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古今著聞集 宿執第二十三
490 京極大相国常にのたまひけるは・・・
校訂本文
京極大相国(宗輔公)1)、常にのたまひけるは、「死去は人の終りなり。つひとして逃れざる理(ことわり)なり。死においては悔ゆべからず。ただし、一事忍びがたきことあり。一度死して後、長く笛をとるべからざることを」とぞ侍りける。応保二年正月に出家、同月三十日、年八十六にて失せ給ひにけり。
その後、二条院の御時2)、かの大臣(おとど)の作り給ひたる笛譜の説を、妙音院殿3)に勅問ありけるに、いかにぞやある所を少々奏せさせ給へりけるを、大臣の御夢にかの大相国の御消息あり。「宗輔」と書かれたりけり。「失せにし人はいかに」と怪しくて、開きて御覧ずれば、「そのかみ好み習ひし道を、かたぶけ奏し給ふことこそ口惜しう侍れ」と書かれたりけり。
驚き思して、御参内ありて、「かの譜に申し候ひしことは、みなもろもろひが覚えに候ひけり」と、奏し直させ給ひけり。
世を隔て生を変へて、なほさほどの執心深かりけむこそ、いと罪深う覚え侍れ。
翻刻
京極(宗輔公)大相国つねにのたまひけるは死去は人のをは りなりつゐとしてのかれさる理也死においてはくゆ へからす但一事しのひかたきことあり一度死し て後なかく笛をとるへからさる事をとそ侍ける 応保二年正月に出家同月卅日とし八十六にて うせ給にけり其後二条院御時かのおととのつく り給たる笛譜の説を妙音院殿に勅問あり けるにいかにそやある所を少々奏せさせ給へり/s391l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/391
けるをおととの御夢に彼大相国の御消息あり宗 輔とかかれたりけりうせにし人はいかにとあやしくて ひらきて御らむすれはそのかみこのみならひし道を かたふけ奏し給ことこそくちおしう侍れとかか れたりけりおとろきおほして御参内ありて 彼譜に申候し事は皆もろもろひかおほえに候けりと 奏しなをさせ給けり世をへたて生をかへて猶さ程 の執心ふかかりけむこそいと罪ふかうおほえ侍れ/s392r
text/chomonju/s_chomonju490.txt · 最終更新: 2020/08/30 15:08 by Satoshi Nakagawa