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発心集

第一第12話(12) 美作守顕能の家に入り来たる僧の事

校訂本文

美作守顕能1)のもとに、なまめきたる僧の、入り来たつて、経をよに尊く読むあり。主(あるじ)聞いて、「なにわざし給ふ人ぞ」と言ふ。近く寄つて言ふやう、「乞食(こつじき)に侍り。ただし、家ごとに物乞ひ歩(あり)く2)わざをばつかふまつらず。西山なる寺に住み侍るが、いささか望み申すべきことありてなむ」と言ふ。

物ざま、むげに思ひ下すべきにはあらざりければ、細やかに尋ね問ふ。「申すにつけて、いと異様(ことやう)には侍れど、ある所のなま女房を、あひ語らひて、物すすがせなんどし侍りしほどに、はからざるほかに、ただならずなりて、この月にまかり当りて侍るを、『ひとへにわが誤ちなれば、ことさらこもりゐて侍らむほど、かれが命つぐばかりの物、与へ侍らばや』と思ひ給へるが、いかにもいかにも力及び侍べらねば、『もし、御哀れみや侍る』とてなむ」と言ふ。

ことの起りは、「げに」と思えずなれど、「さこそ、思らめ」と、いとほしく思えて、「いと安きことにこそ」とて、おしはからひて、人一人(ひといちにん)に持たせて、そへて取らせんとす。

この僧の言ふやう、「かたがた、きはめてつつましく侍り。ことさら、そことは知らじと思ひ給へるなり。みづから持ちてまからん」とて、持たるるほど、負ひて出でぬ。

主(あるじ)、なほ怪しく思ひて、さやうのかたに、いふかひなき者を付けてやる。様をやつして、見隠れに行きけるほどに、北山の奥にはるばると分け入りて、人も通はぬ深谷に入りにけり。一間ばかりなるあやしき柴の庵の内に入りて、物うち並べて、「あな苦し。三宝の助けなれば、安居(あんご)の食(じき)もまうけたり」と独りうち言うて、足うち洗ひて、しづまりぬ。この使、「いとめづらかにもあるかな」と聞きけり。

日暮れて、今宵帰るべくもあらねば、木陰にやはら隠れ居にけり。夜更くるほどに、法華経を夜もすがら読み奉る声、いと尊くて、涙もとどまらず。

明くるやおそしと立ち帰りて、主に、ありつる様を聞こえければ、驚きながら、「さればよ。ただ者にはあらずと見き」とて、重ねて消息をやる。「思ひがけず、安居の御料と承る。しかあらば、一日の物は少なくこそ侍らめ。これを奉る。なほも入らむこと候はば、必ずのたまはせよ」と言はせたりければ、経うち読みて、何とも返事(へんじ)言はざりけり。とばかり待ちかねて、物をば庵の前に取り並べて帰りぬ。

日ごろ経て、「さても、ありつる僧こそ不審(ふしん)なりけれ」とて、訪れたりけれど、その庵には人も無くて、前に得たりし物をば、ほかへ持ち去にけるとおぼしくて、後の贈り物をば、さながら置きたりければ、鳥・獣(けだもの)、食ひ散らしたるやうにて、ここかしこにこぼれ散りてぞありける。

まことに道心ある人は、かく、わが身の徳を隠さむと、過(とが)をあらはして、貴(たつと)まれんことを恐るるなり。もし、人、世を遁れたれども、「いみじくそむけり」と言はれん。「貴く行ふよしを聞かん」と思へば、世俗の名聞よりも甚(はなはだ)し。

この故に、ある経に、「出世の名聞は、譬へば、血を以て血を洗ふが如し」と説けり。もとの血は、洗はれて、落ちもやすらん。知らず。今の血は、大きに汚(けが)す。愚かなるにあらずや。

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  美作守顕能家入来僧事
美作守顕能ノモトニナマメキタル僧ノ入来テ経ヲ
ヨニタフトク読アリ。主聞テナニワサシ給フ人ゾト云。/n28l
近ク寄テ云様。乞食ニ侍ヘリ。但シ家コトニ物コヒア
クワサヲハ仕マツラズ。西山ナル寺ニ住侍ヘルカ聊カ
望ミ申ベキ事有テナムト云。物ザマムゲニ思下ヘキニハ非
ザリケレバ。コマヤカニ尋問申ニ付テイト異様ニハ侍
ベレド。アル所ノナマ女房ヲ相語ヒテ物ススガセナムドシ
侍ヘリシ程ニ。ハカラザル外ニタタナラズ成テ此月ニマカ
リ当リテ侍ベルヲ。偏ニ我アヤマチナレバ殊更コモリ
ヰテ侍ヘラム程。彼カ命ツグバカリノ物アタヘ侍ラハ
ヤト思給ヘルカ。イカニモイカニモ力及侍ベラネバ。若御ア
ワレミヤ侍ヘルトテナムト云。事ノヲコリハゲニト覚ヘズ/n29r
ナレド。サコソ思ラメトイトヲシク覚ヘテ。イト安事ニコソ
トテ。ヲシハカラヒテ人一人ニ持セテソヘテ取セント
ス。此僧ノ云様。方々キワメテツツマシク侍ベリ。殊更ソ
コトハシラジト思給ヘルナリ。自持テマカラントテ持ル
ルホト負テ出テヌ。主猶アヤシク思テ左様ノ方ニ云
カヒナキ者ヲ付テヤル様ヲヤツシテ見カクレニ行ケル
程ニ。北山ノ奥ニハルハルトワケ入テ。人モカヨハヌ深
谷ニ入ニケリ。一間ハカリナルアヤシキ柴ノ菴ノ内ニ入
テ物ウチ並テ。アナクルシ三宝ノタスケナレバ安居
ノ食モマウケタリト独打云テ。足ウチアラヒテシヅマリ/n29l
ヌ。此使イトメヅラカニモ有哉ト聞ケリ。日暮テコ
ヨヒ帰ベクモ非ネハ。木陰ニヤワラカクレ居ニケリ。夜フクル
程ニ法華経ヲヨモスガラ読奉ル声イトタフトクテ
泪モトトマラズ。明ルヤヲソシト立帰リテ主ニ有ツル
様ヲ聞ヘケレバ。驚ナカラサレハヨタタ者ニハ非ト見キトテ。
重テ消息ヲヤル。思カケス安居ノ御料ト承ル。シカア
ラハ一日ノ物ハスクナクコソ侍ラメ。此ヲ奉ル猶モ入
ラム事候ハハ。カナラスノ給ハセヨトイハセタリケレバ。経ウチ
読テ何トモ返事云ザリケリ。トバカリ待カネテ物ヲ
ハ庵ノ前ニ取並テ帰リヌ。日来経テサテモ有ツル/n30r
僧コソ不審ナリケレトテ。ヲトヅレタリケレド其庵ニハ
人モ無テ。前ニ得タリシ物ヲハ外ヘモチイニケルト覚
シクテ。後ノヲクリ物ヲハサナカラヲキタリケレハ鳥ケタ
モノクヒ散シタル様ニテココ彼ニコボレチリテソ有ケル。
実ニ道心アル人ハカク我身ノ徳ヲカクサムト過ヲ
アラハシテ貴マレン事ヲ恐ルルナリ。若人世ヲ遁タレ
トモ。イミジクソムケリト云ハレン。貴ク行由ヲ聞ント思
ヘバ世俗ノ名聞ヨリモ甚シ。此故ニ有経ニ出世ノ
名聞ハ譬ヘハ血ヲ以テ血ヲ洗カ如シト説ケリ。本
ノ血ハアラハレテ落モヤスラン知ラズ。今ノ血ハ大ニケ/30l
カス愚ナルニ非スヤ

発心集一巻終/n31r
1)
藤原顕能
2)
底本「こひあく」。文意によって訂正。
text/hosshinju/h_hosshinju1-12.txt · 最終更新: 2017/04/05 18:02 by Satoshi Nakagawa
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