
 +  トロヘテヌレシホタレタル様ニテ尋来リケル。待
 +  ツケテ見ケン親ノ心イカバカリ覚ヘケン。去程ニ行
 +  着テイク程モ経ズ父重キ病ヲウケタリケレバ
 +  此ムスメ独ソヒテ残リヰテ終日終夜オコナヒ勤ル
 +  サマ更ニ身命ヲ惜マズ。是ヲ見キク人涙ヲ流シア
 +  ハレミ悲マヌハナシ。後ニハアマネク国ノ中コゾリテ。タ
 +  ウトミアヘリ。態ト詣ツツ縁ヲムスブ類多ナンアリ/n10l
 +
 +  ケル。サテ程ヘテ後国ノ守ニツゲテ帝ニ事ノ由ヲ申
 +  ユルサレヲ蒙テ父ノカバネヲ都ヘモテノボリテ。孝
 +  養ノ終リトセント請ケレバ。其アリサマヲ聞召テ驚
 +  テ又コトナク免サレケリ。悦テ則彼骨ヲクビニカケ
 +  帰ノホリニケリ。昔モ今モ実ニ心ザシ深ク成ヌルコ
 +  トハ必ズトクルナルベシ/n11r
  
text/hosshinju/h_hosshinju8-04.txt · 最終更新: 2017/08/08 15:31 by Satoshi Nakagawa