古今著聞集 哀傷第二十一
472 花山院の御時中納言義懐は外戚権右中弁惟成は近臣にて・・・
校訂本文
花山院1)の御時、中納言義懐2)は外戚、権右中弁惟成3)は近臣にて、おのおの天下の権を執れり。
しかるに、御門ひそかに内裏を出でさせ給ひて、御出家ありけり。惟成、すなはち髻(もとどり)を切りて、義懐卿に言ひけるは、「貴殿、かたじけなく外戚として重くおはしつるに、外人(よそびと)となりて、今さらなる世にまじはらんこと、いかが案じ給ふ」と。義懐、「われもそのよしを存じまうけたり」と言ひて、同じく出家してけり。
「人の教訓にてし給ひたれば、いかが」と世の人思ひけるに、始終貴くて過ぎ給ひけり。飯室に住みて詠まれける、
見し人も忘れのみゆく山里に心ながくも来たる春かな
さても、かの御門、世をそむかせ給ふことのおこり、いとあはれに悲し。法住寺相国4)の御女、弘徽殿女御5)とてさぶらはせ給ひけるが、かぎりなく御心ざし深かりけるに、おくれさせ給ひて、御歎き浅からず、世の中心細く思し乱れたりけるころ、粟田関白6)、いまだ殿上人にて蔵人弁と申けるが、扇に、
妻子珍宝及王位 妻子と珍宝と及び王位と
臨命終時不随者 命終の時に臨みては随はざるものなり
といふ文を書きて持たれたりけるを御覧ぜられけるよりこそ、いとど御心おこりにけれ。「この世の楽しみは夢幻(ゆめまぼろし)のほどなり。国王の位よしなし」など思し召して、たちまちに十善の王位を捨てて、一乗菩提の道に入らせ給ひにけり。
すでに内裏を出でさせ給ひける夜、寛和二年六月二十三日なりけり。在明の月くまなかりければ、いかにぞや御心地の覚え給ひて立ちやすらはせ給けるに、おりしも叢雲(むらくも)の月にかかりければ、「わが願すでに満ず」とてぞ、貞観殿の高妻戸より踊りおり7)させ給ひける。それよりぞ、かの妻戸は打ち付けられにけるとぞ。
粟田殿、「今、御執行あらば、同じさまにて、いかならん所までも」と契り申されて、その夜も御供せさせ給ひたりけれども8)さもなかりけり。あまさへ法皇の御事ありて後、五ヶ月のうちに、正三位中納言までになられにけり。「二心おはしまして、たばかり奉られにける」とぞ、世の人は申しける。天徳9)元年に関白になり給ふといへども、ほどなく失せ給ひにけり。世には七日関白とぞ申しける。
翻刻
花山院御時中納言義懐は外戚権右中弁惟成(シケ)は 近臣にてをのをの天下の権をとれりしかるに/s369r
御門ひそかに内裏を出させ給て御出家ありけり 惟成則もと鳥を切て義懐卿にいひけるは貴殿 かたしけなく外戚としてをもくをはしつるに外 人と成て今更なる世にましはらん事いかかあんし 給と義懐われも其由を存まうけたりと いひておなしく出家してけり人の教訓にて し給たれはいかかと世の人思けるに始終たうとく て過給けり飯室にすみてよまれける みし人も忘れのみゆく山里に心なかくもきたる春哉 さても彼御門世をそむかせ給事のおこりいとあはれ にかなし法住寺相国の御女弘徽殿女御とてさふら/s369l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/369
はせ給けるかかきりなく御心さしふかかりけるにをくれさ せ給て御なけき浅からす世中心ほそくおほしみたれ たりける比粟田関白いまた殿上人にて蔵人弁 と申けるか扇に 妻子珍宝及王位臨命終時不随者 といふ文をかきてもたれたりけるを御覧せられけるより こそいとと御心おこりにけれこの世のたのしみは夢ま ほろしのほと也国王の位よしなしなとおほしめして たちまちに十善の王位をすてて一乗菩提の道 にいらせ給にけりすてに内裏を出させたまひける 夜寛和二年六月廿三日なりけり在明の月く/s370r
まなかりけれはいかにそや御心ちのおほえ給て 立やすらはせ給けるにおりしもむら雲の月に かかりけれは我願すてに満すとてそ貞観殿の 高妻戸よりおとりおとりさせ給けるそれより そかの妻戸はうちつけられにけるとそ粟田殿 今御執行あらはおなしさまにていかならん所まて もと契申されて其夜も御供せさせ給たりそれ もさもなかりけりあまさへ法皇の御事ありて後 五ヶ月のうちに正三位中納言まてになられにけり 二心おはしましてたはかりたてまつられにけるとそ 世の人は申ける天徳元年に関白になり給ふ/s370l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/370
といへともほとなくうせ給にけり世には七日関白 とそ申ける/s371r