ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:hosshinju:h_hosshinju5-06

差分

このページの2つのバージョン間の差分を表示します。

この比較画面へのリンク

text:hosshinju:h_hosshinju5-06 [2017/06/03 14:39] – 作成 Satoshi Nakagawatext:hosshinju:h_hosshinju5-06 [2018/03/26 15:21] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
行 9: 行 9:
 さて、その国の中に、ここかしこ見歩(あり)きけるに、ある古き寺の仏の座の下に文の見へけるを、披(ひら)きて見れば、「沙門公経」と書けり。怪しみて、細かに見れば、「来ん世にこの国の守となりて、この寺を修理せん」といふ願を立てたる文にてなんありける。 さて、その国の中に、ここかしこ見歩(あり)きけるに、ある古き寺の仏の座の下に文の見へけるを、披(ひら)きて見れば、「沙門公経」と書けり。怪しみて、細かに見れば、「来ん世にこの国の守となりて、この寺を修理せん」といふ願を立てたる文にてなんありける。
  
-これを見て、「しかるべかりけること」と思ひ知りて、望みの本意ならぬことをもいさめつつ、信をいたして修理しける。書きたる文字の様(さま)なども、今の手につゆほども変らず似たりけり。伏見の修理大夫(しゆりのかみ)((藤原俊綱。前世で同じ名前であったことは、[[:text:yomeiuji:uji046|『宇治拾遺物語』46]]参照))のやうに、昔、同じ名を付けるなりけり。+これを見て、「しかるべかりけること」と思ひ知りて、望みの本意ならぬことをもいさめつつ、信をいたして修理しける。書きたる文字の様(さま)なども、今の手につゆほども変らず似たりけり。伏見の修理大夫(しゆりのかみ)((藤原俊綱・橘俊綱。前世で同じ名前であったことは、[[:text:yomeiuji:uji046|『宇治拾遺物語』46]]参照))のやうに、昔、同じ名を付けるなりけり。
  
 われも人も、先の世を知らねばこそはあれ。何事もこの世一つのことにては侍らぬを、むなしく心をくだき、走(わし)り求めて、かなはねば、神をそしり、仏をさへ恨み奉るは、いみじう愚かなり。 われも人も、先の世を知らねばこそはあれ。何事もこの世一つのことにては侍らぬを、むなしく心をくだき、走(わし)り求めて、かなはねば、神をそしり、仏をさへ恨み奉るは、いみじう愚かなり。
text/hosshinju/h_hosshinju5-06.txt · 最終更新: 2018/03/26 15:21 by Satoshi Nakagawa