古今著聞集 哀傷第二十一
470 生者必滅のことわり会者定離のならひは高きも下れるも逃るることなければ・・・
校訂本文
生者必滅のことわり、会者定離のならひは、高きも下れるも逃るることなければ、わきて驚くべきにあらねども、近く目の当たり悲しかりしは、四条院1)の御ことなり。
玉体ことにつつがなくて、御見目もたぐひなくわたらせおはしまししに、仁治三年正月六日、にはかに御不予のことありて、七日節会2)に御出(ぎよしゆつ)もなし。前大僧正良尊・法印房能・清厳など、心肝をくだきて祈り奉りしかども、その験(しるし)もなし。二十二社の奉幣、非常の赦おこなはれしかども、さらに益なし。九日寅刻に、御歳わづかに十二にて、かくれさせ給ひにしこと、たとへをとるにためしなきことなり。
十九日、御入棺、二十五日御葬送なり。中十六日おき参らせたりしかば、玉体みな変り果てて、なつかしう美しかりし御にほひも、あらぬ御事にならせ給ひしこと、心なき草木までもみなうちしをれたる世のしき、いまだ覚めやらぬ夢の心地なり。
かぎりのたびの御幸(みゆき)には、左大臣3)・右大臣4)・前内大臣5)・按察使6)・大宮大納言7)・高倉大納言8)・万里小路大納言9)・帥10)・大宮中納言11)・中御門二位12)・侍従宰相13)・右宰相中将14)・右兵衛督15)・六条三位16)、以下(いげ)朝臣数輩、衣冠に纓(えい)を巻きて藁沓(わらぐつ)を履きて、供奉ありし。目も当てられざりしことなり。
当御時(たうおんとき)、蔵人を経たる諸大夫六人、同じく衣冠に纓を巻きて、火を灯して、御車の左右につかうまつりき。前後の武士、その数を知らず。その夜、泉涌寺17)の上の山に納め奉りて、立ち帰る人々の心の中、推し量るべし。大臣三人かく供奉し給ふこと、昔もありがたきためしなるにや。
西山の澄月上人の申されけるは、「この御事などを見て、厭離穢土の心もなからんほどの人は、いかにも道心おこりて仏道に入らんことはあるまじきことなり。これほどに18)あはれに悲しきことは、いかでかあらん」とぞのたまひける。このこと、「げにも」と覚え侍り。
翻刻
生者必滅のことはり会者定離のならひはたかきもくた れるものかるる事なけれはわきて驚くへきにあらねと もちかくまのあたりかなしかりしは四条院の御事也 玉体ことにつつかなくて御見めもたくひなくわたらせ をはしまししに仁治三年正月六日俄に御不豫の事 ありて七日節会に御出もなし前大僧正良尊法印 房能清厳なと心肝をくたきて祈奉しかともその/s367l
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しるしもなし廿二社の奉幣非常赦おこなはれし かともさらに益なし九日寅剋に御歳わつかに十二にて かくれさせ給にし事たとへをとるにためしなき事也 十九日御入棺廿五日御葬送なり中十六日をきまいらせ たりしかは玉体みなかはりはててなつかしううつくしかりし 御にほひもあらぬ御事にならせ給し事心なき草木 まても皆うちしほれたる世のしきいまたさめや らぬ夢の心地なりかきりのたひの御ゆきには 左大臣右大臣前内大臣按察使大宮大納言高倉大 納言万里小路大納言帥大宮中納言中御門二位侍従 宰相右宰相中将右兵衛督六条三位以下朝臣数/s368r
輩衣冠に纓を巻て藁沓をはきて供奉ありし 目もあてられさりし事也当御時蔵人を経たる諸 大夫六人おなしく衣冠に纓を巻て火をともして 御車の左右につかうまつりき前後の武士その数を しらすその夜泉涌寺(仙遊寺共)のうへの山におさめたてまつりて 立帰人々の心の中をしはかるへし大臣三人かく供奉 し給事むかしもありかたきためしなるにや西 山の澄月上人の申されけるは此御事なとをみて 厭離穢土の心もなからんほとの人はいかにも道心おこ りて仏道にいらん事はあるましき事也これほとゝあ はれにかなしき事はいかてかあらんとその給ける/s368l
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此事けにもと覚侍り/s369r