古今著聞集 魚虫禽獣第三十
680 越後国に乙寺といふ寺に法華経持者の僧住みて朝夕誦しけるに二つの猿来たりて・・・
校訂本文
越後国に乙寺といふ寺に、法華経持者の僧住みて、朝夕誦しけるに、二つの猿来たりて経を聞きけり。二・三日を経て、僧、こころみに猿に問ひて言ふやう、「なんぢ、何のゆゑに常に来たるぞ。もし、経を書き奉らんと思ふか」と言へば、二つの猿、掌を合はせて僧を頂礼(ちやうらい)しけり。
あはれに不思議に思ふほどに、五・六日を経て、数百の猿集まりて、楮(かうぞ)の皮を負ひて来たりて、僧の前に並べ置きたり。この時、僧、これを取りて料紙に漉かせて、やがて経を書き奉る。その間、この猿、やうやうの果(くだもの)を持ちて、日々に来たりて、僧に与へけり。
かくて第五巻にいたる時1)、この猿見えず。怪しく思ひて、山をめぐりて求むるに、ある山の奥に、傍らに山の芋を置きて、頭(かしら)を穴の中に入れて、さかさまにしてこの猿死にてあり。山の芋を深く掘り入りて、穴に落ち入りて、え上がらずして死にたるなめり。僧、あはれにかなしきことかぎりなし。その猿の屍(かべね)を埋(うづ)みて、念仏申して、廻向して帰りぬ。その後、経をば書き終らずして、寺の仏前の柱を彫(ゑ)りて、その中に奉納して去りぬ。
その後、四十余を経て、紀躬高朝臣2)、当国の守になりて下りたりけるに、まづかの寺に詣でて、住僧を尋ねて問ふやう、「もし、この寺に書き終らざる経やおはします」と尋ぬれば、その昔の持経の僧いまだ生きて、八旬の齢(よはひ)にて出でて、この経の根源を語る。国司、大きに歓喜していはく、「われ、この願を果たさむがために、今当国の守に任じて下れり3)。昔の猿はこれわれなり。経の力によりて人身を得たるなり」とて、すなはちさらに三千部を書き奉りけり。
かの寺、今にあり。さらにうきたることにあらず。
翻刻
越後国に乙寺といふ寺に法花経持者の僧住て 朝夕誦しけるに二の猿きたりて経をききけり 二三日をへて僧こころみに猿に問て云やう汝なに の故につねにきたるそもし経を書たてまつ らんと思ふかといへは二の猿掌を合て僧を頂礼し けりあはれに不思儀におもふ程に五六日をへて数 百の猿あつまりてかうその皮を負て来りて僧の/s531r
前にならへをきたりこの時僧これをとりて料紙に すかせてやかて経を書たてまつる其間この猿 やうやうの果をもちて日々にきたりて僧にあた へけりかくて第五巻にいたるこの猿みえすあやし く思て山をめくりて求るにある山の奥にかたはら にやまのいもを置てかしらを穴の中にいれてさか さまにしてこの猿死てあり山のいもをふかく堀入て 穴におちいりてえあからすして死たるなめり僧あ はれにかなしき事限なし其猿のかはねをうつみて 念仏申て廻向して帰りぬその後経をはかきおはら すして寺の仏前の柱をゑりてその中に奉/s531l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/531
納してさりぬ其後四十余をへて紀躬高朝臣 当国の守に成てくたりたりけるに先彼寺 にまうてて住僧を尋てとふやうもし此寺に 書をはらさる経やおはしますとたつぬれはそのむか しの持経の僧いまたいきて八旬のよはひにて出て 此経の根源をかたる国司大きに歓喜していはく われ此願をはたさむかために今当国の守に任 してくたりれり昔の猿はこれわれ也経の力により て人身をえたるなりとて則さらに三千部をかき たてまつりけりかの寺いまにありさらにうきた る事にあらす/s532r