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発心集

第六第4話(66) 母子三人の賢者、衆罪を遁るる事

校訂本文

昔、男ありけり。をのこ子二人持ちたるにとりて、兄は先の妻の腹、弟は今の妻の腹になんありける。かかれど、兄のをのこ、継母(ままはは)のために、つゆもおろかならず。失せにしわが母のごとく、ねんごろに孝養すれば、母また、わが子にも思ひおとせることなかりけり。

二人の子、やうやう人となりて後、父、先立ちて病を受けて死なんとする時、母に言ふやう、「年ごろ、この兄のをのこをあはれみはぐくむことは、ことの折節にみな思ひ知れり。うしろめたなかるべきならねど、何事もあとのことを思ふに、なほ彼(かれ)がいとほしく思ゆるなり。われを深く思はば、わが形見と思ひて、いとほしくせよ」と、泣く泣く言ひ置きて死ぬ。その後、母、このことをたがへず、やや弟にもまさりてなむあはれみける。

かかるほどに、ともに大人になりて、兄のをのこ、妻をまうけたり。この妻、形良くて、見る人多く心を動かす。その中に、朝夕公につかうまつりて、身のほどよりし、おごれる者ありけり。おのが身、君に知られ参らせたることを頼むにやありけん、夜な夜な男にもはばからず、ややもすれば、あらはれて通ふを見るに、この弟のをのこ、安からず、おこる後のことも思えず走り出でて、これを殺しつ。

隠すとすれど、このこと世に聞こえて、すなはち、弟(おとと)の男、からめられぬ。死する者の親しき者ども、早く命を絶たるべき由、強(こは)く訴へ申す。上にも御とがめ軽からざりければ、検非違使(けんびゐし)承りて、殺さんとす。

その時、兄の男、進み出でて申すやう、「弟の男は、さらにおのが身のためにつかうまつりたることにあらず。わがみなもとに侍り。早く、われ罪を蒙るべし」と申す。弟の言ふやう、「兄はかの女の男と申すばかりにてこそ侍れ、さらに過(とが)したることなし。われこそ、罪は蒙らめ」と申す。

兄弟、かくのごとく争ふ間に、上にも、はからひわづらひ給ひて、「一人を罪せらるべきにとりて、かれらが申すことども、みな謂(いはれ)なきにあらず。さらば、母を召して、かれが申さんによるべし」と定められぬ。

すなはち召し出だして、このことを問はるるに、母、とばかり思ひわづらひて、涙を流しつつ、弟に罪せらるべき由を申す。その時、検非違使、思ひの外に思えて、ゆゑを問ふ。母の申すやう、「兄は継子なり。弟はまことの子なり。しかあれど、いとけなく侍りしより、かれもまことの母と頼み、われも子に思ひおとすことなし。いはんや、父まかり隠れし時、ねんごろに申し置くこと侍りき。その言葉、心の底にとまりて、昔を思ひ出づるごとに、ただ今聞くかごとし。『たとひ、いくたりのわが子を失なふとも、かれをば助けん』と思ふ。すべては、父まかり隠れて後、これらを左右にすゑ、兄をば父の形見と思ひ、弟をばわが身と頼みて、もろもろの愁へをなぐさめつつ、月日を過し侍るに、今ここに罪を蒙れり。すなはち、わが身の報ひのつたなき」と言ふ。

聞く人、みな涙を流してあはれむ。深く訴へ申しつる者ども、また、これをあはれみあへり。このこと、上に聞こし召して。「三人ともにやむごとなき者なり。罪をなだめて許すべし」となむ仰せられける。

かの山蔭中納言のうへには1)、たとへもなかりける母の心かな。

ただし、これは晋の三賢といふ物語に似たり。もしそのことにや。

翻刻

  母子三人賢者遁衆罪事
昔男アリケリ。オノコ子二人持タルニトリテ兄ハサキ
ノ妻ノ腹弟ハ今ノ妻ノ腹ニナンアリケル。カカレド兄
ノヲノコママ母ノ為ニ露モヲロカナラズ。失ニシ我母ノ
ゴトク念比ニ孝養スレバ。母又我子ニモ思ヒヲトセル
事無リケリ。二人ノ子ヤウヤウヒトト成テ後。父サキダ
チテ病ヲウケテ死ナントスル時。母ニ云ヤウ年来
此兄ノヲノコヲ哀ミハグクム事ハコトノ折節ニミナ思ヒ
シレリ。ウシロメタナカルベキナラネド。何事モ跡ノ事
ヲ思フニ猶カレガイトヲシク覚ル也。我ヲフカク思ハハ/n11l
我形見ト思ヒテ。イトヲシクセヨト泣々云置テ死
ヌ。其後母此事ヲタガヘスヤヤ弟ニモマサリテナム哀
ミケル。カカル程ニ共ニオトナニ成テ。兄ノヲノコ妻ヲマ
ウケタリ。此妻カタチヨクテ見人多ク心ヲウゴカス其
中ニ朝夕公ニ仕フマツリテ身ノ程ヨリシ。オゴレル者
アリケリ。ヲノカ身君ニシラレマイラセタル事ヲ頼ムニ
ヤ有ケン。夜ナ夜ナヲトコニモハバカラス動バアラハレテ
通ヲ見ルニ此弟ノヲノコ安カラス。ヲコル後ノ事モ不
覚走出テ是ヲ殺シツ。カクストスレド此事世ニキコ
ヱテ即ヲトトノ男カラメラレヌ。死スル者ノシタシキ/n12r
者トモハヤク命ヲタタルベキ由コハク訴ヘ申上ニモ御
トガメ軽カラザリケレバ。検非違使ウケ給リテ殺ン
トス。其時兄ノ男ススミ出テ申ヤウ。弟ノ男ハサラニ
ヲノカ身ノ為ニツカフマツリタル事ニ非ス。我ミナモ
トニ侍リ。ハヤク我罪ヲ蒙ルベシト申。弟ノ云様兄ハ
彼女ノヲトコト申ハカリニテコソ侍レ。更ニ過シタル事
ナシ。我コソ罪ハ蒙ラメト申。兄弟如此アラソフ間ニ
上ニモハカラヒワヅラヒ給テ一人ヲ罪セラルベキニト
リテカレラカ申事トモ皆謂ナキニアラズ。サラハ母
ヲ召テ彼ガ申サンニヨルベシト定ラレヌ。即召出シテ/n12l
此事ヲトハルルニ。母トバカリ思ワヅラヒテ涙ヲ流シ
ツツ弟ニ罪セラルヘキ由ヲ申ス。其時検非違使オモヒ
ノ外ニ覚ヘテ故ヲトフ。母ノ申様兄ハママ子也弟ハ
真ノ子ナリ。シカアレド幼ナク侍シヨリ。彼モマコトノ
母トタノミ。我モ子ニ思ヒヲトス事ナシ。況ヤ父マカ
リカクレシ時ネンゴロニ申置ク事侍リキ。其コトバ
心ノ底ニトマリテ昔ヲ思ヒ出ルゴトニ只今聞カゴト
シ仮令イクタリノ我ガ子ヲウシナフトモ彼ヲハタ
スケント思フ。スベテハ父マカリカクレテ後コレラヲ左
右ニスヱ兄ヲバ父ノ形見ト思ヒ弟ヲバ我身トタノ/n13r
ミテモロモロノ愁ヲナグサメツツ。月日ヲスゴシ侍ニ今
ココニ罪ヲ蒙レリ。即我身ノ報ノツタナキト云。キク
人皆涙ヲ流テ哀ム。深クウツタヘ申シツル者ドモ又
是ヲアハレミアヘリ。此事上ニ聞食召テ三人トモニ
止事ナキモノナリ。罪ヲナダメテ許スベシトナム。仰
ラレケル。カノ山陰中納言ノウヘニハタトヘモナカリ
ケル。母ノ心カナ。但シ是ハ晋ノ三賢ト云フ物語ニ
似タリ。モシ其ノ事ニヤ/n13l
1)
山蔭中納言は藤原山蔭。『今昔物語集』19ー29に、山蔭の妻が継子を海中に落して殺そうとしたが、亀が助けたとう話がある。
text/hosshinju/h_hosshinju6-04.txt · 最終更新: 2017/06/20 00:21 by Satoshi Nakagawa
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