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text:hosshinju:h_hosshinju4-02
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text:hosshinju:h_hosshinju4-02 [2017/05/13 19:19] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa
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 +発心集
 +====== 第四第2話(39) 浄蔵貴所、鉢を飛ばす事 ======
 +
 +===== 校訂本文 =====
 +
 +浄蔵貴所と聞こゆるは、善宰相清行((三善清行))の子、並びなき行人なり。
 +
 +山にて、鉢の法を行ひて、鉢を飛ばしつつ過ぎけるころ、ある日、空(むな)しき鉢ばかり帰り来て、入る物なし。あやしく思ふほどに、このこと続けて三日になりぬ。
 +
 +驚きて、「道の間にいかなることのあるぞ。見ん」と思ひて、四日といふ日、鉢の行く方の山の峰に出でて、うかがひけるほどに、わが鉢とおぼしくて、京の方より飛び来るを、北の方より、また、あらぬ鉢の来合ひて、その入る物を移し取りて、もとの方へ帰り行くありけ
 +り。
 +
 +これを見るに、「いと安からず。さりとも」とこそ思ふに、「誰ばかりかは、わが鉢の物移し取るわざをせん。このこと、目ざましき者のしわざかな。見ん」と思ひて、わが空しき鉢を加持して、それをしるべにてなん、はるばると北をさして、雲霧(くもきり)をしのぎつつ分け入りける。
 +
 +「今は二・三百町も来ぬらん」と思ふほどに、ある谷はざまの、松風響き渡りて、いさぎよく好もしき所に、一間(ひとま)ばかりなる草の庵あり。みぎりに苔青く、軒近く清水(しみず)流れたり。内を見れば、年たかき僧の痩せ衰へたる、ただ一人居て、脇息に寄りかかりつつ経を読む。
 +
 +「いかにも、ただ人にあらず。この人のしわざなめり」と思ふほどに、浄蔵を見て言ふやう、「いづくより、いかにして来たり給へる人ぞ。おぼろけにても、人の詣で来ることも侍らぬを」と言ふ。「そのことに侍り。われは比叡の山に住み侍りける行者なり。しかるに、月日を送るはかりごとなくて、このほど、鉢を飛ばしつつ行をし侍るに、昨日・今日、ことごとしく怪しきことの侍りつれば、『憂へ申さん』とて参り来たるなり」と言ふ。僧の言ふやう、「えこそ知り侍らね。いと不便(ふびん)に侍ることかな。尋ね侍らん」とて、しのびに人を呼ぶ。すなはち、庵の後ろの方より、いらへて来る人を見れば、十五・六ばかりなる、うつくしき童子の、うるはしく唐装束したるなり。
 +
 +僧、これをいさめて言ふやう、「この仰せらるることは、なんぢがしわざか。いとあたらぬことなり。今よりは、さるわざなせそ」と言へば、顔うち赤めて、ものも言はで帰りぬ。「かく申しつれば、今は、よも、さやうのわざはつかまつらじ」と言ふ。
 +
 +浄蔵、不思議の思ひをなして、帰り去らんとする時、僧の言ふやう、「はるばると分け来たり給ひて、さだめて苦しく思すらん。しばし待ち給へ。饗応し奉らん」とて、また人を呼ぶ。同じさまなる童子、いらへて、さし出でたり。「かく遠きほどより渡り給へるに、しかるべからんもの参らせよ」と言ひければ、童子、帰り入りて、瑠璃の皿に唐梨の剥きたるを四つ入れて、檜扇の上に並べてぞ持ち来たる。「それ、それ」と勧むれば、これを取りて食ふ。味はひの旨きこと、天の甘露のごとし。わづかに一菓を食ふに、身も冷ややかに、力付きてなん思えける。
 +
 +すなはち、雲を分けつつ帰るほどに、道も近々しく見えざりければ、いづくとも思えず。「そのさま、ただ人とは見えざりき。読誦仙人なんどのたぐひにや」とぞ語りける。
 +
 +===== 翻刻 =====
 +
 +    浄蔵貴所飛鉢事
 +  浄蔵貴所ト聞ユルハ善宰相清行ノ子並ビナキ行人也。山
 +  ニテ鉢ノ法ヲ行ヒテ鉢ヲ飛シツツ過ケル比或日空シキ
 +  鉢バカリ帰来テ入ル物ナシ。アヤシク思程ニ此事ツツケ
 +  テ三日ニナリヌ。驚テ道ノ間ニ何ナル事ノアルソ見ント/n6l
 +
 +  思テ四日ト云日鉢ノ行方ノ山ノ峯ニ出テ伺ケル程ニ我
 +  鉢ト覚クテ京ノ方ヨリ飛クルヲ北ノ方ヨリ又アラヌ鉢
 +  ノキ合テ。ソノ入物ヲウツシ取テ本ノ方ヘ帰リ行アリケ
 +  リ。是ヲ見ルニイト安カラズ。サリトモトコソ思フニ。タレハ
 +  カリカハ我鉢ノ物ウツシトルワザヲセン此事目ザマシキ者
 +  ノシワザ哉見ント思テ。我カ空キ鉢ヲ加持シテ其ヲシル
 +  ベニテナン。ハルバルト北ヲ指テ雲霧ヲシノギツツ分入ケル。
 +  今ハ二三百町モキヌラント思程ニ。アル谷ハザマノ松風ヒ
 +  ビキ渡テイサギヨクコノモシキ所ニ一間バカリナル草ノ菴
 +  アリ砌ニ苔青ク軒近ク清水流レタリ。内ヲ見レハ年タ/n7r
 +
 +  カキ僧ノヤセヲトロヘタル只ヒトリ居テ脇息ニヨリカカリ
 +  ツツ経ヲヨム。イカニモ只人ニアラズ。此人ノシワザナメリト思
 +  程ニ浄蔵ヲ見テ云ヤウ。何クヨリイカニシテ来リ給ヘル
 +  人ソ。ヲボロケニテモ人ノマウデクル事モ侍ラヌヲト云。
 +  其事ニ侍リ我ハヒヱノ山ニスミ侍ケル行者也。シカルニ
 +  月日ヲ送ルハカリ事ナクテ。此程鉢ヲトバシツツ行ヲ
 +  シ侍ルニ昨日今日コトゴトシクアヤシキ事ノ侍リツレバ。
 +  ウレヘ申サントテマイリ来ルナリト云。僧ノ云様ヱコ
 +  ソシリ侍ラネ。イト不便ニ侍ル事哉尋侍ラントテ。シ
 +  ノヒニ人ヲヨフ即菴ノウシロノ方ヨリイラヘテ来ル人ヲ/n7l
 +
 +  ミレバ。十五六バカリナルウツクシキ童子ノウルハシク唐装
 +  束シタルナリ。僧是ヲイサメテ云様此仰ラルル事ハ汝
 +  ガシワザカ。イトアタラヌ事也。今ヨリハサルワザナセソ
 +  ト云ヘバ。カホウチアカメテ物モイハデ帰リヌ。カク申ツレ
 +  バ今ハヨモサヤウノワザハ仕ラジト云。浄蔵不思儀ノ思
 +  ヲナシテ帰リサラントスル時。僧ノ云ヤウ。ハルバルト分来
 +  給テ定テクルシク覚スラン。シハシ待給ヘ饗応シ奉ラ
 +  ントテ。又人ヲヨフ同シサマナル童子イラヘテサシ出タリ。
 +  カクトヲキ程ヨリワタリ給ヘルニシカルベカラン物マイラ
 +  セヨト云ケレバ。童子帰リ入テ。ルリノサラニ唐梨ノムキ/n8r
 +
 +  タルヲ四イレテ檜扇ノ上ニ並テゾ持来。其ソレトススムレ
 +  ハ是ヲ取テクフ。味ノムマキ事天ノ甘露ノ如シ。ワヅカニ
 +  一菓ヲクフニ身モ冷ニ力ツキテナン覚ヘケル。即雲ヲ
 +  分ツツ帰ルホドニ道モチカヂカシク見ヘザリケレバ何トモ
 +  覚ヘズ。ソノサマ只人トハ見ヘザリキ読誦仙人ナントノ類ヒ
 +  ニヤトゾ語リケル/n8l
  
text/hosshinju/h_hosshinju4-02.txt · 最終更新: 2017/05/13 19:19 by Satoshi Nakagawa