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発心集

第二第2話(14) 禅林寺永観律師の事

校訂本文

永観律師といふ人ありけり。年ごろ、念仏の志深く、名利を思はず、世捨てたるかごとくなりけれど、さすがにあはれにも、つかまつり知れる人を忘れざりければ、ことさら深山を求むる事もなかりけり。東山禅林寺といふ所に籠居しつつ、人に物を貸してなむ日を送るばかり、ことにしける。

借る時も、返す時も、ただ、来たる人の心にまかせて沙汰しければ、なかなか、「仏の物を」とて、いささかも不法の事はせざりけり。いたく貧しき者の、返さぬをば、前に呼び寄せて、物のほどにしたがひて、念仏を申させてぞあがはせける。

東大寺別当の空きたりけるに、白河院、この人をなし給ふ。聞く人、耳を驚かして、「よも受け取らじ」と言ふほどに、思はずにいなび申すことなかりけり。

その時、年ごろの弟子・使はれし人なんども、「我も、我も」と争ひて、東大寺の荘園を望みにけれども、一所(いつしよ)も人のかへりみにもせずして、みな寺の修理(しゆり)の用途に寄せられたりける。みづから本寺に行き向ふ時には、異様(ことやう)なる馬に乗つて、かしこにいるべきほどの時料、小法師に持たせてぞ入りける。

かくしつつ、三年の内に、修理事(こと)終りて、すなはち辞し申す。君、またとかくの仰せもなくて、異人(ことひと)をなされにけり。

よくよく人の心を合せたるしわざのやうなりければ、時の人は、「寺の破れたることを、『この人ならでは、心やすく沙汰すべき人もなし』と思し召して、仰せつけけるを、律師も心得給ひたりけるなんめり」とぞ言ひける。

深く罪を恐れけるゆゑに、年ごろ、寺のこと行ひけれど、寺物(じもつ)をつゆばかりも自用のことなくてやみにけり。

この禅林寺に梅の木あり。実なるころになりぬれば、これをあだに散らさず、年ごとに取つて、薬王寺1)といふ所に多かる病人に、日々(にちにち)といふばかりに施(ほどこ)させられければ、あたりの人、この木を、「悲田梅(ひでんばい)」とぞ名付けたりける。

今も、ことのほかに古木になりて、花もわづかに咲き、木立(こだち)もかしげつつ、昔の形見に残りて侍るとぞ。

ある時、かの堂に客人(きやくじん)の詣で来たりけるに、算をいくらともなく置き広げて、人には目もえかけざりければ、客人の思ふやう、「『律師は出挙をして、命つぐばかりをことにし給へり』と聞くに、あはせて、その利のほど数へ給ふにこそ」と見居るほどに、置きはてて、取り納めて、対面せらる。

そのとき、「算置き給ひつるは、何の御用ぞ」と問ひければ、「年ごろ申し集めたる念仏の、数のおぼつかなくて」とぞ答へられける。

さまで驚くべきことならねど、主(ぬし)からに、貴く思えし。のちに人の語りけるなり。

翻刻

  禅林寺永観律師事
永観律師ト云人アリケリ。年来念仏ノ志深ク名
利ヲ思ハズ世捨タルカ如クナリケレド。サスガニ哀レニ
モツカマツリシレル人ヲワスレザリケレバ。殊更深山ヲ
求ル事モナカリケリ。東山禅林寺ト云処ニ籠居
シツツ。人ニ物ヲカシテナム日ヲオクルバカリ事ニシケル。/n5r
カル時モ返ス時モ唯キタル人ノ心ニマカセテ沙汰
シケレバ。中々仏ノ物ヲトテ聊モ不法ノ事ハセザ
リケリ。イタクマヅシキ物ノ返サヌヲバ。前ニヨヒヨセテ
物ノ程ニ随テ念仏ヲ申サセテゾアガハセケル。東大
寺別当ノアキタリケルニ。白河院此人ヲ成給フ。聞
人耳ヲ驚シテ。ヨモウケトラジト云程ニ思ハスニイナ
ヒ申ス事ナカリケリ。其時年来ノ第子ツカハレシ人
ナムド我モ我モトアラソヒテ東大寺ノ庄園ヲ望ニ
ケレドモ。一所モ人ノカヘリミニモセズシテ。皆寺ノ修理
ノ用途ニヨセラレタリケル。自ラ本寺ニ行向時ニハコト/n5l
ヤウナル馬ニ乗テ彼コニヰルベキ程ノ時料小法師ニ
持セテソ入ケル。カクシツツ三年ノ内ニ修理事ヲワリテ
即辞シ申ス。君又トカクノ仰モナクテコト人ヲナサレ
ニケリ。能々人ノ心ヲ合セタルシワザノ様也ケレハ時ノ
人ハ寺ノ破レタル事ヲ此人ナラデハ心ヤスク沙汰
スベキ人モ無ト覚シ召テ仰付ケルヲ律師モ心得給
タリケルナムメリトゾ云ケル。深ク罪ヲ恐ケル故ニ年
来寺ノ事ヲコナヒケレド。寺物ヲ露ハカリモ自用ノ
事ナクテヤミニケリ。此禅林寺ニ梅ノ木アリ。実ナル
比ニ成ヌレバ。此ヲアタニ散サズ。年コトニ取テ䒬王/n6r
寺ト云処ニヲホカル病人ニ日々ト云ハカリニ施セ
ラレケレバ。アタリノ人此木ヲ悲田梅トゾ名タリケル。
今モ事ノ外ニ古木ニナリテ華モワヅカニサキ。木立モ
カシケツツ昔ノ形見ニノコリテ侍ベルトソ。或時彼堂
ニ客人ノマウテ来タリケルニ。筭ヲイクラトモナクヲキ
ヒロゲテ。人ニハ目モヱカケザリケレバ。客人ノ思様律
師ハ出挙ヲシテ命ツグバカリヲ事ニシ給ヘリト聞ニアハ
セテ其利ノ程数ヘ給フニコソト見居ル程ニ。ヲキハ
テテ取ヲサメテ対面セラル。其時筭ヲキ給ヒツルハ何ノ
御用ゾト問ケレバ。年来申アツメタル念仏ノ数ノ覚束/n6l
ナクテトゾ答ヘラレケル。サマデ驚クベキ事ナラネド。主
カラニ貴ク覚シ。後ニ人ノカタリケルナリ。/n7r
1)
底本「䒬王寺」で「ヤクワウシ」と振り仮名。悲田院の異称か。
text/hosshinju/h_hosshinju2-02.txt · 最終更新: 2017/04/09 15:49 by Satoshi Nakagawa
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