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text:hosshinju:h_hosshinju6-07

発心集

第六第7話(69) 永秀法師、数寄の事

校訂本文

八幡別当1)頼清が遠流(ゑんる)にて、永秀法師といふものありけ り。家、貧しくて、心、すけりける。夜昼、笛を吹より外のことなし。かしがましさに耐へぬ隣家(となりいへ)2)、やうやう立ち去りて、後には人もなくなりにけれど、さらにいたまず。さこそ貧しけれど、落ちぶれたるふるまひなどはせざりければ、さすがに、人いやしむべきことなし。

頼清、聞きあはれみて、使やりて、「などかは、何ごとものたまはせぬ。かやうに侍れば、さらぬ人だに、ことにふれて、さのみこそ申し承ることにて侍れ。うとく思すべからず。便りあらんことは、憚らずのたまはせよ」と言はせたりければ、「返す返す、かしこまり侍り。年ごろも、『申さばや』と思ひながら、身のあやしさに、かつは恐れ、かつは憚りて、まかり過ぎ侍るなり。深く望み申すべきこと侍り。すみやかに参りて申し侍るべし」と言ふ。

「何事にか、よしなき情をかけて、うるさきことや言ひかけられん」と思へど、「かの身のほどには、いかばかりのことかあらん」と思ひあなづりて過ごすほどに、あるかた夕暮れに出で来たれり。すなはち出で合ひて、「何ごとに」など言ふ。「浅からぬ所望侍るを、思ひ給へてまかり過ぎ侍りしほどに、一日仰せを悦びて、さうなく参りて侍る」と言ふ。「疑ひなく、所知など望むべきなめり」と思ひて、これを尋ぬれば、「筑紫に御領多く侍れば、漢竹(かんちく)の笛のこと、よろしく侍らん。一つ召して給はらん。これ、身に取りて極まれる望みにて侍れど、あやしの身には得がたき物にて、年ごろえまうけ侍らず」と言ふ。

思ひの外に、いとあはれに思えて、「いといと安きことにこそ。すみやかに尋ねて、奉るべし。その外、御用ならんことは侍らずや。月日を送り給ふらんことも、心にくからずこそ侍るに。さやうのことも、などかは承らざらん」と言へば、「御志はかしこまり侍り。されど、それはこと欠け侍らず。二・三月に、かく帷(かたびら)一つまうけつれば、十月までは、さらに望む所なし。また、朝夕のことは、おのづからあるにまかせつつ、とてもかくても過ぎ侍り」と言ふ。

「げに、数寄者(すきもの)にこそ」と、あはれにありがたく思えて、笛、急ぎ尋ねつつ送りけり。また、さこそ言へど、月ごとの用意など、まめやかなることども、あはれみ沙汰しければ、それがあるかぎりは、八幡3)の楽人呼び集めて、これに酒まうけて、日暮らし楽をす。失すればまた、ただ一人、笛吹きて明かし暮らしける。

後には、笛の功積りて、並びなき上手になりけり。

かやうならん心は、何につけてかは、深き罪も侍らん。

翻刻

  永秀法師数奇事
八幡別当頼清カ遠流ニテ永秀法師ト云モノ有ケ
リ。家貧テ心スケリケル。夜昼笛ヲ吹ヨリ外ノ事ナ
シカシカマシサニタエヌトナリ家ニヤウヤウ立サリテ後/n19l
ニハ人モナクナリニケレド。更ニイタマズサコソ貧ケ
レドヲチブレタル振廻ナドハセザリケレバ。サスガニ人イ
ヤシムベキ事ナシ。頼清聞アハレミテ使ヤリテナドカ
ハ何事モノ給ハセヌ。カヤウニ侍レバサラヌ人ダニ事ニ
フレテサノミコソ申承事ニテ侍レ。ウトクオボスベカラ
ス便アラン事ハ憚ラスノ給ハセヨトイハセタリケレバ。
返々カシコマリ侍リ。年来モ申バヤト思惟ナガラ身
ノアヤシサニ且ハヲソレ且ハ憚リテ罷スギ侍ナリ。深ク
望申ベキ事侍。スミヤカニ参テ申侍ベシト云。何事ニ
カヨシナキ情ヲカケテ。ウルサキ事ヤイヒカケラレン/n20r
ト思ヘド彼身ノホドニハ何バカリノ事カ有ント思ア
ナツリテ過ス程ニ。アルカタ夕暮ニ出来レリ則出合テ
何事ニナド云フ。アサカラヌ所望侍ヲ思給テマカリ
過侍リシ程ニ一日仰ヲ悦ビテ左右ナク参リテ侍ト
云。疑ナク所知ナド望ベキナメリト思テ是ヲ尋レハ
筑紫ニ御領オホク侍ハ。カンチクノ笛ノ事ヨロシク侍ン
一ツメシテ給ラン。コレ身ニ取テキハマレル望ニテ侍ト
アヤシノ身ニハ得ガタキ物ニテ年来ヱマウケ侍ス
トイフ。思ノ外ニイト哀ニ覚ヘテ。イトイト安事ニコ
ソ速ニ尋テ奉ルベシ。其外御用ナラン事ハ侍ラズヤ/n20l
月日ヲ送リ給ラン事モ心ニクカラズコソ侍ニ。サヤウ
ノ事モナドカハ承ハラザラントイヘハ。御志ハカシコマリ
侍リ。サレド其ハ事カケ侍ズ。二三月ニカク帷一ツ設
ツレバ。十月マデハ更ニノゾム所ナシ。又朝夕ノ事ハヲノ
ヅカラアルニマカセツツトテモカクテモ過侍トイフ。
実スキモノニコソト哀ニアリガタク覚ヘテ笛イソ
ギ尋ツツ送リケリ。又サコソイヘド月ゴトノ用意
ナド。マメヤカナル事ドモ哀ミ沙汰シケレバ。其カ有
カキリハ八幡ノ楽人ヨビアツメテ。コレニ酒マウケテ
日クラシ楽ヲス。失レバ又只一人笛フキテ明シ暮/n21r
シケル。後ニハ笛ノ功ツモリテ並ビナキ上手ニ成ケ
リ。カヤウナラン心ハ何ニツケテカハ深キ罪モ侍ラン。/n21l
1)
石清水八幡宮別当
2)
底本「トナリ家ニ」。衍字とみて「ニ」を削除
3)
石清水八幡宮
text/hosshinju/h_hosshinju6-07.txt · 最終更新: 2017/06/25 19:45 by Satoshi Nakagawa