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発心集

第三第6話(31) 或る女房、天王寺に参り、海に入る事

校訂本文

鳥羽院1)の御時、ある宮腹に、母と女(むすめ)と同じ宮仕へする女房ありけり。年ごろ経て後、女、母に先立ちてはかなくなりにけり。歎き悲しむことかぎりなし。しばしは、かたへの女房も、「さこそ思ふらめ。ことわりぞ」なんど言ふほどに、一年・二年ばかり過ぎぬ。

その歎き、さらにおこたらず。やや日にそへて、いやまさりゆけば、折悪しき時も多かり。こと忌みすべきころをも分かたず、涙をおさへつつ明かし暮らすを、人目もおびただしく、はてには、「このことこそ心得ね。おくれ先立つ習ひ、今初めけることかは」なんど、口やすからずざざめきあへり。

かくしつつ、三年といふ年、ある暁に、人にも告げず、白地(あからさま)なるやうにて、まぎれ出で、衣(きぬ)一つ、手箱一つばかりをなん袋に入れて、女の童に持たせたりける。京をば過ぎて、鳥羽の方へ行けば、この女の童、心得ず思ふほどに、なほなほ行き行きて、日暮れぬれば、橋本といふ所に留(とど)まりぬ。明けぬれば、また出でぬ。

からうじて、その夕べ、天王寺へ詣で着きたりける。さて、人の家借りて、「ここに、『七日ばかり念仏申さばや』と思ふに、京よりはその用意もせず。ただわが身と、女の童とぞ侍る」とて、この持ちたりける衣を、一つ脱ぎて取らせたりければ、「いと安きこと」とて、家主(いへぬし)なん、そのほどのことは用意しける。

かくて、日ごとに堂に参りて、拝みめぐるほどに、また、こと思ひせず。一心に念仏を申したりける。手箱・衣(きぬ)二つとは、御舎利に奉りぬ。

七日に満ちては、「京へ帰るべきか」と思ふほどに、「かねて思ひしより、いみじく心も澄みて、たのもしく侍り。このついでに、今七日」とて、また衣一つ取らせて、二七日になりぬ。

その後、聞けば、「三七日になし侍らん」とて、なほ衣を取らせければ、「何かは。かく、度(たび)ごとに御用意なくとも、先に給はせたりしにても、しばしは侍ぬべし」と言へど、「さりとて、この料(れう)に具したりし物を、持ちて帰るべきにあらず」とて、強ひてなほ取らせつ。三七日が間、念仏すること、二心(ふたごころ)なし。

日数満ちて後、言ふやう、「今は京に上るべきにとりて、音に聞く難波の海のゆかしきに、見せ給ひてんや」と言へば、「いと安きこと」とて、家の主(あるじ)、しるべして、浜に出でつつ、すなはち舟にあひ乗りて、漕ぎありく。「いとおもしろし」とて、「今少し、今少し」と言ふほどに、をのづから沖に遠く出でにけり。

かくて、とばかり西に向ひて、念仏することしばしありて、海にづぶと落ち入りぬ。「あな、いみじ」とて、まどひして、取り上げんとすれど、石などを投げ入るるがごとくにして、沈みぬれば、「あさまし」とあきれ騒ぐほどに、空に雲一むら出で来て、舟にうち覆ひて、香ばしき匂ひあり。家主、いと貴く、あはれにて、泣く泣く漕ぎ帰りにけり。

その時、浜に人の多く集りて、ものを見あひたるを、知らぬ様にて問ひければ、「沖の方に、紫の雲、立ちたりつる」なんど言ひける。

さて、家に帰りて、跡を見るに、この女房の手にて、夢の有様を書き付けたり。「初めの七日は、地蔵・龍樹来たりて、迎へ給ふと見る。二七日には普賢・文殊迎へ給ふと見る。三七日には、阿弥陀如来、もろもろの菩薩とともに来たりて、迎へ給ふと見る」とぞ、書き置きたりける。

翻刻

  或女房参天王寺入海事
鳥羽院ノ御時アル宮腹ニ母トムスメト同シ宮ヅカヘスル
女房アリケリ。年比ヘテ後女母ニサキ立テハカナク
成ニケリ。歎キカナシム事限ナシ。シバシハ。カタヘノ女房モ
サコソ思ラメ理リゾナンド云程ニ一年二年バカリスギヌ/n10l
其歎更ニヲコタラズ。ヤヤ日ニソエテイヤマサリユケバ折ア
シキ時モ多カリ。コトイミスベキ比ヲモ分ズ涙ヲオサヘ
ツツ。アカシ暮スヲ人目モヲビタタシク。ハテニハ此事コソ心
得ネ。ヲクレ先立ナラヒ今初ケル事カハナンド口ヤスカ
ラズザザメキアヘリ。カクシツツ三年ト云年。アル暁ニ人ニ
モツゲズ白地ナル様ニテ。マギレイデキヌ一ツテバコ一ツ
計ヲナン袋ニ入テ。メノワラハニモタセタリケル京ヲハ過
テ鳥羽ノ方ヘ行バ。此メノ童心ヘス思フ程ニナヲナヲユキ
ユキテ日暮ヌレバ橋本ト云所ニ留リヌ。明ヌレハ又イテ
ヌ。カラウシテ其夕ベ天王寺ヘマウデツキタリケル。サテ/n11r
人ノ家カリテ是ニ七日ハカリ念仏申バヤト思ニ京ヨ
リハ其ノ用意モセズタタ我身ト。メノ童トゾ侍ルトテ
此持タリケル衣ヲ一ツヌギテトラセタリケレバ。イト
安キ事トテ家主ナン其程ノ事ハ用意シケル。
カクテ日毎ニ堂ニマイリテ。ヲガミメグル程ニ又コト思
セズ。一心ニ念仏ヲ申タリケル手箱。キヌ二トハ御舎
利ニ奉リヌ七日ニミチテハ京ヘ帰ルベキカト思程ニ
兼テ思シヨリイミシク心モスミテ。タノモシク侍リ此次
ニ今七日トテ又衣一トラセテ二七日ニナリヌ。其後聞
ハ三七日ニナシ侍ラントテ猶キヌヲトラセケレバ。ナニカ/n11l
ハカクタビゴトニ御用意ナクトモ。サキニ給ハセタリシニテ
モ。シバシハ侍ヌベシト云ヘド。サリトテ此料ニ具シタリシ
物ヲ持テ帰ルベキニ非ズトテ。シヰテ猶トラセツ。三七日
ガ間タ念仏スル事二心ナシ。日数ミチテ後云ヤウイマ
ハ京ニ上ルベキニトリテ音ニキク難波ノ海ノ床敷ニ見
セ給テンヤト云ヘバ。イト安キ事トテ家ノアルジ。シルベ
シテ浜ニ出ツツ則舟ニアヒノリテコギアリク。イト面白ト
テ今少シ今少シト云程ニ。ヲノヅカラ澳ニ遠ク出ニケリ。カク
テトバカリ西ニ向テ念仏スル事シバシアリテ海ニヅブト
落入ヌ。アナイミジトテ。マトヒシテトリアケントスレド石/n12r
ナドヲナゲ入カ如クニシテ沈ヌレバ。アサマシトアキレサハ
グ程ニ空ニ雲一村出来テ舟ニウチヲホヒテカウハシ
キ匂アリ。家主イト貴クアハレニテ泣々コギ帰ニケ
リ。ソノ時浜ニ人ノオホク集リテ物ヲ見会タルヲ知ヌ
様ニテ問ケレバ。ヲキノ方ニ紫ノ雲立タリツルナント云
ケル。サテ家ニ帰テアトヲ見ルニ。此女房ノ手ニテ夢ノ
アリ様ヲ書付タリ。初ノ七日ハ地蔵龍樹来リテ向ヘ
給ト見ル。二七日ニハ普賢文殊向給トミル。三七日ニハ
阿弥陀如来諸ノ菩薩ト共ニ来リテ向給ト見ルトゾ
書置タリケル/n12l
1)
鳥羽天皇
text/hosshinju/h_hosshinju3-06.txt · 最終更新: 2017/05/03 15:56 by Satoshi Nakagawa
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