古今著聞集 興言利口第二十五
575 堀河院の御時中宮の御方の御半物に沙金といひて・・・
校訂本文
堀河院1)の御時、中宮の御方の御半物(はしたもの)に沙金といひて並びなき美女ありけり。兵庫頭仲正2)なん思ひて秘蔵しけり。その時、殿下の前駆の人々、鴨井殿に集まりて酒飲みけるついでに、ある人、かの沙金がことを語り出でて、「一日、内裏にてねり出でたりし、限あれば、天人もこれにはまさらじとこそ見えしか。世にあらば、かやうなる者をこそ思い出でにも3)せまほしけれ」など言ふ。「鬼・ここめをもものならず思へる武士は、恐しき4)ものぞ。思ふともかなふべからず。言ひ沙汰せでありなむ」と人々言ふを、佐実5)といふ者、さかしだちたる本性にて、「いなや、武士も女のかたには、ほるるものなり。われは盗まんとだにおもはば、仲正いかに守るとも、それにさはらじ」と言ふより、何をあたとか思ひけむ、仲正がことを、嘲りをこづくやうに言ひければ、かたへは言葉少なにてやみにけり。
このこと、誰か中言したりけむ、仲正帰り聞きて、「やすからぬことなり。をのこども、いかがすべき。かれ弓矢の本末(もとすゑ)知らず。敵にあたはねば、よしなきことなれど、さりとてやまばやすからず。ことがらばかり脅さむと思ふなり」と言ひ合はせければ、「いとやすきことなり」とて、夕闇のころ、殿下より出でけるを待ち受けて、車より引き下して、「さること言はじ」と怠状(たいじやう)をせさせてけり。
これを仲正が郎等の中に、ことに物の心も知らず、情けも哀れもかへりみぬ田舎武者の一人ありけるが、このことを後に伝へ聞きて、馬にて馳せ来けるが、この佐実はからくして起き上がりて、小家に這ひ入らんとしける時、行き合ひて、何とも言はず引き出だして、髻(もとどり)を切りてけり。やがて仲正がもとへ行きて、「これ奉らん」と言ひければ、仲正、「かくほどには思はず。不思議のことしたる」と言ひながら、かひなきことなれば、さてやみにけり。
このこと、佐実こそわが身のためを思ひて、口より外(と)へも出ださねど、かばかりのこと、さてやまむやは。院、聞こし召して、「仲正が所行、しかるべからず」とて、下手人など召し出だされんずるにて、厳しく御沙汰ありけるほどに、佐実も、「切られず」と申しけり、仲正も「切らず」と申しけるによりて6)、重き罪には当たらざりけれど、切りたる者某とたしかに聞こし召して、その郎等を召すに、跡をくらみて失せぬ。
仲正、力及ばざりければ、院、思し召しわづらひて、その時盛重7)が検非違使にて候ひけるを召して、「この髻切りたりと聞こゆる男、かまへて捕へて参らせよ」と仰せられければ、承りて、なかなかかれがゆかりを尋ねて、母の尼公が家を、暁・夕暮ごとにうかがひけり。
かかるほどに、ある朝ぼらけに、法師の、女の姿をつくりて門を叩くことあり、「これ、ただたにはあらじ」と8)あやめて、やがてからめて、これを問ふに、「われはあやまたず。かの人のあり所は、清水坂のしかじかの所なり。その使に詣で来たるばかりなり」と、あはて騒ぎければ、「わ法師をいかにすべきにはあらず。かしこのしるべの料(れう)なり」とて、「ほど経ば帰りもぞ聞く」とて、やがてうち立ちて、からめに行く。
かしこにも思ひ寄らぬほどなりければ、わづらひなくからめ捕りて帰るに、盛重思ふやう、「六波羅には刑部卿忠盛9)ゐられたり10)その傍らを過ぎば、奪はれんず。をこのことになりなむ」と思ひて、すずろなる法師を捕へて、犯しの者に作りなして、そなたへやりて、まことの者をば人少なにて、祇園中路といふ方より忍びやかに具してやりてけり。さりければ、忠盛朝臣はよしなしとや思ひけむ、おとなくてぞ過ぎける。
その時、清水11)の大衆おこりて、「この御寺のほとりにて、すずろに人からむること、昔よりなし。たとへ犯しの者ありとも、別当にふれられてこそ、からめられめ」と言ひて集まりむらがりて、いかにも通さじとしければ、わづらはしくて、懐(ふところ)の中にて畳紙(たたうがみ)を文に作りて、さし出だして言ふやう、「いかでかふれ奉らではからめ侍らん。かれに聞かせじと、かくしつれば、披露はせぬにこそあれ。この暁、別当の坊へ別当宣を付けられたり。その請文(うけぶみ)、これにあり」とて、さし出だしたりければ、「さるにては左右(さう)に及ばず」とて通しやりてけり。この次第、院聞こし召して、まことに感じ思し召しけり。
さて、かの男は召し問はせければ、何しにかは隠し侍らん、「切り候ひにき」と申しけるを、佐実も当寺こもりゐねば、真実のやう聞こし召さまほしく思ひて、また盛重に、「佐実が髻切り切らず、たしかに見て来なんや」と仰せ下されければ、勅定またのがれがたくて、領状申して、出でざまに北面に安志12)が候ひけるを、「いざ給へ。人のもとへ酒飲みにまかるに、ともなひ給へかし」と誘ひけり。時の切り者なれば、悦びてあひ具して行く。
「いづくならん」と思ふほどに、この佐実がもとに行きて、ことのついで作り出でて、さまざまのこと言ひ合はせ定むるほどに、二時ばかりになりぬ。主(あるじ)、酒取り出でて飲ませけるほどに、われも人に興に入りて、「主に土器(かはらけ)さす」とて、恐れたるよしにて瓶子(へいじ)取りて寄りて、悪しく振舞へるさまをして、烏帽子(ゑぼし)を突き落しつ。「いみじきあやまり」と、もて騒ぎながらこれを見れば、めぐりを美しく編みて烏帽子を着たりけるなり。安志に目をくはせければ、その時ぞ「この証人のために、はやく誘ひけるよ」と心得てけり。盛重、ゆゆしきあやまちしたるつら作りて、恐れくるめきて、こと果てぬれば、院へ帰り参りて、このよし申て、「それがし、証人のためにあひ具して侍りつ」と奏しければ13)、「一人まかりたればとて、疑ひ思し召すまじけれども、証人をさへ具したれば、ことに厳重なり」と仰せられて、仲正が罪、ことに重くなりにけり。けれども佐実はあらがひたるやうにて、出仕し歩(あり)きけり。人笑ひけれど、さてのみ過ぎにけり。
その時、花園の大臣(おとど)14)、いまだ司も浅くおはしましけるに、御文の師にて敦正といひける者参りけるを、いと文のかたにまされたる聞こえもなかりけるにや、この佐実、花園殿に参りて物語申しけるついでに、「御文談の候はん時は、佐実も召され候ふべきものを。敦正にはよも劣り候はじ」とて、かれが悪しきことどもを書き尽し聞こえければ、心得ず思しながら、さるほどにあひしらひ給ふを、まことにや思ひけん、また申しけるは、「いみじき秀句をこそつかうまつりて侍れ」と申しければ、「興あることかな。いかに」と問ひ給ふに、
有花々々(花有り花有り)
敦正山之春霞紅(敦正山の春霞紅なり)
と申しければ、主(あるじ)の殿、笑はせ給ひて、「いみじき秀句なり」と感じ給ひければ、遊戯(ゆげ)してまかり出でにけり。かく言ふは、この敦正は鼻の大きにて赤かりけるを、をこづきてかく書きてけり。
殿、いまだ若き御ほどなれば、敦正が参りたりけるに、この次第を語らせ給ふに、おほきに怒りて、「弓矢取る身にて候はば、仲正が15)やうに泣き目をも見せつべく侍れども、そのこと身に似ぬ態(わざ)なり。この下句をこそ付け侍らめ」とて、
無鳥々々(鳥無し鳥無し)
佐実園之冬雪白(佐実園の冬雪白し)
とぞ申したりける。殿、いみじく感じ給ひけり。
世の人、そのころの物語にてぞありける。髻切られて、それにも懲りず、なほ利口し歩(あり)きけるほどに、またかく付けられにけりとなむ。
翻刻
堀川院の御時中宮の御方の御半(ハシタ)物に沙金と いひてならひなき美女ありけり兵庫頭仲正なん 思て秘蔵しけり其時殿下の前駈の人々鴨 井殿にあつまりて酒のみけるつゐてに或人かの 沙金かことをかたりいてて一日内裏にてねりいて たりし限あれは天人もこれにはまさらしとこそ見え しか世にあらはかやうなる物をこそおもひいてにしせま ほしけれなといふ鬼ここめをも物ならす思へる武士は おそくしき物そ思ふとも叶へからすいひさたせて ありなむと人々いふを佐実といふ物さかした ちたる本性にていなや武士も女のかたにはほるる/s451r
物也われはぬすまんとたにおもはは仲正いかにまも るともそれにさはらしといふより何をあたとか思 けむ仲正か事をあさけりおこつくやうにいひ けれはかたへはこと葉すくなにてやみにけり此事 誰か中言したりけむ仲正かへりききてやすからぬ 事也おのこともいかかすへきかれ弓やのもとすゑ しらす敵にあたはねはよしなき事なれとさりとて やまはやすからすことからはかりおとさむと思ふなり といひあはせけれはいとやすき事なりとて夕闇 の比殿下より出けるをまちうけて車より引おろ してさることいはしと怠状をせさせてけりこれを仲正/s451l
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か郎等の中にことに物の心もしらすなさけも哀も かへり見ぬゐ中武者の一人ありけるか此事を後 につたへ聞て馬にてはせきけるか此佐実はからく してをきあかりて小家にはひいらんとしける時行 あひて何ともいはす引いたしてもととりを切てけり やかて仲正かもとへ行てこれたてまつらんといひけれは 仲正かく程にはおもはす不思儀の事したるといひ なからかひなきことなれはさてやみにけり此事佐 実こそわか身のためを思てくちよりとへも いたさねとかはかりの事さてやまむやは院きこし めして仲正か所行しかるへからすとて下手人なと/s452r
めし出されんするにてきひしく御沙汰ありける程に 佐実もきられすと申けり仲正もきらすと申け るに日によりてをもき罪にはあたらさりけれと 切たる物某と慥に聞召て其郎等を召に跡 をくらみて失ぬ仲正力をよはさりけれは院思召 わつらひて其時盛重か検非違使にて候ける を召て此本鳥切たりと聞ゆる男かまへてとら へてまいらせよと仰られけれは承て中々かれかゆかり を尋て母の尼公か家を暁夕暮ことにうかかひ けりかかる程にある朝ほらけに法師の女の姿 をつくりて門をたたく事あり是たたにはあや/s452l
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めてやかてからめて是をとふにわれはあやま たす彼人のあり所は清水坂のしかしかの所也其 使に詣きたる斗也とあはてさはきけれはわ法師 をいかにすへきにはあらすかしこのしるへのれう也 とて程へはかへりもそきくとてやかてうち立て からめに行かしこにも思よらぬ程なりけれはわ つらひなくからめとりてかへるに盛重思ふやう 六波羅には刑部卿忠盛あはれたり其かたはらを 過はうははれんすおこの事になりなむと思て すすろなる法師をとらへてをかしの物につくり なしてそなたへやりてまことの物をは人すくなにて/s453r
祇園中路といふかたより忍やかにくしてやりて けりさりけれは忠盛朝臣はよしなしとや思けむ をとなくてそ過ける其時清水の大衆おこりて 此御寺のほとりにてすすろに人からむる事昔より なし縦をかしの物ありとも別当にふれられてこそ からめられめといひてあつまりむらかりていかにもとを さしとしけれはわつらはしくてふところの中にてた たうかみを文につくりてさし出ていふやういかて かふれたてまつらてはからめ侍らんかれにきかせし とかくしつれは披露はせぬにこそあれ此暁別 当坊へ別当宣をつけられたり其請文是/s453l
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にありとて指出たりけれはさるにては左右に をよはすとてとをしやりてけり此次第院聞召 て誠に感し思召けりさて彼男は召問せけれ はなにしにかはかくし侍らん切候にきと申けるを佐 実も当寺こもりゐねは真実のやうきこし めさまほしく思て又盛重に佐実か本鳥 切きらすたしかに見てきなんやと仰下されけれ は勅定又のかれかたくて領状申て出さまに北面 に安志(アンサクハン)か候けるをいさ給へ人のもとへ酒の みにまかるにともなひ給へかしとさそひけり時 のきり物なれは悦て相くして行いつくならんと/s454r
思ふ程に此佐実かもとに行て事のつゐてつ くりいててさまさまの事いひ合定る程に二時斗 になりぬあるし酒とりいててのませける程にわれ も人に興に入て主にかはらけさすとて恐た るよしにてへいしとりてよりてあしくふるまへ るさまをしてゑほしをつきおとしついみしき あやまりともてさはきなから是を見れはめくり をうつくしくあみて烏帽子をきたりける也安 志に目をくはせけれは其時そこの証人のために はやくさそひけるよと心えてけり盛重ゆゆ しきあやまちしたるつらつくりて恐くるめきて/s454l
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ことはてぬれは院へかへりまいりて此由申て某証 人のために相くして侍りつと奏しけるは一人 まかりたれはとてうたかひ思召ましけれとも証人 をさへくしたれは殊に厳重也と仰られて仲正か 罪ことにをもく成にけりけれ共佐実はあらかひたる やうにて出仕ありきけり人わらひけれとさてのみ 過にけり其時花薗のおとといまた司もあさくお はしましけるに御文の師にて敦正といひける物 まいりけるをいと文のかたに勝れたる聞えもなか りけるにや此佐実花薗殿にまいりて物語申 けるつゐてに御文談の候はん時は佐実も召れ候へき/s455r
物を敦正にはよもをとり候はしとてかれかあしき 事共をかきつくし聞えけれは心えすおほしなから さる程にあひしらひ給を実にや思けん又申けるは いみしき秀句をこそつかうまつりて侍れと申 けれは興ある事かないかにととひ給に 有花々々敦正山之春霞紅と申けれはあるしの殿わらはせ 給ていみしき秀句なりと感し給けれはゆけして罷 出にけりかくいふは此敦正は鼻のおほきにて赤かり けるをおこつきてかくかきてけり殿いまた若御 程なれは敦正かまいりたりけるに此次第を語せ 給に太にいかりて弓矢とる身にて候はは仲正やう/s455l
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になき目をも見せつへく侍れとも其事身に 似ぬ態也此下句をこそつけ侍らめとて 無鳥々々佐実園之冬雪白とそ申たりける 殿いみしく感給けり世の人其比の物語にてそ有 ける本鳥切れてそれにもこりす猶利口しありきけ る程に又かく付られにけりとなむ/s456r