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古今著聞集 哀傷第二十一
466 後京極殿は詩歌の道に長ぜさせ給ひて寛弘寛治の昔の跡を尋ねて・・・
校訂本文
後京極殿1)は、詩歌の道に長ぜさせ給ひて、寛弘・寛治の昔の跡を尋ねて、建永元年三月に、京極殿にて曲水の宴を行なはんと思し立ちけり。巴字(はじ)の潺湲(せんくわん)を流し、住吉の松をき引植ゑなどして、さまざまに御いとなみありけるに、熊野山炎上の聞こえありければ、三日に延べて、中の巳を用ゐられたる例もありとて、十二日と定められたりけるほどに、七日の夜、にはかに失せさせ給ひにける。人々の秀句、むなしく家に残りてこそ侍らめ。御歳三十八なり。惜しく悲しきことなり。
定家卿2)このことを歎きて、家隆卿3)のもとへ申しつかはしける、
昨日までかげと頼みし桜花一夜の夢の春の山風
返し、
悲しさの昨日の夢に比ぶればうつろふ花も今日の山風
その御子の前内大臣4)、大納言の時、卅首歌(三十首中撰哥合)を人々に詠ませて、 選定してつかはれける時(五十番5)、元仁二年三月尽披講之)、慈鎮和尚6)、往時を思ひ出で給ひて、「宴水懐旧」に詠み給ひける、
思ひ出でてねをのみぞ泣く行く水に書きし巴(は)の字の春の夜の夢
定家卿、同じ心を、
堰(せ)く水もかへらぬ波の花のかげうきをかたみの春ぞ悲しき
翻刻
後京極殿は詩哥の道に長させ給て寛弘寛治の 昔の跡を尋て建永元年三月に京極殿にて曲水 宴をおこなはんとおほしたちけり巴字の潺湲を なかし住吉の松を引うへなとしてさまさまに御いとなみ ありけるに熊野山炎上のきこえありけれは三日に延て 中の巳を用られたる例もありとて十二日とさため られたりける程に七日のよ俄に失させ給にける 人々の秀句むなしく家にのこりてこそ侍らめ御 歳卅八也おしくかなしき事也定家卿此事を歎て/s364l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/364
家隆卿のもとへ申つかはしける 昨日まてかけとたのみし桜花一夜の夢の春の山風 返し かなしさの昨日の夢にくらふれはうつろふ花もけふの山かせ (卅首中撰哥合)その御子の前内大臣大納言の時卅首哥を人々によませて (五十首元仁二年三月尽披講之)選定してつかはれける時慈鎮和尚往時を思出給て 宴水懐旧によみ給ける 思出てねをのみそなく行水にかきし巴字の春のよの夢 定家卿おなし心を せく水もかへらぬ浪の花のかけうきをかたみの春そかなしき/s365r
text/chomonju/s_chomonju466.txt · 最終更新: 2020/08/08 12:13 by Satoshi Nakagawa