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発心集

第五第1話(48) 唐房法橋、発心の事

校訂本文

中ごろ、但馬守国挙(くにたか)1)が子に、所の雑色国輔といふ人ありけり。ある宮腹の半者(はしたもの)を思ひて。志深かりけるころ、父の但馬守にて下りければ、えさらぬことにて、はるかに行きけり。一日の絶え間だにわりなく思ゆるを、立ち別れては、耐へぬべくもあらねど、いかがはせむ。さまざまに語らひ置きつつ、泣く泣く別れにけり。

国に下りても、これよりほかに、心にかくることなし。京の便りごとに文をやれど、届かず。さはりがちにて返り事も見ず。いぶせくてのみ歳月を送る間に、ことの便りに人の語るを聞けば、「京には人多く病みて、世の中騒がしくなんある」と言ふにも、まづおぼつかなきことかぎりなし。

かくしつつ、からうして京へ上り給ひつ。しかありし宮の中を尋ぬれば、「はや、例ならぬことありて、出で給ひにき」と言ふ。使、むなしく帰りて、このよしを語るに、ふと胸ふたがりて、何のあやめも思えず。立ち帰り、ゆくへ尋ねにやりたれど、知る人もなし。すべき方なくて、心のあられぬままに、すずろに馬にうち乗りて、うち出でにけり。

「西の京の方にこそ知る人あるやうに聞きしか」とばかり、ほのかに思ひ出でて、いづくともなく尋ね歩(あり)くほどに、あやしげなる家の前に、この女の使ひし女(め)の童(わらは)立てり。

いとうれしくて、「もの言はん」と思ふほどに、隠るるやうにて、家の内へ逃げ入るを、馬より降りて、入りて、見れば、この女、うちそばみて、髪をけづりてなむ居たりける。「あな、いみじくおはしけるは」とて、後ろを抱きて、日ごろのいぶせかりつることなむ、ねんごろに語らへど、いらへもせず、さめざめと泣くよりほかのことなし。「われを恨むるなりけり」とあはれに、心苦しう思えて、涙を抑へつつ、さまざまになぐさめ居たり。

「さても、などかは後ろをのみ向け給へる。『いつしか、見奉らん』と思ふに、今さへいぶせく」とて、引き向けんとするに、いとど泣きまさりて、さらに面(おもて)を向へず。「あな、いみじ。心深くも思し入りたるかな」とて、しひて引き向くれば、二つの眼なし。木の節の抜けたるごとくにて、すべて目も当てられず。

心まどひ、とばかりものも言はれぬを、念じて、「さても、いかなりしことぞ」と問ふ。主(ぬし)は音(ね)をのみ泣きて、ともかくも言はねば、ありつる女の童なん、泣く泣くことのありしやうを語りける。

「御下りの後、しばしは、『御文もなどかあるか』と人知れず待ち給ひしかど、さらに御おとづれもなくて、一年二年(ひととせふたとせ)過ぎにしかば、ものをのみ思して、明かし暮らし給ひし間に、御病付き給ひて、宮を出で給ひき。親しき御あたりにも、便り悪しきことどもありて、さるべき所も侍らざりしかば、これにてあつかひ奉しほどに、はかなくて息絶えにき。『今は置き奉りてもかひなし』とて、この前の野に置き奉りしほどに、日中ばかりありてなむ、思ひのほかに生き返り給にし。その間に、烏などのしわざに、はやくゆひかひなきことになりて侍れば、とかく申すはかりなし。わざとも尋ね奉るべきにてこそ侍りしかど、この御ありさまの心憂さに、『今はいかで世にあるものと、人に知られじ』と深く思したるもことはりなれば、『隠れ奉らん』とつかまつるなり」と、涙をおさへつつ語るを聞くに、心憂く悲しきことかぎりなし。

「何の報ひにて、かかる目を見るらん」と、「今はこの世の限りにこそありけれ」とて、やがて、これより比叡の山2)へ登り、甘露寺の教静僧都の房に、慶祚の弟子にて、真言の秘法を伝ふ。唐房の法橋行因3)といふはこの人なり。山王に会ひ奉りて、灌頂し奉りける人なり。

この人、初めて山へ登りける時、われもはかばかしう道も知らず、しるべする人もなかりければ、人に問ひつつ、たどるたどる行きけるを、水飲(みづのみ)といふ所にて、檀那僧都覚運といふ人行き会ひて、いとあやしく、ことのさまを見るに、「出家しに登る人にこそ。いみじう、智恵かしこき眼持ちたる人かな。いづくへ行くぞみよ」とて、人をつけやりてげり。

使、返り来て、「しかじか、甘露寺僧都のもとへ入りぬ」と言ひければ、「さればこそ。あはれ、いみじかりつる智者を、慈覚4)の門人5)になさで、智証6)の流7)へやりつる、口惜しきことなり」とのたまひける。

この人、真言習ひ初めけるころ、師の大阿闍梨の、「こころみん」とや思はれけん、「『男にては、物の真似をよくし給ひて、をかしき方に、人に興ぜられけり』と聞きつるなり。千秋万歳し給へ。見ん」と言はれければ、またこともなく、「うけ給はりぬ」とて、経の帙紙(つつみがみ)のありけるを、頭(かしら)にうちかづきて、めでたく舞うたりければ、阿闍梨、涙を落して、「『さだめて、否びすらん』とこそ思ひつるに、まことの道心者なりけり。いと貴し」とぞ、讃め給ひける。

翻刻

発心集第五               鴨長明撰
  唐房法橋発心事
中来但馬守国挙ガ子ニ所ノ雑色国輔ト云人アリケ
リ。アル宮原ノ半者ヲ思テ。志フカカリケル比。父ノ但馬守
ニテ下ケレハ。ヱサラヌ事ニテ遥ニ行ケリ。一日ノタエマダ
ニワリナク覚ルヲ。立別テハタヘヌベクモアラネド。イカカハ
セム。サマザマニカタラヒ置ツツナクナクワカレニケリ。国ニ下テ
モ自是外ニ心ニカクル事ナシ。京ノタヨリゴトニ文ヲヤ
レド。トトカズサハリガチニテ返事モ見ス。イブセクテノミ
歳月ヲ送ル間ニ事ノタヨリニ人ノ語ヲキケバ。京ニハ人/n3l
オホクヤミテ世ノ中サハガシクナンアルト云ニモ。先オボ
ツカナキ事カギリナシ。カクシツツカラウシテ。京ヘノボ
リ給ヒツ。シカアリシ宮ノ中ヲタヅヌレバ。ハヤ例ナラヌコ
ト有テ出給ニキト云。使ムナシク帰リテ此由ヲ語ニ。
フト胸フタガリテ何ノアヤメモ不覚。立帰ユクヱ尋ニヤ
リタレド知人モナシ。スベキ方ナクテ心ノアラレヌママニ。ス
ズロニ馬ニウチノリテ打出ニケリ。西ノ京ノ方ニコソシル
人アルヤウニ聞シカトバカリ。ホノカニ思出テ。イヅクトモ
無ク尋アリク程ニ。アヤシゲナル家ノ前ニ此女ノツカヒ
シ。メノワラハタテリ。イトウレシクテ物イハント思程ニ/n4r
カクルルヤウニテ家ノ内ヘニゲイルヲ馬ヨリヲリテ入テ
見レハ。此女ウチソバミテ髪ヲケヅリテナムヰタリケル。
アナイミジクオハシケルハトテ。ウシロヲ抱テ日比ノイ
ブセカリツル事ナム懇ニカタラヘド。イラヘモセズサメ
ザメト泣ヨリ外ノ事ナシ。我ヲウラムルナリケリトア
ハレニ心クルシウ覚ヘテ涙ヲオサヘツツ様々ニナグサメ居
タリ。サテモナドカハ後ヲノミムケ給ヘル。イツシカ見奉ン
ト思フニ。今サヘイブセクトテ。ヒキムケントスルニイトト
ナキマサリテ更ニ面ヲ迎ズ。アナイミジ心フカクモオ
ボシ入タルカナトテ。シヰテヒキムクレバ。フタツノ眼ナシ/n4l
木ノフシノヌケタル如ニテ。スベテ目モアテラレズ。心マドヒ
トバカリ物モイハレヌヲ。ネンジテサテモイカナリシ
事ゾト問フ。主ハネヲノミナキテトモカクモイハネバ。ア
リツルメノワラハナン泣々事ノアリシヤウヲ語ケル。御
下ノ後シバシハ御文モナドカアルカト人シレズ待給ヒ
シカド。サラニ御ヲトヅレモ無テ一トセ二トセ過ニシ
カバ物ヲノミオボシテ明シ暮シ給ヒシ間ニ御病ヅ
キ給テ。宮ヲ出給キ。シタシキ御アタリニモ便アシキ
事ドモアリテ。サルベキ所モ侍ラザリシカバ。是ニテア
ツカヒ奉シ程ニ。ハカナクテイキタエニキ。今ハヲキ/n5r
奉テモカイナシトテ。此ノ前ノ野ニヲキ奉リシ程ニ。
日中バカリ有テナム思ノ外ニイキカヘリ給ニシ。ソノ間
ニカラスナドノシワザニ。ハヤク云甲斐無コトニ成テ侍レ
バ。トカク申ハカリナシ。態トモタズネ奉ルベキニテコソ侍
シカド此御アリ様ノ心ウサニ。今ハイカデ世ニアル物ト
人ニシラレジト深クオボシタルモコトハリナレバ。カクレ奉
ラント仕ルナリト涙ヲオサヘツツ語ヲキクニ。心ウクカナ
シキ事限リナシ。何ノムクヒニテカカルメヲ見ルラント今
ハ此世ノカギリニコソアリケレトテ軈テ自是比叡山ヘ
ノボリ甘露寺ノ教静僧都ノ房ニ慶祚ソノ弟子ニテ/n5l
真言ノ秘法ヲツタフ唐房ノ法橋行因ト云ハ此人ナリ。
山王ニアヒ奉リテ灌頂シ奉リケル人ナリ。此人初テ山ヘ
ノボリケル時我モハカバカシウ道モ不知シルベスル人モナ
カリケレバ。人ニ問ツツタドルタドル行ケルヲ。ミヅノミト云所
ニテ檀那僧都覚運ト云フ人行合テイトアヤシク事
ノサマヲ見ニ出家シニノホル人ニコソ。イミジウ智恵カシ
コキ眼モチタル人カナ。イヅクヘ行ゾミヨトテ人ヲツケ
ヤリテゲリ。使カヘリ来テシカジカ甘露寺僧都ノモト
ヘイリヌト云ケレバ。サレバコソアハレイミジカリツル智者
ヲ慈覚ノ門人ニナサデ智証ノ流ヘヤリツル口惜キ事/n6r
ナリトノ給ヒケル。此人真言ナラヒソメケル比師ノヲホ
阿闍梨ノ心ミントヤ思ハレケン。男ニテハ物ノマネヲヨク
シ給ヒテ。ヲカシキ方ニ人ニ興セラレケリトキキツル也。
千秋万歳シ給ヘ見ントイハレケレバ。マタコトモ無クウケ
給リヌトテ経ノ秩紙ノアリケルヲ。カシラニウチカヅキ
テ目出度舞タリケレハ阿闍梨涙ヲ落シテ定テヰナ
ヒスラントコソ思ヒツルニ。マコトノ道心者ナリケリ。イトタ
ウトシトゾホメ給ヒケル/n6l
1)
源国挙
2)
比叡山
3)
行円が正しい
4)
円仁
5)
山門派を指す。
6)
円珍
7)
寺門派
text/hosshinju/h_hosshinju5-01.txt · 最終更新: 2017/05/28 19:37 by Satoshi Nakagawa
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