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発心集

第六第5話(67) 西行が女子、出家の事

校訂本文

西行法師、出家しける時、跡(あと)をば弟なりける男(をのこ)1)に言ひ付けたりけるに、幼き女子の、ことにかなしうしけるを、さすがに見捨てがたく、「いかさまにせん」と思へども、うしろやすかるべき人も思えざりければ、なほ、この弟のぬしの子にして、いとほしみすべき由、ねんごろに言ひ置きける。

かくて、ここかしこ修行して歩(あり)くほどに、はかなくて二・三年になりぬ。ことのたよりありて、京の方へめぐり来たりけるついでに、ありしこの弟が家を過ぎけるに、きと思ひ出でて「さても、ありし子は五つばかりにはなりぬらん。いかやうにか生ひなりたるらん」と、おぼつかなく思えて、「かく」とは言はねど、門のほとりにて見入れける折節、この娘、いとあやしげなる帷姿(かたびらすがた)にて、下種(げす)の子どもにまじりて、土におりて、立蔀(たてじとみ)のきはにて遊ぶ。

髪はゆふゆふと肩のほどに帯びて、形もすぐれ、たのもしき様なるを、「それよ」と見るに、きと胸つぶれて、いと口惜しく見立てるほどに、この子の、わが方を見おこせて、「いざなん。聖のある、恐しきに」とて内へ入りにけり。

このこと、「思はじ」と思へど、さすがに心にかかり、日ごろ経るほどに、もし、かやうのことをや知り聞かれけん、九条の民部卿の御女に、冷泉殿(れいせんどの)と聞こえける人は、母2)にゆかりありて、「わが子にして、いとほしみせん」と、ねむごろに言はれければ、人柄も賤しからず、「いとよきこと」とて、急ぎわたしてげり。

本意(ほい)のごとく、またなき者にかなしうせられければ、心安くて、年月を送る間に、この子、十五・六ばかりになりて後、このとり母の弟のむかへ腹の姫君に、播磨三位家明3)と聞こへし人を聟に取られけるに、若き女房など尋ね求むるに、「やがて、この姉君も上臈にて、一つ所なるべければ、便りもあるべし。親などもさるものなり」とて、この子を取り出でて、童(わらは)なむせさせける。

西行、このこともれ聞きて、本意ならず思えけるにや、この家近く行きて、傍らなる小家に立ち入りて、人を語らひて、忍びつつ呼ばせける。娘、いとあやしくは思えけれど、ことさまを聞くに、「わが親こそ、聖になりてありとききしか。さらでは、誰かはわれを呼び出でん」と思ふに、「日ごろ、『見てや止みなん』と心憂かりつるを、もしさらば、いみじからん」と思えて、やがて使に具して、人にも知られず出でにけり。

かしこに行きて見れば、あやしげなる法師の、痩せ黒みたる、麻の墨染の衣・袈裟など、まことにあはれに思えて、涙ぐみつつ、細やかにうちとけ語らふ。西行は、ありし土遊びの時きと見しに、あらぬものに生ひまさりて、いと清げなるを見るにも、さこそ思ひ捨つる世なれど、さすがにこればかりをばえ見過ごさず、ことの有様など聞きて、娘に言ふやう、「年ごろは行方も知らず、姿をだに、今日こそ初めて見るらめ。されども、親子となるは深き契りなり。わが申すこと聞きてむや。違(たが)へらるまじくは言はん」と言ふ。娘の言ふやう、「まことに親にておはしまさば、いかでか違へ奉るべき」と言ふ。「しかあらば申さん」と言ふ。

「そこを生れ落ししより、心ばかりははぐくみしことは、『大人になりなん時は、御門の后にも奉り、もしは、さるべき宮ばらのさぶらへをもせさせん』とこそ思ひしか。かやうのつぎの所に、まかなひせさせ聞こえんとは、夢にも思ひよらざりき。たとひ、めでたき幸ひありとても、世の中の仮なる様(さま)、とにかくに、心やすきこともなかんめるを、『尼になりて、母が傍らに居て、仏の宮仕へうちして、心にくくてあれがし』と思ふなり」と言ふ。

やや久しくうち案じて、「承りぬ。はからひ給はせむと、いかでか違へ奉らん。さらば、いつと定め給へ。その時、いづくへも参り会はん」と言ふ。「若き心に、ありがたくもあるかな」と、返す返す喜びて、しかじか、その日乳母(めのと)のもとへ行き会ふべきこと、よくよく定め契りて、帰りぬ。

このこと、また知る人もなければ、誰も思ひもよらぬほどに、明日(あす)になりて、「この髪を洗はばや」と言ふ。冷泉殿の聞きて、「近う洗ひたるものを。けしからずや」など言はれければ、ただことさらに言へば、「物詣でやうのことなめり」と思ひて、洗はせつ。

明くる朝に、「急ぎて乳母のもとへ行くべきことのある」と言へば、車など沙汰して送る。今すでに車に乗らむとする人の、「しばし」とて帰り来て、冷泉殿に向ひて、つくづくと顔をうち見て、言ふこともなくて立ち帰りき。車に乗りて去ぬ。あやしく思ゆれど、かかることあるべしとは、いかでか知らん。

かくて、久しく帰らねば、おぼつかなくて尋ねけるを、しばしはとかく言ひやりけれど、日ごろ経れば、隠れなく聞こえぬ。冷泉殿は、五つより、ひとへにわが子のやうにして、片時かたはら離るることなくて、ならはしはぐくみ立てたるうちにも、おとなびゆくままに、心ばえもはかばかしう、ことにふれてありがたきさまなりければ、深くあひ頼みて過ぎけるに、かく思はずして、永く別れぬれば、「恨めしかりける心強さかな。武(たけ)き者の筋といふもの、女子まで、うたてゆゆしきものなりけり」と言ひ続けてぞ、恨み泣かれける。「ただし、少し罪許さるることとては、すでに車に乗りし時、『また見まじきぞかし』と、さすがに心細く思ひけるにこそ。させる言ふべきこともなきに、しばし立ち帰りて、わが顔をつくづくとまもりて出でにしばかりを、恨めしき中に、いささかあはれなる」とぞ言はれける。

さてさて、この娘、尼になりて、高野のふもとに、天野といふ所に、さいだちて母が尼になりて居たる所に行きて、同じ心に行ひてなむありける。いみじかりける心なるぞかし。

かの養母の冷泉殿も、後には貴く行ひて、もとより絵描く人なりければ、日々の所作にて、丈六の阿弥陀仏と描き奉られける。命終りける時には、その仏の御形、空にあらはれて見え給ひけるとぞ。

翻刻

  西行女子出家事
西行法師出家シケル時跡ヲハ弟成ケル男ニ云付/n13l
タリケルニ幼キ女子ノ殊ニカナシウシケルヲ。サスガ
ニ見捨ガタクイカサマニセント思ヘドモ。ウシロヤス
カルベキ人モ覚ヘザリケレバ。猶コノ弟ノヌシノ子ニ
シテ。イトヲシミスベキ由念比ニ云ヒヲキケル。カクテ
爰カシコ修行シテアリク程ニ。ハカナクテ二三年
ニナリヌ。事ノタヨリ有テ京ノ方ヘメグリ来リケル
次ニ在シ此弟カ家ヲスギケルニ。キト思出テ扨モ
アリシ子ハ五ツ計ニハナリヌラン。イカヤウニカ生ナ
リタルラント覚束ナクオホヘテ。カクトハイハネド門
ノホトリニテ見入ケルヲリフシ此娘イトアヤシゲナ/n14r
ル帷スガタニテ。ゲスノ子ドモニマジリテ土ニヲリテ。
タテジトミノ際ニテアソブ髪ハユフユフト肩ノ程ニ
帯テ。カタチモスグレ。タノモシキ様ナルヲ。其ヨト
見ルニ。キト胸ツブレテイト口惜ク見タテル程ニ
此子ノ我カ方ヲ見ヲコセテ。イザナン聖ノアルヲソロ
シキニトテ内ヘ入ニケリ。此事思ハジト思ヘドサスガ
ニ心ニカカリ日来フル程ニ若カヤウノ事ヲヤシリキ
カレケン。九条ノ民部卿ノ御女ニ冷泉殿ト聞ヘケル
人ハ。母ニユカリアリテ。我子ニシテ。イトヲシミセント。ネ
ムゴロニイハレケレバ。人ガラモ賤シカラズ。イトヨキ事ト/n14l
テ急キワタシテゲリ。本意ノ如ク。マタナキモノニカ
ナシウセラレケレバ心安テ年月ヲ送ル間ニ此子十
五六計ニ成テ後。此トリ母ノ弟ノムカヘバラノヒメ君
ニ播磨三位家明トキコヘシ人ヲムコニトラレケルニ
若キ女房ナド尋モトムルニ。ヤカテ此アネ君モ上臈
ニテヒトツ所ナルベケレバ。便リモアルベシ親ナトモサ
ルモノナリトテ。此子ヲトリ出テ。ワラハナムセサセ
ケル。西行コノ事モレ聞テ。本意ナラズ覚ヘケル
ニヤ。此家チカク行テ。カタハラナル小家ニ立入テ人ヲ
カタラヒテ忍ヒツツ呼セケル。娘イトアヤシクハ覚ヘケ/n15r
レド。コトサマヲ聞ニ我親コソ聖ニ成テ有トキキシカ。サ
ラデハ誰カハ我ヲヨビ出ント思フニ。日比見テヤ止ナン
ト心ウカリツルヲ。若サラバイミジカラント覚ヘテ
軈テ使ニグシテ。人ニモシラレズ出ニケリ。カシコニ
行テ見レバアヤシゲナル法師ノ痩クロミタル麻ノ
墨染ノ衣ケサナド誠ニアハレニ覚ヘテ涙クミツツ。コ
マヤカニ打トケカタラフ。西行ハアリシ土遊ノ時。キト
見シニアラヌ物ニ生マサリテ。イト清ゲナルヲ見ニモ
サコソ思ヒ捨ル世ナレド。サスガニ是計ヲバヱ見スゴ
サズ。事ノ有様ナド聞テ。ムスメニ云フ様年来ハ行/n15l
ヱモシラズ。姿ヲダニ今日コソ初テ見ルラメ。サレドモ
親子ト成ハ深キ契リナリ。我申事聞テムヤ。違ヘ
ラルマジクハ云ント云フ。娘ノイフ様マコトニ親ニテヲ
ハシマサバイカデカ違ヘ奉ルベキト云。シカアラバ申
サント云フソコヲ生レ落シヨリ心計ハハククミシ事ハ。
ヲトナニ成ナン時ハ御門ノキサキニモ奉リ。若ハサル
ベキ宮バラノサブラヘヲモセサセントコソ思ヒシカ。カヤ
ウノツギノ所ニマカナヒセサセ聞ントハ夢ニモ思ヨ
ラザリキ。仮令メデタキ幸アリトテモ世中ノカリ
ナル様トニカクニ心ヤスキ事モナカンメルヲ。尼ニナ/n16r
リテ母カカタハラニ居テ。仏ノミヤヅカヘ打シテ心
ニククテアレガシト思フナリト云フ。良久打アムジ
テ承リヌ。ハカラヒ給ハセムト争カタガヘ奉ン。サラバ
イツト定メ給ヘ其時イヅクヘモ参リアハント云。若
キ心ニ難有モアルカナト。返々ヨロコビテシカシカ其
日メノトノ許ヘ行アフベキ事ヨクヨク定メ契リテ帰
ヌ。此事又シル人モナケレバ誰モ思モヨラヌ程ニ明日
ニナリテ此髪ヲ洗バヤト云フ。冷泉殿ノキキテ。チカフ
洗タル物ヲケシカラズヤナド云ハレケレバ只コトサラニ
イヘバ。物詣ヤウノ事ナメリト思テ洗ハセツ。明ル朝ニ/n16l
急キテメノトノ許ヘ行ベキ事ノアルト云ヘバ。車ナド
沙汰シテ送ル今スデニ車ニ乗ムトスル人ノシバシト
テ帰来テ冷泉殿ニムカヒテ。ツクツクト顔ヲウチ見テ
云コトモ無テ立帰リキ。車ニ乗テイヌアヤシク覚
ユレドカカル事有ベシトハイカデカシラン。カクテ久ク
カヘラネバ覚束ナクテ尋ケルヲ。シハシハトカク云ヤリ
ケレド。日来フレバカクレナク聞ヘヌ。冷泉殿ハ五ツヨリ
ヒトヘニ我子ノヤウニシテ。片時カタハラ離ルル事ナク
テナラハシハククミ立タルウチニモ。ヲトナヒユクママニ。
心バエモハカハカシウ事ニフレテ有難様ナリケレバ深ク/n17r
相タノミテ過ケルニ。カク思ハスシテ永ク別ヌレバウ
ラメシカリケル心ヅヨサカナ。武キ者ノスヂト云モ
ノ女子マデウタテユユシキ物ナリケリト云ヒツヅ
ケテゾ恨ミナカレケル。但シ少シ罪ユルサルル事トテ
ハ既ニ車ニノリシ時又見マジキゾカシト。サスガニ心
ボソク思ケルニコソ。サセル云ベキ事モナキニ。シバシ立
帰リテ我顔ヲツクツクトマモリテ出ニシ計ヲウラメ
シキ中ニイササカ哀レナルトゾイハレケル。サテサテ此
ムスメ尼ニ成テ高野ノフモトニ天野ト云所ニサイダ
チテ母カ尼ニナリテ居タル所ニ行テ。同シ心ニ行ヒテ/n17l
ナムアリケル。イミジカリケル心ナルゾカシ。彼養母ノ
冷泉殿モ後ニハタウトク行テ本ヨリ絵カク人ナリ
ケレバ。日ノ所作ニテ丈六ノ阿弥陀仏ト書タテマツ
ラレケル。命ヲハリケル時ニハ其仏ノ御形空ニアラハ
レテ見ヘ給ヒケルトゾ/n18r
1)
佐藤仲清
2)
西行の妻
3)
藤原家明
text/hosshinju/h_hosshinju6-05.txt · 最終更新: 2017/06/24 17:30 by Satoshi Nakagawa
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