text:chomonju:s_chomonju605
古今著聞集 変化第二十七
605 これも建保のころ御湯殿の女官高倉が子に七歳になるあこ法師といふ・・・
校訂本文
これも建保のころ、御湯殿の女官高倉が子に、七歳になるあこ法師といふ小童ありけり。家は樋口高倉にてありければ、ちかぢかに小童部(こわらべ)遊びともなひて1)小六条へ行きにけり。
かい暗み時に、小六条にて相撲とらんとて、ねりあひたるところに、後ろの築地の上より、何とは見え分かず、垂布(たれぬの)のやうなる物のうち覆ふと見えけるほどに、このあこ法師失せにけり。恐しきことかぎりなし。かたへの童部、みな逃げぬ。恐れをなして、人にもかくとも言はず。母、騒ぎ悲しみて、至らぬ所もなく求むれども見えず。
三日といふ夜の夜半ばかりに、女官が門をことごとしくたたく者あり。恐れ怪しみて、さうなく開けずして2)、内より、「誰(た)そ」と問ふに、「失へる子取らせん。開けよ」といふ。なほ恐しくて開けず。
さるほどに、家の軒にあまた声して、「はあ」と笑ひて、廊の方に物を投げたりけり。恐ろしながら火を灯して見れば、げに失へる子なりけり。なへなへとして生けるものにもあらず、ものも言はず、ただ目3)ばかりしばたたきけり。
験者・よりましなどすゑて祈るに、物多く付きたり。見れば馬の糞(くそ)なりけり。三たらひばかりぞありける。されども、なほもの言ふこともせず。よみがへりのごとくにて、十四・五ばかりまでは生きてありし。「その後いかがなり侍りけん」と、その時見たりける人の語り侍りしなり。
翻刻
これも建保の比御湯殿の女官高倉か子に七歳に/s479l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/479
なるあこ法しといふ小童ありけり家は樋口高倉 にてありけれはちかちかに小童部あそひとりなひて 小六条へ行にけりかいくらみ時に小六条にて相撲と らんとてねりあひたるところにうしろの築地のう へよりなにとはみえわかす垂布のやうなるもののう ちおほふと見えける程にこのあこ法師うせにけり おそろしきことかきりなしかたへの童部みなにけ ぬ恐をなして人にもかくともいはす母さはきかなし みていたらぬ所もなく求れともみえす三日といふ 夜の夜半はかりに女官か門をことことしくたた く物あり恐あやしみて左右なくあけわして内/s480r
よりたそと問にうしなへる子とらせんあけよと いふ猶おそろしくてあけすさる程に家の軒に あまたこゑしてはあとわらひて廊の方に物を なけたりけりおそろしなから火をともしてみれは けにうしなへる子なりけりなへなへとしていける物にも あらす物もいはすたたはかりしはたたきけり験者 よりましなとすへていのるに物多くつきたり みれは馬のくそなりけり三たらひはかりそ有ける されともなを物いふこともせすよみ帰りのことくにて 十四五はかりまてはいきてありし其後いかか成侍 けんと其時見たりける人のかたり侍し也/s480l
text/chomonju/s_chomonju605.txt · 最終更新: 2020/11/18 22:10 by Satoshi Nakagawa