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発心集

第五第14話(61) 勤操、栄好を憐れむ事

校訂本文

昔、大安寺に、栄好といふ僧ありけり。身は貧しくて、老いたる母を持ちたりけりば、寺の中にすゑ置きて、形のごとく命つぐほどのことをなんしけり。

七大寺の習ひ1)にて、居たる僧の室(むろ)に煙(けぶり)立つることなし。外にて飯(はん)をして、車に積みつつ、朝夕ごとに僧坊の前より渡して配れば、栄好、これを受けて、四つに分けて、一つをは母に奉り、一つをば乞食(こつじき)に取らせ、一つをばみづから食ふ。一つをば、ただ一人使ふ童(わらは)が料に当てたり。まづ、母に与へて、まゐる由を聞きて後、みづからは食ふ習ひにて、年ごろの次第をたがへず。

この栄好が房の傍らに、垣(かき)を一つ隔て、勤操(ごんさう)といふ人住みけり。同心に相ひたのみたる人にて、年ごろ、このことをありがたく見聞くほどに、ある時、壁を隔てて聞けば、栄好が小童、忍びつつ泣く声あり。勤操、怪しく思ひて、童を呼びて、「何ごとによりて泣くぞ」と問ふ。答へて云ふやう、「わが師、今朝、にはかに命終り給ひぬれば、おのれ一人して、葬(はうむ)りおさめ奉らんこと、思ひやる方なくて侍る上に、『母の尼上、また、いかにして命つぎ給はんずらん』と、悲しく侍るなり」と言ふ。

勤操、これを聞きて、あはれに悲しきこと限りなし。なぐさめ言ふやう、「なんぢ、いたく歎くべからず。葬らんことは、われ、もろともに今宵の中にとかくしてんず。また、母をば、われ、亡者にかはりて、わが分を分けて養はん」と言ふ。小童、これを聞きて、悲しみの中に限りなく思えて、涙をのごひつつ、さりげなき様にもてなせり。

勤操、わが分、分かちて、栄好が送るやうにて、童に持たせて、母のもとへ送る。母、このことを思ひよらぬ気色を見るにつけても、涙のみこぼるるを、とかくまぎらかしつつ、もの言はずして、さし置きて帰りぬ。暮れぬれば、夜半ばかりに、勤操と童と二人して、栄好を持ちて、深き山に送り置きつ。

母の尼公(にこう)、さきざきに変れることもなければ、わが子の失せたりしとも知らずして、月日を送るほどに、勤操がもとに客人来て、酒など飲むことありけり。何となくまぎれて、さきざき飯(いひ)送る時過ぎにけれど、親子の間ならねば憚りにて、童、言ひ出ださず。

やや久しくありて後、送りたるに、母の尼公言ふやう、「など、例よりは遅かりつるぞ。年老いぬる身は、胸しはり、心地たがひて、例にも似ず思ゆるなり」と言ふを聞きて、この童、言ふかひなく涙落して、忍ぶとすれど、声も惜しまず泣き居たり。

母、心も得ず思えて、なほなほ強ひ問ふに、つひに隠すべきことならねば、事のありさま、初めより語る。

「やがても申すべかりしかども、年たけたる御身には、『もし、歎きに堪へず、引き入り給ふこともぞ侍る』とて、今まで申さざりつるなり。この召し物をば、子御坊の同法のおはするが、ありしやうを問ひ聞きて、失せ給ひし日より、わが分を分ち奉らるるなり。今日、客人の来たりて、酒など参りつるほどに、心ならず日たけて侍るなり。されど、御子ならばこそは、『いかにも』とも勧めん。さすがに憚り思ひ給ひて」など、言ひやらず泣く。

母、聞くままに倒れ伏して、泣き悲しみていはく、「わが子ははかなく失せ給ひにしを、知らずして侍るにや。『来たる夕べにや見ゆる』と待ちけるこそ、いとはかなけれ。今日の食ひ物の遅かりつるを、あやしめざらましかば、わが子のありなしも知らまじ」と言ひて、たちまちに絶え入りぬ。

また、勤操、これを聞きて、岩淵寺といふ山寺にて、葬り進めて、七日七日には鉢をまうけて法華経を説き、もろもろの衆に言ひ合はせつつ、四十九日法事にて、懈怠なくなんつとめける。

その後、年に一度の忌日ごとに、同法八人、力を合はせて、「同法八講」と名付けて、延暦十五年より始めたりけるを、「岩淵寺の八講」と名付けたり。八講のおこり、これよりはじめて、所々に行ふこと、今に絶えず。

さて、勤操は、おほやけのわたくし、貴き聞こえありければ、失せて後、僧正の司なん送り賜はりける。

翻刻

  勤操憐栄好事
昔大安寺ニ栄好ト云僧アリケリ。身ハ貧テ老タル母
ヲ持タリケリバ。寺ノ中ニスエ置テ如形命ツグ程ノ事
ヲナンシケリ。七大寺ノナラビニテ居タル僧ノムロニ烟
立ルコトナシ。外ニテ飯ヲシテ車ニツミツツ。朝夕ゴトニ
僧坊ノ前ヨリ渡テクバレバ。栄好コレヲウケテ四ニ分
テ一ヲハ母ニ奉リ。一ヲハ乞食ニトラセ。一ヲハミヅカラク
ウ。一ヲハ只独ツカフワラハガ料ニアテタリ。先母ニアタヘ/n29l
テマイル由ヲキキテ後ミヅカラハクウ習ニテ年来ノ次
第ヲタガヘズ。此栄好ガ房ノ傍ニカキヲ一ツヘダテ勤
操ト云人スミケリ。同心ニ相憑タル人ニテ年来此事ヲ
アリガタク見聞程ニ或時カベヲヘダテテ聞ケハ栄好ガ
小童シノビツツ泣声アリ。勤操アヤシク思テ童ヲヨビ
テ何事ニヨリテナクゾト問フ。答ヘテ云様我ガ師今朝
ニハカニ命終リ給ヒヌレバ。ヲノレヒトリシテ葬オサメ奉ラ
ン事思ヒヤル方ナクテ侍ルウヘニ母ノ尼上又イカニシ
テ命ツギ給ハンズラント悲ク侍ナリト云勤操コレヲ
聞テ哀ニカナシキ事限リナシナクサメ云様汝イタ/n30r
クナゲクベカラズ。葬ラン事ハ我モロトモニ今宵ノ中ニ
トカクシテンズ。又母ヲバ我亡者ニカハリテ我分ヲワ
ケテ養ハント云。小童コレヲ聞テカナシミノ中ニ限ナ
ク覚ヘテ涙ヲノゴヒツツ。サリゲナキ様ニモテナセリ。勤
操我分ワカチテ栄好ガヲクルヤウニテ童ニモタセテ
母ノモトヘヲクル。母此事ヲ思ヒヨラヌ気色ヲミルニツ
ケテモ涙ノミコボルルヲ。トカクマギラカシツツ物イハズ
シテサシ置テカヘリヌ。暮ヌレバ夜半バカリニ勤操ト童
トフタリシテ栄好ヲモチテ深キ山ニ送ヲキツ。母ノ尼
公サキサキニカハレル事モナケレバ。我子ノウセタリシトモシ/n30l
ラズシテ月日ヲ送ル程ニ。勤操ガモトニ客人来テ酒ナド
ノム事有ケリ。何トナクマギレテ。サキサキ飯ヲクル時過ニ
ケレド。オヤコノ間ナラネハ憚ニテ童イヒ出サズ。良久ア
リテ後送リタルニ。母ノ尼公云ヤウ。ナド例ヨリハヲソカリ
ツルゾ。年老ヌル身ハ胸シハリ心地タガヒテ例ニモ似ズ
覚ルナリト云ヲキキテ。此童イフカヒナク涙落シテ
忍ブトスレド声モオシマズ泣居タリ。母心モ得ズ覚ヘテ
猶々シヰ問ニ。ツヰニカクズベキ事ナラネバ。事ノアリサマ
初ヨリ語ル。ヤガテモ申ベカリシカドモ。年タケタル御
身ニハ若ナゲキニ堪ズ。ヒキイリ給フ事モゾ侍トテ今/n31r
マテ申サザリツルナリ。此メシ物ヲバ。子御坊ノ同法ノヲハ
スルガ在シヤウヲ問キキテ失給ヒシ日ヨリ。我分ヲワ
カチ奉ラルルナリ。今日客人ノ来リテ酒ナト参リ
ツル程ニ。心ナラズ日タケテ侍ナリ。サレド御子ナラバ
コソハイカニモ共ススメン。サスガニ憚リ思給ナド云ヤラス
泣。母キクママニ倒フシテ泣カナシミテ云ク我カ子ハ
ハカナク失給ヒニシヲ知ズシテ侍ニヤ。来ルユフベニヤ見
ユルト待ケルコソ。イトハカナケレ。今日ノクヰ物ノヲソカ
リツルヲアヤシメザラマシカバ我カ子ノアリナシモシ
ラマジト云テ。忽ニ絶入ヌ。又勤操コレヲ聞テ岩淵寺/n31l
ト云山寺ニテ葬進テ。七日七日ニハ鉢ヲマウケテ法華経
ヲトキ諸々ノ衆ニイヒ合セツツ四十九日法事ニテ解
怠ナクナンツトメケル。其後年ニ一度ノ忌日コトニ同法
八人力ヲ合テ同法八講ト名ヅケテ延暦十五年ヨリ
始メタリケルヲ岩淵寺ノ八講ト名ヅケタリ。八講ノ
ヲコリ是ヨリハジメテ所々ニヲコナフ事今ニ絶ズ。サテ
勤操ハヲホヤケノワタクシ貴キ聞ヘアリケレバ失テ後
僧正ノツカサナン送リ給リケル/n32r
1)
「習ひ」は底本「ナラビ」
text/hosshinju/h_hosshinju5-14.txt · 最終更新: 2017/06/15 23:05 by Satoshi Nakagawa
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