text:hosshinju:h_hosshinju6-01
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text:hosshinju:h_hosshinju6-01 [2017/06/18 15:12] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:hosshinju:h_hosshinju6-01 [2019/03/15 22:01] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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===== 校訂本文 ===== | ===== 校訂本文 ===== | ||
- | 中ごろ、三井寺に智興内供といひて、貴き人ありけり。年高くなりて、いかなる宿業にてか、世の中心地をして、限りになりければ、弟子ども集りて、泣き悲しむ時、晴明((安倍晴明))といひて、神如(しんによ)なる陰陽師ありけり。これを見て言ふやう、「このたびは、限りある定業なり。いかにも、かなふべからず。それにとりて、志(こころざし)深からん弟子なんどの、『替らん』と思へるあらば、祭り奉りてん。そのほかには、いかにもいかにも力及ばず」となん言ひける。 | + | 中ごろ、三井寺((園城寺))に智興内供といひて、貴き人ありけり。年高くなりて、いかなる宿業にてか、世の中心地をして、限りになりければ、弟子ども集りて、泣き悲しむ時、晴明((安倍晴明))といひて、神如(しんによ)なる陰陽師ありけり。これを見て言ふやう、「このたびは、限りある定業なり。いかにも、かなふべからず。それにとりて、志(こころざし)深からん弟子なんどの、『替らん』と思へるあらば、祭り奉りてん。そのほかには、いかにもいかにも力及ばず」となん言ひける。 |
多くの弟子ども、さし集(つど)へるほどに、このことを聞きて、内供は苦しみの耐へがたきままに、「もし、替る人やある」と、並び居たる弟子どもを次第に見回せど、言(こと)にこそ言へど、まことには捨てがたき命なれば、おのおの色を作りて、伏し目になりつつ、一人として、「われ替らん」と思へる気色なし。 | 多くの弟子ども、さし集(つど)へるほどに、このことを聞きて、内供は苦しみの耐へがたきままに、「もし、替る人やある」と、並び居たる弟子どもを次第に見回せど、言(こと)にこそ言へど、まことには捨てがたき命なれば、おのおの色を作りて、伏し目になりつつ、一人として、「われ替らん」と思へる気色なし。 | ||
行 28: | 行 28: | ||
===== 翻刻 ===== | ===== 翻刻 ===== | ||
- | 発心集第五 鴨長明撰 | + | 発心集第六 鴨長明撰 |
証空替師命事 | 証空替師命事 | ||
中来三井寺ニ智興内供ト云テ。タウトキ人有ケリ。 | 中来三井寺ニ智興内供ト云テ。タウトキ人有ケリ。 |
text/hosshinju/h_hosshinju6-01.txt · 最終更新: 2019/03/15 22:01 by Satoshi Nakagawa