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発心集

校訂本文

仏の教へ給へることあり。「心の師とはなるとも、心を師とすることなかれ」と。

まことなるかな、この言(こと)。一期過ぐる間に、思ひと思ふわざ、悪業にあらずといふことなし。もし、形をやつし、衣を染て、世の塵にけがされざる人すら、そともの鹿(かせぎ)緤(つな)ぎがたく、家の犬、常に馴れたり。

何にいはんや、因果の理(ことはり)を知らず、名利の謬(あやま)りに沈めるをや。むなしく五欲のきづなに引かれて、つひに奈落の底に入りなんとす。心有らん人、誰かこのことを恐れざらんや。

かかれば、事にふれて、わが心のはかなく愚かなることを顧みて、かの仏の教へのままに、心を許さずして、このたび生死を離れて、とく浄土に生まれん事喩へば、牧士の荒れたる駒をしたがへて、遠き境に至るがごとし。

ただ、この心に強弱(がうにやく)あり、浅深(せんしん)あり。かつ、自心(じしん)をはかるに、善を背くにもあらず、悪を離るるにもあらず。風の前の草のなびきやすきがごとし。また、波の上の月の、静まりがたきに似たり。いかにしてか、かく愚かなる心を教へんとする。

仏は、衆生の心のさまざまなるをかがみ給ひて、因縁・譬喩をもつてこしらへ教へ給ふ。われら、仏に会ひ奉らましかば、何なる法についてか、勧め給はまし。他心智も得ざれば、ただ、わが分にのみ理を知り、愚かなるを教ふる方便は欠けたり。所説、妙(たへ)なれども、得る所は益少なきかな。

これにより、短き心を顧みて、ことさらに深き法(みのり)を求めず。はかなく見ること、聞くことを註(しる)し集めつつ、しのびに座の右に置けることあり。すなはち、賢きを見ては、及び難くとも、乞ひ願ふ縁とし、愚かなるを見ては、みづから改むる媒(なかだち)とせむ となり。

今、これをいふに、天竺・震旦の伝へ聞くは、遠ければ書かず。仏菩薩の因縁は、分にたへざればこれを残せり。ただ、わが国の人の、耳近きを先として、承はる言の葉をのみ注(しる)す。

されば、さだめて謬(あやまり)は多く、まことは少なからん。もしまた、再び問ふに便りなきをば、所の名・人の名を記さず。いはば、雲を取り、風をむすべるがごとし。誰人か、これを用ゐん。ものしかあれど、人信ぜよとにもあらねば、必ずしも、たしかなる跡を尋ねず。道のほとりのあだごとの中に、わが一念の発心を楽むばかりにやと言へり。

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発心集序               鴨長明撰
仏ノ教給ヘル事アリ。心ノ師トハ成トモ心ヲ師トスル
事ナカレト。実ナル哉此言。一期スクル間ニ思ト思ワ
サ悪業ニ非ト云事ナシ。若形ヲヤツシ衣ヲ染テ世
ノ塵ニケガサレザル人スラ。𫒁ノカセギ緤ガタク。家ノ犬
常ニナレタリ。何况ヤ因果ノ理ヲ知ラス名利ノ謬ニ
シツメル哉空ク五欲ノキヅナニ引レテ終ニ奈落ノ
底ニ入ナントス。心有ラン人誰カ此事ヲ恐ザラン哉。カカ
レハ事ニフレテ我心ノハカナク愚ナル事ヲ顧テ。彼仏
ノ教ノママニ心ヲ許サズシテ此度生死ヲハナレテ。トク/n2l
浄土ニ生レン事喩ヘバ牧士ノアレタル駒ヲ随テ遠
境ニ至カ如シ。但此心ニ強弱アリ浅深アリ。且自心ヲ
ハカルニ。善ヲ背ニモ非ス悪ヲ離ニモ非ス。風ノ前ノ草
ノナビキ安キカ如シ。又浪ノ上ノ月ノ静マリカタキニ似タ
リ。何ニシテカカク愚ナル心ヲ教ヘントスル。仏ハ衆生ノ
心ノサマザマナルヲ鑒給ヒテ。因縁譬喩ヲ以テコシラヘ
教給フ。我等仏ニ値奉ラマシカバ。何ナル法ニ付テカ
勧給ハマシ。他心智モ得ザレバ唯我分ニノミ理ヲ知
愚ナルヲ教フル方便ハカケタリ。所説妙ナレドモ得所
ハ益スクナキ哉。此ニヨリ短心ヲ顧テ殊更ニ深法/1ウn3r
ヲ求メス。ハカナク見事聞事ヲ註アツメツツシノビニ座
ノ右ニヲケル事アリ。即賢キヲ見テハ及難クトモ
コヒネカフ縁トシ。愚ナルヲ見テハ自ラ改ムル媒トセム
トナリ。今此ヲ云ニ天竺震旦ノ伝聞ハ遠ケレバカカズ。
仏菩薩ノ因縁ハ分ニタヘザレバ是ヲ残セリ。唯我国
ノ人ノ耳近ヲ先トシテ承ハル言ノ葉ヲノミ注ス。サレバ
定テ謬ハ多ク実ハ少カラン。若又フタタヒ問ニ便ナキヲハ
所ノ名人ノ名ヲシルサズ。イハバ雲ヲトリ風ヲムスベルカ
如シ。誰人カ是ヲ用イン。モノシカアレド人信ゼヨトニモア
ラネバ。必シモタシカナル跡ヲ尋ネズ。道ノホトリノアダ/n3l
言ノ中ニ我一念ノ発心ヲ楽ハカリニヤトイヘリ/n4r
text/hosshinju/h_hosshinju0-00.txt · 最終更新: 2017/03/15 23:25 by Satoshi Nakagawa