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古今著聞集 魚虫禽獣第三十
700 承久四年の夏のころ武田太郎信光駿河国浅間のすそにて狩りをしけるに・・・
校訂本文
承久四年の夏のころ、武田太郎信光1)、駿河国浅間(あさま)のすそにて狩りをしけるに、群猿(むらざる)を野中に追ひ出だして面々に射けるに、三疋をば殺し、三疋をば生け捕りにしてけり。その猿どもを家に帰りて、生け猿をば繋ぎて、その前に死にたる猿どもを置きたりけるに、一疋の猿、死にたる猿をばつくづくとまもりて、その猿にひしひしと抱(いだ)き付きて、やがてこれも死ににけり。おのか妻などにてありけるにこそ。無慚(むざん)なりけることなり。
召人(めしうど)にて武田があづかりける、「その狩りに具せられて、まさしく見たりし」とて語りしなり。
また、同じく五郎信正2)、狩りをしけるに、大きなる猿を一疋、木に追ひのぼせて、射殺さんとしけるに、その猿、指をさして物を教ふる体なり。人、心を得ず、怪しみてさうなくも射殺さで、しばし見ゐたるに、なほしきりに指をさしければ、その指さす方に人をやりて見すれば、大きなる妻鹿(めじか)一疋臥したりけり。「あの鹿を射て、われをば助けよ」と教へけるにこそ。教へにつきて、鹿をばやがて射殺してけり。猿は許すべきに、それをもやがて射てけり。
信正、折々に、「このことの無慚に覚ゆるとて、如法経を書きたりし」と語り侍りけり。
翻刻
承久四年の夏の比武田太郎信光駿河国あさま のすそにてかりをしけるにむらさるを野中にをい/s547r
出して面々にいけるに三疋をはころし三疋をはいけ とりにしてけりそのさるともを家に帰ていけさるを はつなきてそのまへにしにたるさるともををきたり けるに一疋のさるしにたるさるをはつくつくとまもりて其 さるにひしひしといたきつきてやかてこれもしににけり をのか妻なとにてありけるにこそむさんなりける事也 召人にて武田かあつかりけるそのかりにくせられてま さしく見たりしとてかたりし也又同五郎信正かりを しけるにおほきなる猿を一疋木にをいのほせていころ さんとしけるにそのさるゆひをさして物をおしふるてい 也人心をえすあやしみてさうなくもいころさてしは/s547l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/547
し見いたるに猶しきりにゆひをさしけれはその指さす かたに人をやりてみすれはおほきなる妻鹿一疋ふし たりけりあの鹿をいてわれをはたすけよとをしへ けるにこそをしへにつきて鹿をはやかていころしてけり さるはゆるすへきにそれをもやかて射てけり信正を りをりに此事の無さんにおほゆるとて如法経を 書たりしとかたり侍けり/s548r
text/chomonju/s_chomonju700.txt · 最終更新: 2021/01/23 17:48 by Satoshi Nakagawa