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text:hosshinju:h_hosshinju6-01 [2017/08/05 16:26] – [翻刻] Satoshi Nakagawatext:hosshinju:h_hosshinju6-01 [2019/03/15 22:01] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 ===== 校訂本文 ===== ===== 校訂本文 =====
  
-中ごろ、三井寺に智興内供といひて、貴き人ありけり。年高くなりて、いかなる宿業にてか、世の中心地をして、限りになりければ、弟子ども集りて、泣き悲しむ時、晴明((安倍晴明))といひて、神如(しんによ)なる陰陽師ありけり。これを見て言ふやう、「このたびは、限りある定業なり。いかにも、かなふべからず。それにとりて、志(こころざし)深からん弟子なんどの、『替らん』と思へるあらば、祭り奉りてん。そのほかには、いかにもいかにも力及ばず」となん言ひける。+中ごろ、三井寺((園城寺))に智興内供といひて、貴き人ありけり。年高くなりて、いかなる宿業にてか、世の中心地をして、限りになりければ、弟子ども集りて、泣き悲しむ時、晴明((安倍晴明))といひて、神如(しんによ)なる陰陽師ありけり。これを見て言ふやう、「このたびは、限りある定業なり。いかにも、かなふべからず。それにとりて、志(こころざし)深からん弟子なんどの、『替らん』と思へるあらば、祭り奉りてん。そのほかには、いかにもいかにも力及ばず」となん言ひける。
  
 多くの弟子ども、さし集(つど)へるほどに、このことを聞きて、内供は苦しみの耐へがたきままに、「もし、替る人やある」と、並び居たる弟子どもを次第に見回せど、言(こと)にこそ言へど、まことには捨てがたき命なれば、おのおの色を作りて、伏し目になりつつ、一人として、「われ替らん」と思へる気色なし。 多くの弟子ども、さし集(つど)へるほどに、このことを聞きて、内供は苦しみの耐へがたきままに、「もし、替る人やある」と、並び居たる弟子どもを次第に見回せど、言(こと)にこそ言へど、まことには捨てがたき命なれば、おのおの色を作りて、伏し目になりつつ、一人として、「われ替らん」と思へる気色なし。
text/hosshinju/h_hosshinju6-01.txt · 最終更新: 2019/03/15 22:01 by Satoshi Nakagawa