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発心集

第二第13話(25) 善導和尚、仏を見る事

校訂本文

唐の善導和尚は、道綽の御弟子なり。しかあれど、その師にも越えて、定(ぢやう)のうちに、阿弥陀1)を見奉り、おぼつかなきことを問ひ奉り、証を得給へり。

師の道綽、善導にあつらへていはく、「われ、朝夕(てうせき)、往生極楽を願ふことはかなひなむや。これ、きはめておぼつかなし。仏に問ひ奉りて、聞かせ給へ」とのたまひければ、たちまちに定に入つて、このことを問ひ奉る。

仏ののたまはく、「木を切るには、斧を下(くだ)す。家に帰るには、苦を辞することなし」とのたまふ。この二つのことを聞きて、道綽に語り給ひけりとなむ。

かくいへる意(こころ)は、木を切るには、いかに大なる木といへども、たゆみなくこれを切れば、つひにとして切り倒さずといふことなし。怠りて、切り休むべからず。家に帰るには、また、「苦し」とて、中(ちう)にとどまることなかれ。這(は)ふ這ふも、必ず行き付くべし。

志深くして怠ずは、疑ひあらざる由(よし)を教へ給へるなり。このこと、道綽に限るべからず。もろもろの行者、同じかるべし。

翻刻

  善導和尚見仏事
唐ノ善導和尚ハ道綽ノ御第子也。然アレド其師
ニモ越テ定ノ中ニ阿弥陀ヲ見タテマツリ。覚束ナキ
事ヲ問タテマツリ証ヲ得給ヘリ。師ノ道綽善導
ニアツラヘテ云我朝夕往生極楽ヲ願事ハ叶ナムヤ
此極テヲホツカナシ。仏ニ問タテマツリテキカセ給ヘ
トノ給ヒケレバ。忽ニ定ニ入テ此事ヲ問タテマツル仏/n26l
ノノ給ハク木ヲ切ニハ斧ヲクダス。家ニカヘルニハ苦ヲ辞
スル事ナシトノ給フ。此二ノ事ヲ聞テ道綽ニカタリ
給ヒケリトナム。カク云ヘル意ハ木ヲ切ニハイカニ大ナル
木トイヘトモ。タユミナク是ヲ切レバ終ニトシテ切タヲサ
ズト云事ナシ。怠テ切ヤスムヘカラズ。家ニ帰ニハ又クルシ
トテ中ニトトマル事ナカレ。ハフハフモ必行付ベシ志深シ
テ怠ズハ疑アラサル由ヲ教給ヘルナリ此事道綽ニ限
ベカラズモロモロノ行者ヲナジカルベシ
発心集二巻終/n27r
1)
阿弥陀如来
text/hosshinju/h_hosshinju2-13.txt · 最終更新: 2017/04/25 19:33 by Satoshi Nakagawa
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