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発心集
第三第8話(33) 蓮花城、入水の事
校訂本文
近ごろ、蓮花城といひて、人に知られたる聖ありき。
卜蓮法師1)あひ知りて、ことにふれ、情けをかけつつ過ぎけるほどに、年ごろありて、この聖の言ひけるやうは、「今は年にそへつつ弱くなりまかれば、死期(しご)の近付くこと疑ふべからず。終り正念にてまかり隠れんこと、極まれる望みにて侍るを、心の澄む時、入水(じゆすい)をして、終り取らんと侍る」と言ふ。卜蓮、聞き驚きて、あるべきことにもあらず。『今一日なりとも、念仏の功を積まん』とこそ願はるべけれ。さやうの行は、愚痴なる人のするわざなり」と言ひて、いさめけれど、さらにゆるぎなく思ひかためたることと見えければ、「かく、これほど思ひ取られたらんに至りては、留むるに及ばず。さるべきにこそあらめ」とて、そのほどの用意なんど、力を分けて、もろともに沙汰しけり。
つひに、桂川の深き所に至りて、念仏高く申し、時経て水の底に沈みぬ。その時、聞き及ぶ人、市のごとく集まりて、かつは貴(たつと)み、悲しぶことかぎりなし。卜蓮は、「年ごろ見なれたるものを」と、あはれに思えて、涙を押さへつつ帰りにけり。
かくて、日ごろ経るままに、卜蓮、物の怪めかしき病をす。あたりの人、怪しく思ひて、こととしけるほどに、霊(れい)現はれて、「ありし蓮花城」と名乗りければ、「このこと、げにと思えず。年ごろあひ知りて、終りまでさらに恨みらるべきことなし。いはんや、発心のさま、なほざりならず、貴くて終り給ひしにあらずや。かたがた、何のゆゑにや、思はぬさまにて来たるらん」と言ふ。
物の怪の言ふやう、「そのことなり。よく制し給ひしものを、わが心のほどを知らで、いひかひなき死にをして侍り。さばかり、人のためのことにもあらねば、『そのきはにて、思ひ返すべし』とも思えざりしかど、いかなる天魔のしわざにてありけん、まさしく水に入らんとせし時、たちまちに悔しくなんなりて侍りし。されども、さばかりの人中に、いかにしてわが心と思ひ返さん。『あはれ、ただ今制し給へかし』と思ひて、目を見合はせたりしかど、知ぬ顔(がほ)にて、『今は、疾く疾く』ともよほして、沈みてん恨めしさに、何の往生のことも覚えず。すずろなる道に入りて侍るなり。このこと、わが愚かなる過(とが)なれば、人を恨み申すべきならねど、最期に『口惜し』と思ひし一念によりて、かく詣で来たるなり」と言ひける。
これこそ、げに宿業と思えて侍れ。かつはまた、末の世の人の誡(いましめ)となりぬべし。人の心、はかりがたきものなれば、必ずしも、清浄・質直の心よりもおこらず。あるいは、勝他名聞にも住し、あるいは憍慢嫉妬をもととして、愚かに、「身灯・入海するは、浄土に生まるるぞ」とばかり知りて、心のはやるままに、かやうの行を思ひ立つことし侍りなん。すなはち、外道の苦行に同じ。大きなる邪見と言ふべし。
そのゆゑに、火・水に入る苦しみ、なのめならず。その心ざし、深からずは、いかが耐え忍ばん。苦患あれば、また心安からず。仏の助けより外には、正念ならんこと、極てかたし。
中にも、愚なる人のことぐさまで、「身灯はえせじ。水にはやすくしてん」と申し侍るめり。すなはち、よそ目なだらかにて、その心知らぬゆゑなるべし。ある聖の語りしは、「かの水に溺れて、すでに死なんとつかまつりしを、人に助けられて、からうじて生きたること侍りき。その時、鼻・口より水入りて、責めしほどの苦しみは、『たとひ地獄の苦なりとも、さばかりこそは』と思え侍りしか。しかるを、人の、水を安きことと思へるは、いまだ水の人殺す様を知らぬなり」と申し侍りし。
ある人のいはく、「もろもろの行ひは、みな、わが心にあり。みづから勤めて、みづからが知るべし。よそには、はからひがたきことなり。すべて、過去の業因も、未来の果報も、仏天加護もうち傾(かたむ)きて、わが心のほどを安くせば、おのづから推し量られぬべし。かつがつ、一ことを顕す。もし、人、仏道を行なはんために、山林にもまじはり、一人壙野(くわうや)の中にもをらん時、なほ身を恐れ、寿(いのち)を惜しむ心あらば、必ずしも、仏、擁護(おうご)し給ふらんとは頼むべからず。垣・壁をもかこひ、遁るべきかまへをして、みづから身を守り、病を助けて、やうやう進まんことを願ひつべし。もし、ひたすら『仏に奉りつる身ぞ』と思ひて、虎・狼来たりて犯すとも、あながちに恐るる心なく、食ひ物絶えて餓ゑ死ぬとも、憂(うれ)はしからず思ゆるほどになりなば、仏も必ず擁護し給ひ、菩薩も聖衆も来たりて、守り給ふべし。法の悪鬼も、毒獣も、便りを得べからず。盗人は念を起して去り、病は仏力によりて癒えなん。これを思ひ分かず、心は心として浅く、仏天の護持を頼むは、危ふきことなり」と語り侍りし。このこと、さもと聞こゆ。
翻刻
蓮花城入水事 近比蓮花城と云て人に知れたる聖ありき卜蓮法師/n16l
あひ知て事にふれ情をかけつつ過ける程に年比ありて此 聖の云ける様は。今は年にそへつつよはくなり罷れば。死期の近 付事疑べからず。をはり正念にて罷かくれん事極れる望み にて侍るを心のすむ時入水をして。をはり取んと侍ると云卜 蓮聞驚て可有事にも非ず今一日なりとも念仏の功を 積んとこそ願はるべけれ。さ様の行は愚痴なる人のするわざ也 と云て。いさめけれど更にゆるぎなく思ひ堅たる事と見へけ れば。かく是程思取れたらんに至ては留むるに不及さるべきに こそあらめとて其程の用意なんど力を分て。もろともに沙 汰しけり終に桂河の深き所に至て念仏たかく申し。時へ/n17r
て水の底に沈みぬ其時聞及ふ人市の如く集りて且は 貴み悲ふ事限なし卜蓮は年ごろ見なれたる物をと 哀に覚て涙を押つつ帰にけり。かくて日比ふるままに卜蓮 物のけめかしき病をす。あたりの人あやしく思て。こととしけ る程に霊あらはれてありし蓮花城と名のりければ此事 げにと覚へず。年ころ相しりてをはりまて更に恨らるべき事 なし況や発心のさまなをざりならず貴くてをはり給ひしに 非すや。かたかた何の故にや思はぬさまにて来るらんと云ふ物 のけの云やう其事也よく制し給ひし物を我心の程を しらで云甲斐なき死にをして侍り。さばかり人の為の事/n17l
にもあらねば其きはにて思かへすべしとも覚へざりしかど。い かなる天魔のしわざにて有けん。まさしく水に入んとせし時 忽にくやしくなんなりて侍し。されどもさばかりの人中に いかにして我心と思かへさん。哀たた今制し給へかしと 思て目を見合たりしかど。知ぬがほにて今はとくとくと もよをして沈てん恨めしさに何の往生の事もをぼへず。 すすろなる道に入て侍る也。此事我愚なる過なれは人を 恨申べきならねど。最期に口惜と思し一念によりて。かく まうで来るなりと云ける是こそげに宿業と覚へて侍 れ且は又末の世の人の誡となりぬべし。人の心はかりがた/n18r
き物なれば必しも清浄質直の心よりもをこらず或は勝他 名聞にも住し或は憍慢嫉妬をもととして。をろかに身灯 入海するは浄土に生るるぞと計しりて。心のはやるままに加様 の行を思立事し侍りなん則外道の苦行にをなじ大 なる邪見と云べし。其故に火水に入。くるしみなのめならず 其心ざし深からずは如何かたえ忍ばん。苦患あれば又心やす からず仏の助より外には正念ならん事極て堅し。中にも 愚なる人のことくさまで身灯はえせじ水には安してんと申 侍めり則余所目なだらかにて其心しらぬゆへなるべし或 聖の語しは彼水にをぼれて既に死なんと仕しを人に/n18l
助られて。からうしていきたる事侍りき。その時はな口よ り水入て責し程のくるしみは。たとゐ地獄の苦なりとも さばかりこそはと覚へ侍りしか。然を人の水を安事と思 へるは未だ水の人殺す様をしらぬ也と申侍りし。或人の云 諸の行ひは皆我心にあり。みつから勤て自か知へし余所 にははからひ難き事也都て過去の業因も未来の果報 も仏天加護もうち傾きて我心のほどを安せば。をのづ からをしはかられぬべし且々一ことを顕す若人仏道を行 なはん為に山林にもまじはり。ひとり壙野の中にもをらん 時猶身を恐れ寿を惜心あらば必しも仏擁護し給/n19r
らんとは憑べからず。かきかべをもかこゐ遁べきかまへを して。自ら身を守り病をたすけて。やうやうすすまん事 を願つべし若ひたすら仏に奉りつる身ぞと思て。虎を ほかみ来りて犯すとも。あながちに恐るる心なく食物 たえてうえ死ぬとも。うれはしからず覚る程になりなば仏も 必ず擁護し給菩薩も聖衆も来りて守り給ふべし 法の悪鬼も毒獣も便を得べからず。ぬす人は念を起し てさり。病は仏力によりていゑなん。是を思わかず心は心と してあさく。仏天の護持をたのむは。あやうき事也とか たり侍りし。此事さもときこゆ/n19l