古今著聞集 偸盗第十九
440 ある所に偸盗入りたりけり・・・
校訂本文
ある所に偸盗(ちゆうたう)入りたりけり。主(あるじ)起きあひて、「帰らん所をうちとどめん」とて、その道を待ちまうけて、障子の破れよりのぞきをりけるに、盗人、物ども少々取りて、袋に入れて、ことごとくも取らず、少々を取りて帰らんとするが、下げ棚の上に鉢に灰を入れて置きたりけるを、この盗人何とか思ひたりけん、つかみ食ひて後、袋に取り入れたる物をば、もとのごとくに置きて帰りけり。
待ちまうけたることなれば、うち伏せて搦(から)めてけり。この盗人の振舞ひ心得がたくて、その子細を尋ねければ、盗人言ふやう、「われ、もとより盗みの心なし。この一両日、食物(じきもつ)絶えて術(ずち)なくひだるく候ふままに、はじめてかかる心付きて、参り侍りつるなり。しかあるを、御棚に麦の粉(こ)やらんとおぼしき物の手に触り候ひつるを、ものの欲しく候ふままに、つかみ食ひて候ひつるが、はじめはあまり飢ゑたる口にて、何のものとも思ひ分かれず。あまたたびになりて、はじめて灰にて候ひけりと知られて、その後は食べずなりぬ。食物ならぬ物を食べては候へども、これを腹に食ひ入れて候へば、ものの欲しさがやみて候ふなり。これを思ふに、『この飢ゑに耐へずしてこそ、かかるあらぬさまの心も付きて候へば、灰を食べてもやすくなほり候ひけり』と思ひ候へば、取る1)ところの物を、もとのごとくに置きて候ふなり」と言ふに、あはれにも不思議にも覚えて、かたのごとくのさうせち2)など取らせ返しやりにけり。
「のちのちにも、さほどにせん尽きん時は、憚らず来たりて言へ」とて、常にとぶらひけり。盗人も、この心あはれなり。家主(いへあるじ)のあはれみ、また優(いう)なり。
翻刻
或所に偸盗入たりけりあるしおきあひて帰らん 所をうちととめんとてその道をまちまうけて/s337r
障子の破よりのそきをりけるに盗人物とも少々 とりて袋に入てことことくもとらす少々をとりて 帰らんとするかさけ棚のうへに鉢に灰を 入てをきたりけるをこの盗人なにとかおもひ たりけんつかみ食て後袋にとり入たる物を はもとのことくにをきて帰けりまちまうけたる 事なれはうちふせてからめてけり此盗人の振舞 心えかたくて其子細をたつねけれはぬす人いふや うわれもとより盗の心なしこの一両日食物たえ て術なくひたるく候ままにはしめてかかる心つきて まいり侍つるなりしかあるを御棚に麦のこや/s337l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/337
らんとおほしき物の手にさはり候つるをものの ほしく候ままにつかみくひて候つるかはしめはあま りうへたる口にてなにの物ともおもひわかれす あまたたひになりてはしめて灰にて候けり としられてそののちはたへすなりぬ食物ならぬ ものをたへては候へともこれを腹にくひいれて 候へはもののほしさかやみて候也これをおもふに此 うへにたへすしてこそかかるあらぬさまの心もつ きて候へは灰をたへてもやすくなをり候けりと おもひ候へはとか所の物をもとのことくにをき て候なりといふにあはれにもふしきにも覚て/s338r
かたのことくのさうせちなととらせかへし やりにけりのちのちにもさ程にせんつきん時は ははからすきたりていへとてつねにとふらひけり 盗人もこの心あはれなり家あるしのあはれみ又優 なり/s338l