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text:chomonju:s_chomonju410
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text:chomonju:s_chomonju410 [2020/06/02 18:55] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa
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 +[[index.html|古今著聞集]] 蹴鞠第十七
 +====== 410 侍従大納言成通卿の鞠は凡夫のしわざにはあらざりけり・・・ ======
 +
 +===== 校訂本文 =====
 +
 +侍従大納言成通卿((藤原成通))の鞠は、凡夫のしわざにはあらざりけり。かの口伝に侍るは、鞠を好みて後、かかりの下に立つこと七千日、その中に日を欠かず通すこと二千日、その間に、病ある時は臥しながら鞠を脚に当て、大雨の時には大極殿に行きてこれを蹴る。千日の果ての日、引きつくろひて数三百あまり上げて、落ちぬ先にみづから鞠を取りて、棚を二つまうけて、一つの棚には鞠を置き、一つの棚にはやうやうの供祭を色々にすゑて、幣(ぬさ)一本をはさみ立つ。その幣を取りて鞠を拝す。みな座につき、饗をすゑて勧盃(くわんぱい)あり。三献の後、身の能をおのおの奉る。五献にこと終はりて禄((「禄」は底本「録」。諸本により訂正。))を賜ふ。よろしき人には檀紙・薄様、侍の輩(ともがら)には装束を賜ふ。
 +
 +こと果てて、人々出でて後、夜に入りて、そのことを記せんとて、灯台を近く寄せ墨を磨る時、棚に置く所の鞠、前にまろびて落ち来ぬ。「あやしう、やうあり」と思ふほどに、顔人にて、手・足・身は猿にて、三・四歳なる児ほどなる物三人、手づからかいて鞠のくくり目を抱(いだ)きたる。「あさまし」と思ひつつ、「何者ぞ」と((底本「と」なし。諸本により補う。))荒く問へば、「御鞠の性なり」と答ふ。「昔よりこれほどに御鞠好ませ給ふ人、いまだおはしまさず。千日の果てにさまざまの物賜はりて、悦び申さんと思ふ。また、身のありさま、御鞠のことをも、よくよく申さん料(れう)に参りたり。おのおのが名をも知しめすべし。これを御覧ぜよ」とて、眉にかかりたる髪を押し上げたれば、一人が額(ひたひ)には「春陽花」といふ字あり。一人が額に「夏安林」といふ字あり。一人が額に「秋園」といふ字あり。文字、金の色なり。
 +
 +かかる銘文を見て、「いよいよあさまし」と思ひて、また鞠の玉生(たましひ)に問ふやう、「鞠は常になし。その時住する所ありや」。答へていはく、「御鞠の時は、かやうに御鞠に付きて候ふ。御鞠の候はぬ時は、柳しげき林、清き所の木に栖み候ふ哉。御鞠好ませ給ふ代は、国栄え、よき人司なり。福あり、命長く、病なく、後世(ごせ)までよく候ふなり」と言ふ。また問ふやう、「国栄え、官まさり、命長く、病せず、福あらんことはさもやあらん。後世までこそあまりなれ」と言へば、鞠の性、「まことにさも思しぬべきことなれど、人の身には一日の中いくらともなき思ひ、みな罪なり。鞠を好ませ給ふ人は、庭に立たせ給ひぬれば、鞠のことよりほかに思しめすことなければ、自然に後世の縁となり、功徳すすみ候へば、必ず好ませ給ふべきなり。御鞠の時は、おのおのが名を召せば、木伝ひ参りて、宮仕へは((「宮仕へは」は底本「宮はは」。))つかまつり候ふなり。ただし、庭鞠は御好候ふまじ。木離れたる宮は((「宮は」は底本「宮はは」。衍字とみて削除。))術(ずち)なきことに候ふ。今より後は、さるものありと心にかけておはしまさば、御守りとなり参らせて、御鞠をもいよいよよくなし参らせんずるなり」と言ふほどに、その形見えずなりにけり。
 +
 +これを思ひつづくるに、鞠を請ふ((底本「請」に「コフ」と読み仮名。))には、「ヤクワ」と言ひ((鞠を蹴るときの掛け声。以下同じ。))、「アリ」と言ひ、「ヲウ」と言ふ。鞠の性が額の銘名なり。もつともゆゑあることなりとぞ侍るなる。
 +
 +すべてこの大納言の鞠に不思議多かり。ある時、侍の大盤(だいばん)の上に、沓を履きながらのぼりて、小鞠((「小鞠」は底本「あまり」。諸本により訂正。))を蹴られけるに、大盤の上に沓(くつ)の当たる音を人に聞かせざりけり。鞠の音ばかりぞ聞こえける。大盤の上にただ沓を置かんそら音はすべし。まして、鞠を蹴りてその音を聞かせぬこと、不思議のことなり。
 +
 +さてまた侍七・八人を並べゐさせて、端(はし)にゐたるより次第に肩を踏みて、沓を履きながら小鞠を蹴られけり。その中に法師一人ありけるをば、肩よりやがて頭を踏みて通られけり。かくすること一両反(へん)終りて、鞠を取りて、「いかが覚ゆる」と問はれければ、「肩に御沓の当たり候ふ((「候ふ」は底本「に」。諸本により訂正。))とは覚え候はず。鷹を手にすゑたるほどにぞ覚え候ひつる」と、おのおの申しけり。法師はまた、「平笠を着たるほどの心地にて候ひつるぞ」とぞ申しける。
 +
 +また、父の卿((藤原宗通))に具して清水寺にこもられたりけるとき、舞台の高欄を沓((底本「沓」なし。諸本により補う。))履きながら渡りつつ((「渡りつつ」は底本「いたりつつ」。諸本により訂正。))鞠を蹴んと思ふ心つきて、すなはち西より東へ蹴りて渡りけり。また立ち帰り西へ帰られければ、見る者目を驚かし、色を失ひけり。民部卿((藤原宗通))、聞き給ひて、「さることする者やはある」とて、こもりも果てさせで追ひ出だして、一月ばかりは寄せられざりけるとぞ。
 +
 +また、熊野へ詣でて、うしろ舞((底本、「舞」に「拝歟」と傍書。))の後、うしろ鞠を蹴られけるに、西より百度、東より百度、二反(へん)に二百反を上げて落さざりけり。鞠を伏し拝みて、その夜西の御前に候はれける夢に、別当・常住みな見知りたる者ども、このまりを興じて讃めあひたるが、別当、「いかでかくばかりのことに纏頭(てんどう)参らせざらん」とて、梛(なぎ)の葉を一枝奉りけり。夢覚めて見るに、まさしく梛の葉手にありけり。守りにこめてぞ持たれたりける。
 +
 +また父の卿の坊門の懸りの下に、簾(すだれ)かけぬ車のありけるを、片懸りにして鞠の会ありけるに、車のもとにて、たびたび数ある鞠を落しけるに、大納言、「われにおきては落すべからず」とて、立ち代へて待たれけるに、鴟(とび)の尾の方へ鞠落ちけり。まはらば((「まはらば」は底本「まくらは」。諸本により訂正。))一定(いちぢやう)落ちぬべかりければ、轅(ながえ)の方よりくぐり越えざまに鞠をたびたび出だされけり。なほ、「轅の方へもや落つらん」と覚えしかば、鴟の尾の方より走りくぐりて越えて、庭へ出だされけり。人々驚きののしりあふことかぎりなかりけり。
 +
 +民部卿、見証(けんじよう)せられて、「これほどのことになりぬれば、ともかくも言ふべきことにあらず」とぞ言はれける。鞠果てての後、車懸り並べてありなんや」と勧められければ、車宿(くるまやどり)の車三両引き出だして、奥隅(おくすみ)に轅の方を一方になして立てたる三両を、次第にくぐり越えられたりけり。大きに感じて纏頭ありけり。
 +
 +すべてさまざまに不思議にありがたきことのみありける中に、鞠を高く蹴上ぐること、なべての人には三かさまさられたりけり。ある日、鞠を高く上げられたりけるに、辻風の物を吹き上ぐるやうに、「鳶烏付きたり」とののしるほどに、空に上がりて、雲の中に入りて、見えずしてとどまりにけり。不思議なりけることなり。このこと虚言なきよし、誓状に書かれたるとぞ。これもかの口伝に載せたり。
 +
 +父大納言、そのかみ仏師を召して仏を造らせてゐられたりける時、端(はし)の御簾を上げて格子のもとを寄せかけられたりけるに、成通卿いまだ若かりけるに、庭にて鞠を上げられけるが、鞠、格子と簾との中に入りけるに続きて飛び入られけるが、父の前、無骨なりければ、鞠を足に載せて、その板敷を踏まずして、山雀(やまがら)のもどり打つやうに飛び返られたりける、凡夫のしわざにあらざりけり。「わが一期に、このとんばう返り一度なり」とぞ自称せられける。
 +
 +おほかたこの大納言は、かく若くより早態(はやわざ)を好み給ひて、築地の腹、もしは檜垣の腹などをも走られけり。また屋の上に臥して、棟よりころびて、軒にては安座せらるる折もありけり。父の卿、制止せられけれども((「ども」は底本「はも」。諸本により訂正。))かなはず。
 +
 +このことを鳥羽院((鳥羽天皇))聞こし召して御制止ありけれども、なほやまざりければ、御前に召して、「なんぢが早態を好むは、何の詮(せん)かある」と仰せ下されければ、「さしたる詮は候はず。ただし、拝趨(はいすう)の間、わづかに召し具し候ふ僮僕(どうぼく)、一両人には過ぎず候ふ。雨の降り候ふ日、一人は笠をさして、車の簾を持ち上ぐる者の候はぬ時、車の轅を土に置きながら、片手に左右の袴を取り、片手には簾を持ち上げて飛び乗り候へば、さらに装束も損ぜず、奉公第一の用なり」と申されければ、その後は、院、御制止なかりけり。
 +
 +===== 翻刻 =====
 +
 +  侍従大納言成通卿の鞠は凡夫のしわさにはあらさり
 +  けり彼口伝に侍はまりを好てのちかかりの下に立事/s307r
 +
 +  七千日その中に日をかかすとほす事二千日其間に病
 +  ある時は臥なから鞠を脚にあて大雨の時には大極殿に
 +  行てこれをける千日のはての日引つくろひて数三百
 +  あまりあけて落ぬさきにみつから鞠を取て棚を
 +  二まうけて一の棚には鞠を置一の棚にはやうやうの供
 +  祭を色々にすへて幣一本をはさみたつその幣を
 +  取て鞠を拝すみな座につき饗を居て勧盃
 +  あり三献の後身の能を各たてまつる五献に
 +  事終て録を賜よろしき人には檀紙薄様侍の
 +  輩には装束を給事はてて人々出て後夜に入て
 +  其事を記せんとて灯臺をちかくよせ墨をする/s307l
 +
 +http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/307
 +
 +  時棚にをく所の鞠前にまろひて落きぬあやしうや
 +  うありとおもふ程に顔人にて手足身は猿にて三四
 +  歳なる児ほとなる物三人手つからかひて鞠のくく
 +  りめをいたきたるあさましと思つつなに物そあ
 +  らくとへは御鞠の性なりとこたふ昔より是程に御鞠
 +  このませ給人いまたをはしまさす千日のはてにさまさま
 +  の物給はりて悦申さんと思又身のありさま御鞠の
 +  事をも能々申さんれうに参たりおのおのか名をも
 +  知食へしこれを御覧せよとて眉にかかりたる髪を
 +  押あけたれは一人か額には春陽花といふ字あり一人か
 +  ひたいに夏安林といふ字あり一人か額に秋園と/s308r
 +
 +  いふ字あり文字金の色也かかる銘文をみて弥浅猿
 +  と思て又鞠の玉生に問様鞠は常になし其時住
 +  する所ありや答云御鞠の時はか様に御鞠に付て候
 +  御まりの候はぬ時は柳しけき林きよき所の木に栖候
 +  哉御鞠このませ給代は国さかへ好人司なり福あり命
 +  なかく病なく後世まてよく候也といふ又問様国さかへ
 +  官まさり命長く病せす福あらん事はさもやあらん
 +  後世まてこそあまりなれといへは鞠性まことにさもおほ
 +  しぬへき事なれと人の身には一日の中いくらとも
 +  なきおもひみな罪なり鞠を好せ給人は庭にたたせ
 +  給ぬれはまりの事より外に思食事なけれは自然に/s308l
 +
 +http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/308
 +
 +  後世の縁となり功徳すすみ候へは必す好ませ給へきなり
 +  御鞠の時は各か名をめせは木つたひ参て宮ははつか
 +  まつり候也但庭まりは御好候まし木はなれたる宮は
 +  は術なき事に候今より後はさる物ありと心にかけ
 +  てをはしまさは御まもりとなりまいらせて御鞠をも
 +  いよいよよくなしまいらせんする也といふ程に其形見えす
 +  成にけりこれを思つつくるに鞠を請(コフ)にはヤクワといひ
 +  アリと云ヲウと云鞠の性か額の銘名也尤故ある事
 +  なりとそ侍なるすへて此大納言の鞠に不思儀おほ
 +  かり或時侍の大盤の上に沓をはきなからのほりて
 +  あまりをけられけるに大盤のうへに沓のあたるをと/s309r
 +
 +  を人にきかせさりけりまりの音はかりそきこえける大盤
 +  の上に只沓を置んそら音はすへしまして鞠を蹴
 +  て其音をきかせぬ事不思儀の事也さて又侍七
 +  八人をならへ居させて端にゐたるより次第に肩を踏
 +  て沓をはきなから小鞠を被蹴けり其中に法師一人
 +  ありけるをは肩よりやかて頭を踏てとをられけり
 +  かくする事一両反をはりてまりをとりていかかおほ
 +  ゆると問れけれは肩に御沓のあたりにとはおほえ候
 +  はす鷹を手にすへたる程にそおほえ候つると各申
 +  けり法師は又平笠をきたる程の心ちにて候つるそ
 +  とそ申ける又父卿に具して清水寺に籠られ/s309l
 +
 +http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/309
 +
 +  たりけるとき舞臺の高欄をはきなからいたり
 +  つつ鞠をけんとおもふ心つきて則西より東へ蹴て
 +  渡けり又立帰西へかへられけれは見もの目を
 +  おとろかし色を失けり民部卿きき給てさる事す
 +  る物やはあるとて籠もはてさせておひ出して
 +  一月はかりはよせられさりけるとそ又熊野へ詣て
 +  うしろ舞(拝歟)の後うしろ鞠をけられけるに西より百度
 +  東より百度二反に二百反をあけておとささりけり
 +  鞠をふしおかみて其夜西御前に候はれける夢
 +  に別当常住みな見知たる物とも此まりを興
 +  してほめあひたるか別当いかてかくはかりの事に/s310r
 +
 +  纏頭まいらせさらんとてなきの葉を一枝たてま
 +  つりけり夢さめてみるにまさしくなきの葉てに
 +  ありけりまもりに籠てそもたれたりける又父
 +  卿の坊門の懸の下にすたれかけぬ車のありけるを
 +  片懸にして鞠の会ありけるに車のもとにてた
 +  ひたひかすある鞠をおとしけるに大納言我にをきて
 +  はおとすへからすとてたちかへてまたれけるにとひの
 +  をのかたへ鞠落けりまくらは一定落ぬへかりけれは
 +  轅のかたよりくくりこえさまにまりをたひたひ出されけり
 +  猶なかへのかたへもや落らんと覚しかはとひの尾のか
 +  たより走くくりて越て庭へ出されけり人々お/s310l
 +
 +http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/310
 +
 +  とろきののしりあふ事かきりなかりけり民部卿
 +  見証せられてこれ程の事に成ぬれはともかくもい
 +  ふへき事にあらすとそいはれける鞠はてての後車
 +  かかりならへてありなんやとすすめられけれは車宿
 +  の車三両引出してをくすみに轅の方を一方に
 +  なしてたてたる三両を次第にくくり越られたり
 +  けり大に感して纏頭ありけりすへてさまさまに
 +  ふしきにありかたき事のみ有ける中に鞠を高く
 +  蹴あくる事なへての人には三かさまさられたり
 +  けり或日鞠をたかくあけられたりけるに辻風の
 +  物を吹あくる様に鳶烏付たりとののしる程に空に/s311r
 +
 +  あかりて雲の中に入て見えすしてととまりにけり不
 +  思儀なりけることなり此事虚言なきよし誓状に
 +  被書たるとそ是も彼口伝に載たり父大納言そ
 +  のかみ仏師を召て仏を造らせてゐられたりける
 +  時はしの御簾をあけて格子のもとをよせかけられたり
 +  けるに成通卿いまた若かりけるに庭にて鞠をあけ
 +  られけるか鞠格子と簾との中に入けるにつつきて飛
 +  いられけるか父の前無骨也けれは鞠を足にのせて
 +  その板敷をふますして山からのもとりうつやう
 +  に飛かへられたりける凡夫のしはさにあらさりけり
 +  我一期に此とんはうかへり一度なりとそ自称せら/s311l
 +
 +http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/311
 +
 +  れける大かた此大納言はかくわかくよりはやわさを好
 +  給て築地のはらもしは檜垣のはらなとをも走られ
 +  けり又屋の上に臥て棟よりころひて軒にては
 +  安座せらるるおりも有けり父卿制止せられけれは
 +  もかなはす此事を鳥羽院聞食て御制止あり
 +  けれとも猶やまさりけれは御前にめして汝か早態
 +  をこのむは何の詮かあると被仰下けれはさした
 +  る詮は候はす但拝趨の間わつかに召具し候僮僕
 +  一両人には過す候雨のふり候日一人は笠をさして
 +  車の簾をもちあくるものの候はぬ時車の轅を土
 +  にをきなから片手に左右の袴をとり片手には/s312r
 +
 +  すたれをもちあけて飛のり候へは更に装束も損せ
 +  す奉公第一の用也と申されけれは其後は院御
 +  制止なかりけり/s312l
 +
 +http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/312
  
text/chomonju/s_chomonju410.txt · 最終更新: 2020/06/02 18:55 by Satoshi Nakagawa