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発心集
第二第8話(20) 真浄房、暫く天狗になる事
校訂本文
近ごろ、鳥羽の僧正1)とて、やむごとなき人おはしけり。その弟子にて、年ごろ同宿したりける僧あり。名をば真浄房とぞいひける。
往生を願ふ心深くして、師の僧正に聞こへけるやう、「月日にそへて、後世の恐しく侍れば、『修学の道を捨てて、ひとへに念仏をいとなまむ』と思ひ侍るに、折りよく、法勝寺の三昧あきて侍り。かしこに申しなし給へ。身を非人になして、かの三昧のことに命を続いで、後世を取り侍らん」と聞こえければ、「かく思ひ取り入る、あはれなり」とて、すなはち申しなされにけり。
そののち、本意(ほんい)のごとく、のどかに三昧僧坊に居て、ひまなく念仏して日月を送る。
隣の坊に、叡泉坊といふ僧、同じく後世を思へるにとりて、その勤め異(こと)なり。かれは地蔵を本尊として、さまざまに行ひぬ。もろもろのかつたゐをあはれみて、朝夕(てうせき)物を取らす。真浄房が方には、阿弥陀を頼み奉りて、ひまなく名号を称へ、極楽を願ふ。これまた、乞食をあはれみければ、さまざまの乞食ども、きほひ集まる。二人の道心者は、ま近く垣を一つ隔てたれども、おのおの習ひにければ、かつたいもこなたへ影ささず、乞食も隣へ望むことなし。
かかるほどに、かの僧正2)、病を受けて、限りになり給へる由を聞きて、真浄房、訪(とぶら)ひに詣でたりけり。ことのほかに弱くなりて、臥し給へる所に呼び入れて、「年ごろ、むつまじう思ひ習はせるを、この二・三年、うとうとしくなれるだに、恋しく思えつるに、今長く別れなむとす。今日や限りならむ」と、言ひもやらず泣かれければ、真浄房、いとあはれに思えて、涙を押へて、「さな思し召しそ。今日こそ別れ奉るとも、後世には必ず会ひてつかうまつるべきなり」と聞こゆ。「かく同心に思ひけるこそ、いとど嬉しけれ」とて、臥し給ひぬれば、泣く泣く帰りぬ。そののち、ほどなく、僧正隠れ給ひにけり。
かくて、年ごろ経るほどに、隣の叡泉房、心地悩ましくて、二十四日の暁に、地蔵の御名を唱へて、いとめでたく終りぬれば、見聞(けんもん)の人、貴みあへり。
この真浄房、劣らぬ後世者なりければ、「必ず往生人なり」と定むるほどに、二年(ふたとせ)ばかりあつて、いと心得ず物狂はしき病をして、隠れにけり。
あたりの人、あやしく、本意なきことに思ひつつ、年月を送るほどに、老ひたる母の、おくれゐて歎きけるが、また物めかしきことどもありけるを、親しき人ども集りて、もて騒ぐほどに、この母が言ふやう、「われはことなる物の怪にあらず。失せにし真浄房が詣で来たるなり。わがありさまを、誰も心得がたく思はれたれば、かつは、そのことをも聞こえんとなり。われ、ひとへに名利を捨てて、後世の勤めよりほかにいとなみなかりしかば、生死にとどまるべき身にてはなきを、わが師の僧正の別を惜しみ給ひし時、『後世には必ず参り合うて、随(したが)ひ奉らむ』と聞こえたりしことを、今、券契のごとくして、『さこそ言ひしが』とて、いかにもいとまを給はせぬによりて、思はぬ道に引き入られ侍るなり。ひとへに仏のごとく頼み奉りしままに、由(ゆゑ)なきことを申して、かく思ひのほかなることこそ侍りつれ。ただ、天狗と申すことは、あることなり。来年、六年に満ちなんとす。『かの月めに、かまへてこの道を出でて、極楽へ参らばや』と思ひ給へるに、必ず障りなく、苦患まぬかるべきやうにとぶらひ給へ。さても、世に侍りし時、『本意のごとく、おくれ奉るならば、母の御ため、善知識となりて、後世をとぶらひ奉らむ。もしまた、思ひのほかに先立ち参らせば、引摂(いんぜふ)し奉らん』とこそ、願ひ侍りしか。思はざるに、今、かかる身となりて、近付き詣で来るにつけても、悩まし奉るべし」とは言ひもやらず、さめざめと泣く。聞く人、さながら涙を流して、あはれみあへり。
とばかりのどかに物語りしつつ、あくびたびたびして、例ざまになりにければ、仏経なんど、心の及ぶほど書き供養しけり。
かかるほどに、年もかへりぬ。その冬になつて、また、その母わづらふ。とかく言ふあひだに、母が言ふやう、「誰々も、さばかりありし真浄房が、また詣で来たるぞ。そのゆゑは、『真心に、後世とぶらひ給へる嬉しさも聞こへん』と思ひ給ふ上に。暁、すでに得脱し侍り。いかんとなれば、そのしるし、見せ奉らんためなり。日ごろ、わが身の臭く穢らはしき香、かぎ給へ」とて、息をためて吹き出だしたるに、一家(いつけ)の内、臭くて、耐へ忍ぶべくもあらず。
さて、夜もすがら物語りして、暁に及びて、「ただ今ぞ。すでに不浄身をあらためて、極楽へ参り侍る」とて、また息をしたりければ、そのたびは香ばしく、家の内、香り満ちたりけり。
それを聞く人、「たとひ行徳高き人なりとも、『必ずこれに値遇せん』といふふ誓ひをば、起すまじかりけり。かれは取りはづして、悪しき道に入りたれば、あへなくかかるわざなり」とぞ言ひける。
翻刻
真浄房暫作天狗事 近来鳥羽の僧正とてやむ事なき人をはしけり。其第 子にて年来同宿したりける僧あり。名をは真浄房 とそ云ける。往生を願心深くして師の僧正に聞へけ る様月日にそへて後世のをそろしく侍れは。修学の道 をすてて偏に念仏をいとなまむと思ひ侍へるに。折よく 法勝寺の三昧あきて侍り彼に申成給へ身を非人/n18l
に成て彼三昧の事に命を続て後世をとり侍 らんと聞ければ。かく思ひ取いる哀也とて則申成れに けり。其後本意の如くのどかに三昧僧坊に居てひま なく念仏して日月を送る。隣の坊に叡泉坊と 云僧同く後世を思へるにとりて其勤異也彼は地 蔵を本尊としてさまざまに行ぬ。諸のかつたいをあはれみ て朝夕物をとらす。真浄房か方には阿弥陀を憑み 奉てひまなく名号をとなへ極楽を願ふ是又乞食 をあはれみければさまざまの乞食ともきをひ集る。二人の道 心者はまちかく垣を一へだてたれども。各習ひにければ。/n19r
かつたいもこなたへ影ささす。乞食も隣へ望む事なし かかる程に彼僧正病を受てかきりに成給へる由を 聞て真浄房訪にまうてたりけり。事の外によはく成て 臥給へる処によひ入て。年来むつましふ思ならはせるを。此 二三年うとうとしく成たに恋しく覚へつるに。今長く別なむ とす。今日やかきりならむと云もやらずなかれければ真浄房 いと哀に覚へて涙をおさへて。さな覚しめしそ今日こそ 別れ奉るとも後世には必ずあひてつかふまつるべき也と 聞ゆ。かく同心に思けるこそいととうれしけれとて。臥給ぬ れはなくなく帰ぬ。其後程なく僧正かくれ給にけり。かく/n19l
て年来ふる程に隣の叡泉房心地なやましくて。廿四 日の暁に地蔵の御名を唱て。いと目出度をわり ぬれは見聞の人貴みあへり。此真浄房をとらぬ後世 者なりけれは必往生人なりと定る程にふたとせはかり有 ていと心ず物くるはしき病をしてかくれにけり。 あたりの人あやしく本意なき事に思つつ年月をおくる 程に。老たる母のをくれゐてなけきけるが。又物めかしき事 ども有けるを。したしき人とも集てもてさはく程に。此 母か云様我はことなる物のけに非ず。うせにし真浄房 かまうで来也。我ありさまを誰も心ゑがたく思はれた/n20r
れば且は其事をも聞へんと也。我偏に名利をすてて 後世の勤より外にいとなみ無しかは生死にととまる べき身にては無を。我師の僧正の別をおしみ給し 時。後世には必す参合て随ひ奉らむと聞へたりし事 を今券契の如くしてさこそ云しがとて。いかにもいとま を給はせぬによりて。思はぬ道に引入られ侍る也。偏に 仏の如く憑み奉りしままに。由なき事を申てかく 思の外なる事こそ侍つれ。但天狗と申事はある事也。 来年六年に満なんとす。彼月めにかまへて此道を出 て極楽へ詣はやと思給へるに必さはりなく苦患まぬか/n20l
るべき様に訪ひ給へ。さても世に侍へりし時本意の如 くをくれ奉るならば。母の御ため善知識となりて 後世を訪ひ奉らむ。若又思の外に先立参せは引 摂し奉らんとこそ願侍へりしか。思はさるに今かかる身と 成てちかつきまうてくるに付ても。なやまし奉るべしとは云 もやらず。さめざめと泣く。聞人さながら涙を流て哀み あへり。とばかりのとかに物かたりしつつ。あくび度々してれい さまに成にければ仏経なんど心の及ふ程かき供養し けり。かかる程に年もかへりぬ。其冬に成て又其母 わつらふ。とかく云あひたに母か云様。誰々もさばかり有し/n21r
真浄房か又まうで来たるぞ。其故は真心に後世訪ひ 給へるうれしさも聞へんと思給ふ上に。暁すてに得脱 し侍へり。いかんとなれば其しるし見せ奉らんため也日比我 身のくさくけからはしき香かき給へとて。いきをためて吹 出したるに一家の内くさくてたへ忍ふべくも非す。さて 夜もすがら物がたりして暁に及て唯今そ。既に不浄 身を改めて極楽へ詣侍べるとて又いきをしたりけれ ば。其度は香ばしく家の内かほりみちたりけり其を 聞人たとひ行徳高き人なりとも必是に値遇せんと 云ふちかひをは起すまじかりけり。彼は取はづして悪き/n21l
道に入たれば。あへなくかかるわざなりとぞ云ける/n22r