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text:hosshinju:h_hosshinju6-09

発心集

第六第9話(71) 宝日上人、和歌を詠じて行と為る事 并、蓮如、讃州崇徳院の御所に参る事

校訂本文

中ごろ、宝日といふ聖ありけり。「何ごとをか勤むる」と、人、問ひければ、「三時の行ひつかうまつる」と言ふ。重ねて、「いづれの行法(きやうぼふ)ぞ」と問ふに、答へて言ふやう、「暁には

  明けぬなり賀茂の河原に千鳥啼く今日も空しく暮れんとすらん

日中には

  今日もまた午(むま)の貝こそ吹きにけれ羊の歩み近付きぬらん

暮れには

  山里の夕暮れの鐘の声ごとに今日も暮れぬと聞くぞ悲しき

この三首の歌を、おのおの時をたがへず詠じて、日々に過ぎ行くことを観じ侍るなり」とぞ言ひける。

いとめづらしき行なれど、人の心の進む方(かた)さまざまなれば、勤めもまた一筋ならず。潤州の曇融聖は橋を渡して浄土の業とし、蒲州1)の明康法師は、船に棹さして往生をとげたり。

いはんや、和歌はよくことわりを極むる道なれば、これによせて、心を澄まし、世の常なきを観ぜんわざども、便りありぬべし。

かの恵心の僧都2)は、「和歌は綺語のあやまり」とて、詠み給はざりけるを、朝朗(あさぼらけ)に、はるばると湖3)を詠(なが)め給ひける時、霞わたれる波の上に、船のかよひけるを見て、「何にたとへん朝ぼらけ」といふ歌を思ひ出だして、をりふし心にそみ、ものあはれに思されけるより、「聖教と和歌とは、はやく一つなりけり」とて、その後なむ、さるべき折々、必ず詠じ給ひける。

また、近く蓮如といひし聖は、定子皇后宮4)の御歌、

  夜もすがら契りしことを忘ずは恋ひん涙の色ぞゆかしき

と侍るは、隠れ給ひける時、御門に御覧ぜさせむためと思しくて、帳の帷(かたびら)の紐に結び給ひたりける歌なり、これを思ひ出だして、限りなくあはれに思えければ、心にそみつつ、この歌を詠じては、泣く泣く尊勝陀羅尼を読みてぞ、後世をとぶらふ。また、詠(なが)めては、先のごとく誦す。かくしつつ、夜もすがら、まどろまずして、冬の夜を明かしたりける。いみじかりける数寄者なりかし。

大弐資通5)は琵琶の上手なり。信明6)、大納言経信7)の師なり。かの人、さらに尋常(よのつね)の後世の勤めをせず、ただ、日ごとに持仏堂に入りて、数を取らせつつ琵琶の曲を弾きてぞ、極楽に廻向しける。

勤めは功(こう)と志(こころざし)とによる業(わざ)なれば、必ずしも、これを、「あだなり」と思ふべきにあらず。中にも、数寄といふは、人の交はりを好まず、身のしづめるをも愁へず、花の咲き散るをあはれみ、月の出で入るを思ふにつけて、常に心を澄まして、世の濁りにしまぬをこととすれば、おのづから生滅のことはりも顕(あらは)れ、名利の余執尽きぬべし。これ、出離解脱の門出に侍りべし。

保元のころ、世に事ありて、崇徳院、讃岐にうつろはせ給ひにける後、旅の御住居(すまひ)、あはれにかたじけなきこと、言ひ尽くすべからず。国の兵ども、朝夕御所をうち囲みて、たやすく人も参りかよはぬ由、聞こゆれば、かの蓮如といふ数寄聖、もとより情(なさけ)深き心にて、いとかなしく思えけれど、人遣ふこともなかりけり。ただ、妹なる人の候ひけるゆかりに、御あたりのことをも聞き、また、昔陪従(ばいじう)にて公事(くじ)を勤めける時、御神楽などのついでに、まれに見参に入るばかりなれば、さしも深く歎くべきにしもあらねど、わざとただ一人、みづから笈かけて、讃岐へ下りけり。

行き着きて見れば、御所のありさま、目も当てられず。伝へ聞きつるよりも怪(け)なり。されど、せちに「内へ入らん」と思ふ心ざし深くて、「さるべきひまやある」と終日(ひめもす)に伺ひけれど、守り奉る者、いとはしたなくとがめて、人隠るべくもあらず。

むなしく日も暮れにければ、月の明かかりけるに、笛を吹きてなむ、御所を廻り歩(あり)きける。

「いかさまにせん」と思ふほどに、やや暁に及びて、黒ばみたる水干ばかりうちかけたる人、内より出でたり。いと嬉しくて、この便りに、御所の中に入りて見れば、草茂り、露深くて、ことさら人の音もせず。いみじうものかなしきに、とばかり立ちわづらひて、板の端に書きて、「見参に入れよ」とて、ありつる人になむ取らせける。

  朝倉や木の丸殿に入りながら君に知られで帰るかなしさ

この男(をのこ)、ほどもなく帰り来て、「『これを奉れ』と侍る」と言ふを、取りて、月の影に見れば、

  朝倉やただいたづらに帰すにも釣りする蜑(あま)の音をのみぞ泣く

とぞ書かれたりける。

いとかしこく思えて、これを笈の中に入れつつ、泣く泣く帰り上りにけり。

翻刻

  宝日上人詠和歌為行事 并蓮如参讃州崇徳院御所事
中比宝日ト云聖アリケリ。何事ヲカツトムルト人問
ケレバ。三時ノオコナヒツカフマツルト云フ。重テイヅレノ
行法ソト問ニ答ヘテ云ヤウ暁ニハ
  明ヌナリ賀茂ノ河原ニ千鳥啼クケフモ空ク暮ントスラン/n22r
日中ニハ
  今日モ又ムマノ貝コソ吹ニケレヒツジノ歩チカヅキヌラン
暮ニハ
  山里ノ夕暮レノ鐘ノ声ゴトニ今日モクレヌト聞ソ悲シキ
此三首ノ歌ヲヲノヲノ時ヲタガヘス詠ジテ日過行事ヲ
観ジ侍ナリトゾイヒケル。イトメヅラシキ行ナレド人ノ
心ノススムカタ様々ナレバ勤モ又一筋ナラズ。潤州ノ曇
融聖ハ橋ヲワタシテ浄土ノ業トシ蒲州ノ明康法師
ハ船ニ棹サシテ往生ヲトゲタリ。況ヤ和歌ハ能コトハリ
ヲキハムル道ナレバ是ニヨセテ心ヲスマシ世ノ常ナキヲ/n22l
観ゼンワザドモ便アリヌベシ。彼恵心ノ僧都ハ和歌ハ
綺語ノアヤマリトテ読給ハザリケルヲ朝朗ニハルハル
ト湖ヲ詠給ケル時。カスミワタレル浪ノ上ニ船ノカヨ
ヒケルヲ見テ何ニタトエン朝ボラケト云歌ヲ思出
テ。オリフシ心ニソミ物アハレニオボサレケルヨリ聖教
ト和歌トハ。ハヤク一ナリケリトテ其後ナムサルベ
キ折々カナラズ詠ジ給ヒケル。又チカク蓮如ト
イヒシ聖ハ亭子皇后宮ノ御歌
  夜モスカラ契シ事ヲ忘スハ恋ヒン涙ノ色ゾ床キ
ト侍ハ。カクレ給ヒケル時御門ニ御覧ゼサセムタメト/n23r
オボシクテ帳ノカタビラノヒモニ結ヒ給タリケル歌ナリ。
是ヲ思出テ限ナク哀レニ覚ヘケレバ心ニソミツツ此歌
ヲ詠ジテハ泣々尊勝陀羅尼ヲヨミテゾ後世ヲトフ
ラフ。又詠テハサキノゴトク誦ス。カクシツツヨモスガラ
マドロマズシテ冬ノ夜ヲ明シタリケル。イミジカリ
ケルスキ物ナリカシ。大弐資通ハ琵琶ノ上手ナリ
信明大納言経信ノ師ナリ彼人サラニ尋常ノ後世
ノツトメヲセズ。只日ゴトニ持仏堂ニ入テ数ヲトラセ
ツツ琵琶ノ曲ヲヒキテゾ極楽ニ廻向シケル。ツトメハ
功ト志トニヨル業ナレバ必スシモ是ヲアダナリト思フ/n23l
ベキニアラズ。中ニモ数奇ト云ハ人ノ交リヲコノマズ身ノ
シヅメルヲモ愁ヘズ。花ノサキチルヲ哀レミ。月ノ出入ヲ
思ニ付テ常ニ心ヲスマシテ世ノ濁リニシマヌヲ事ト
スレバ。ヲノヅカラ生滅ノコトハリモ顕レ名利ノ余執ツキ
ヌベシ。コレ出離解脱ノ門出ニ侍ベシ。保元ノ比世ニ事ア
リテ崇徳院讃岐ニウツロハセ給ヒニケル後。旅ノ御
スマヰ哀ニカタジケナキ事云尽スベカラズ。国ノ兵
ドモ朝夕御所ヲ打カコミテ輙ク人モ参リカヨハヌ
由キコユレハ。彼蓮如ト云スキ聖モトヨリ情フカキ
心ニテ最カナシク覚ヘケレド。人遣事モナカリケリ。/n24r
只妹ナル人ノ候ケルユカリニ。御アタリノ事ヲモキキ。
又昔陪従ニテ公事ヲツトメケル時御神楽ナドノ次ニ
希ニ見参ニ入バカリナレバ。サシモ深ク歎クベキニシモ
アラネド。態ト只一人身ヅカラ。ヲヰカケテ讃岐ヘ下
ケリ。行著テ見レバ御所ノアリサマ目モアテラレズ。伝
ヘ聞ツルヨリモ恠ナリ。サレドセチニ内ヘ入ント思フ心ザシ
深クテ。サルベキヒマヤ有ト終日ニウカカヒケレド。守リ
奉ル者最ハシタナクトガメテ人カクルベクモアラズ。
ムナシク日モ暮ニケレハ。月ノアカカリケルニ笛ヲ吹テ
ナム御所ヲ廻リアリキケル。如何サマニセント思フホ/n24l
トニ。ヤヤ暁ニ及テクロバミタル水干バカリ打カケタル人
内ヨリ出タリ。イト嬉クテ此タヨリニ御所ノ中ニ入テ
見レバ草茂リ露フカクテ殊更人ノ音モセズ。イミ
ジウ物カナシキニ。トバカリ立ワヅラヒテ。板ノ端ニ
書テ見参ニ入ヨトテ在ツル人ニナムトラセケル
  朝倉ヤ木ノ丸殿ニ入ナガラ君ニ知ラレデ帰ルカナシサ
此ヲノコ程モナク帰来テ是ヲ奉レト侍トイフヲ取
テ月ノカケニ見レバ
  朝倉ヤ只イタヅラニ帰スニモ釣スル蜑ノ音ヲノミゾ泣
トゾカカレタリケル。イトカシコク覚ヘテ是ヲ笈ノ中ニ/n25r
入ツツ泣々カヘリノボリニケリ/n25l
1)
「蒲」底本異体字。草冠に輔。
2)
源信
3)
琵琶湖
4)
一条天皇皇后。「定子」は底本「亭子」。後の和歌により定子に改めた。
5)
源資通
6)
源信明。資通の師
7)
源経信
text/hosshinju/h_hosshinju6-09.txt · 最終更新: 2017/06/28 23:12 by Satoshi Nakagawa