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text:hosshinju:h_hosshinju1-12
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text:hosshinju:h_hosshinju1-12 [2017/04/05 18:02] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa
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 +発心集
 +====== 第一第12話(12) 美作守顕能の家に入り来たる僧の事 ======
 +
 +===== 校訂本文 =====
 +
 +美作守顕能((藤原顕能))のもとに、なまめきたる僧の、入り来たつて、経をよに尊く読むあり。主(あるじ)聞いて、「なにわざし給ふ人ぞ」と言ふ。近く寄つて言ふやう、「乞食(こつじき)に侍り。ただし、家ごとに物乞ひ歩(あり)く((底本「こひあく」。文意によって訂正。))わざをばつかふまつらず。西山なる寺に住み侍るが、いささか望み申すべきことありてなむ」と言ふ。
 +
 +物ざま、むげに思ひ下すべきにはあらざりければ、細やかに尋ね問ふ。「申すにつけて、いと異様(ことやう)には侍れど、ある所のなま女房を、あひ語らひて、物すすがせなんどし侍りしほどに、はからざるほかに、ただならずなりて、この月にまかり当りて侍るを、『ひとへにわが誤ちなれば、ことさらこもりゐて侍らむほど、かれが命つぐばかりの物、与へ侍らばや』と思ひ給へるが、いかにもいかにも力及び侍べらねば、『もし、御哀れみや侍る』とてなむ」と言ふ。
 +
 +ことの起りは、「げに」と思えずなれど、「さこそ、思らめ」と、いとほしく思えて、「いと安きことにこそ」とて、おしはからひて、人一人(ひといちにん)に持たせて、そへて取らせんとす。
 +
 +この僧の言ふやう、「かたがた、きはめてつつましく侍り。ことさら、そことは知らじと思ひ給へるなり。みづから持ちてまからん」とて、持たるるほど、負ひて出でぬ。
 +
 +主(あるじ)、なほ怪しく思ひて、さやうのかたに、いふかひなき者を付けてやる。様をやつして、見隠れに行きけるほどに、北山の奥にはるばると分け入りて、人も通はぬ深谷に入りにけり。一間ばかりなるあやしき柴の庵の内に入りて、物うち並べて、「あな苦し。三宝の助けなれば、安居(あんご)の食(じき)もまうけたり」と独りうち言うて、足うち洗ひて、しづまりぬ。この使、「いとめづらかにもあるかな」と聞きけり。
 +
 +日暮れて、今宵帰るべくもあらねば、木陰にやはら隠れ居にけり。夜更くるほどに、法華経を夜もすがら読み奉る声、いと尊くて、涙もとどまらず。
 +
 +明くるやおそしと立ち帰りて、主に、ありつる様を聞こえければ、驚きながら、「さればよ。ただ者にはあらずと見き」とて、重ねて消息をやる。「思ひがけず、安居の御料と承る。しかあらば、一日の物は少なくこそ侍らめ。これを奉る。なほも入らむこと候はば、必ずのたまはせよ」と言はせたりければ、経うち読みて、何とも返事(へんじ)言はざりけり。とばかり待ちかねて、物をば庵の前に取り並べて帰りぬ。
 +
 +日ごろ経て、「さても、ありつる僧こそ不審(ふしん)なりけれ」とて、訪れたりけれど、その庵には人も無くて、前に得たりし物をば、ほかへ持ち去にけるとおぼしくて、後の贈り物をば、さながら置きたりければ、鳥・獣(けだもの)、食ひ散らしたるやうにて、ここかしこにこぼれ散りてぞありける。
 +
 +まことに道心ある人は、かく、わが身の徳を隠さむと、過(とが)をあらはして、貴(たつと)まれんことを恐るるなり。もし、人、世を遁れたれども、「いみじくそむけり」と言はれん。「貴く行ふよしを聞かん」と思へば、世俗の名聞よりも甚(はなはだ)し。
 +
 +この故に、ある経に、「出世の名聞は、譬へば、血を以て血を洗ふが如し」と説けり。もとの血は、洗はれて、落ちもやすらん。知らず。今の血は、大きに汚(けが)す。愚かなるにあらずや。
 +
 +
 +===== 翻刻 =====
 +
 +    美作守顕能家入来僧事
 +  美作守顕能ノモトニナマメキタル僧ノ入来テ経ヲ
 +  ヨニタフトク読アリ。主聞テナニワサシ給フ人ゾト云。/n28l
 +
 +  近ク寄テ云様。乞食ニ侍ヘリ。但シ家コトニ物コヒア
 +  クワサヲハ仕マツラズ。西山ナル寺ニ住侍ヘルカ聊カ
 +  望ミ申ベキ事有テナムト云。物ザマムゲニ思下ヘキニハ非
 +  ザリケレバ。コマヤカニ尋問申ニ付テイト異様ニハ侍
 +  ベレド。アル所ノナマ女房ヲ相語ヒテ物ススガセナムドシ
 +  侍ヘリシ程ニ。ハカラザル外ニタタナラズ成テ此月ニマカ
 +  リ当リテ侍ベルヲ。偏ニ我アヤマチナレバ殊更コモリ
 +  ヰテ侍ヘラム程。彼カ命ツグバカリノ物アタヘ侍ラハ
 +  ヤト思給ヘルカ。イカニモイカニモ力及侍ベラネバ。若御ア
 +  ワレミヤ侍ヘルトテナムト云。事ノヲコリハゲニト覚ヘズ/n29r
 +
 +  ナレド。サコソ思ラメトイトヲシク覚ヘテ。イト安事ニコソ
 +  トテ。ヲシハカラヒテ人一人ニ持セテソヘテ取セント
 +  ス。此僧ノ云様。方々キワメテツツマシク侍ベリ。殊更ソ
 +  コトハシラジト思給ヘルナリ。自持テマカラントテ持ル
 +  ルホト負テ出テヌ。主猶アヤシク思テ左様ノ方ニ云
 +  カヒナキ者ヲ付テヤル様ヲヤツシテ見カクレニ行ケル
 +  程ニ。北山ノ奥ニハルハルトワケ入テ。人モカヨハヌ深
 +  谷ニ入ニケリ。一間ハカリナルアヤシキ柴ノ菴ノ内ニ入
 +  テ物ウチ並テ。アナクルシ三宝ノタスケナレバ安居
 +  ノ食モマウケタリト独打云テ。足ウチアラヒテシヅマリ/n29l
 +
 +  ヌ。此使イトメヅラカニモ有哉ト聞ケリ。日暮テコ
 +  ヨヒ帰ベクモ非ネハ。木陰ニヤワラカクレ居ニケリ。夜フクル
 +  程ニ法華経ヲヨモスガラ読奉ル声イトタフトクテ
 +  泪モトトマラズ。明ルヤヲソシト立帰リテ主ニ有ツル
 +  様ヲ聞ヘケレバ。驚ナカラサレハヨタタ者ニハ非ト見キトテ。
 +  重テ消息ヲヤル。思カケス安居ノ御料ト承ル。シカア
 +  ラハ一日ノ物ハスクナクコソ侍ラメ。此ヲ奉ル猶モ入
 +  ラム事候ハハ。カナラスノ給ハセヨトイハセタリケレバ。経ウチ
 +  読テ何トモ返事云ザリケリ。トバカリ待カネテ物ヲ
 +  ハ庵ノ前ニ取並テ帰リヌ。日来経テサテモ有ツル/n30r
 +
 +  僧コソ不審ナリケレトテ。ヲトヅレタリケレド其庵ニハ
 +  人モ無テ。前ニ得タリシ物ヲハ外ヘモチイニケルト覚
 +  シクテ。後ノヲクリ物ヲハサナカラヲキタリケレハ鳥ケタ
 +  モノクヒ散シタル様ニテココ彼ニコボレチリテソ有ケル。
 +  実ニ道心アル人ハカク我身ノ徳ヲカクサムト過ヲ
 +  アラハシテ貴マレン事ヲ恐ルルナリ。若人世ヲ遁タレ
 +  トモ。イミジクソムケリト云ハレン。貴ク行由ヲ聞ント思
 +  ヘバ世俗ノ名聞ヨリモ甚シ。此故ニ有経ニ出世ノ
 +  名聞ハ譬ヘハ血ヲ以テ血ヲ洗カ如シト説ケリ。本
 +  ノ血ハアラハレテ落モヤスラン知ラズ。今ノ血ハ大ニケ/30l
 +
 +  カス愚ナルニ非スヤ
 +  
 +  発心集一巻終/n31r
  
text/hosshinju/h_hosshinju1-12.txt · 最終更新: 2017/04/05 18:02 by Satoshi Nakagawa