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古今著聞集 画図第十六
403 後堀河院御位すべらせ給ひて内大臣の冷泉富小路の亭にわたらせ給ひけるに・・・
校訂本文
後堀河院1)、御位すべらせ給ひて、内大臣2)の冷泉富小路の亭にわたらせ給ひけるに、天福元年の春のころ、院・藻壁門院3)、方を分かちて絵づくの貝おほひありけり。大殿4)・摂政殿5)・女院の御方にぞおはしましける。一方にしかるべき女房達四・五人ばかりにて、ひろきには及ばざりけり。
まづ、女院の御方負けさせ給ひて、源氏絵十巻だみたる料紙に書きて、色々の色紙に詞(ことば)は書かれたりけり。能書の聞こえある人々ぞ書かれたる。からの唐櫃(からびつ)になん入れられたりける。御妬(おんねたみ)に院の御方御負ありて、小衣(さごろも)の絵6)八巻、また、さまざまの物語まぜて四季に書きて、一月を一巻に、十二巻にせられたりけり。料紙・詞、源氏の絵のごとし。そのほか、雑絵二十余巻、新しく描き出だして、同じ唐櫃二合に入れられたりけり。合はせて三合なり。また風流の絵など、小衣の絵に入れて加へられたりけるとかや。
御負けわざの日になりて、殿たち、女院の御方に参り給ひて、責め申されければ、古き絵のいまいましげに破れたるを二・三巻、近習の殿上人の小童なりけるして、進ぜらせたりければ、やうやうに嫌ひ申されて、いと興ありけり。
その後、秘蔵の絵どもは出だされけり。両方の御絵ども姫宮へ参らせられけるが、失せさせおはしまして後、四条院7)へ参りたりけり。その後、内侍督8)へぞ参りける。
今はいづくにか侍らん。時代いくほども隔たり侍らねども、御主(ぬし)は多く変らせ給ひぬ。はかなき筆のすさみなれども、絵は残りてこそ侍らめ。あはれなる9)ことなり。
翻刻
後堀川院御位すへらせ給て内大臣の冷泉富少路 亭にわたらせ給けるに天福元年の春の比院藻壁/s303r
門院方をわかちて絵つくの貝おほひありけり大殿 摂政殿女院の御方にそをはしましける一方にしかるへき 女房達四五人はかりにてひろきには及さりけり先 女院の御方負させ給て源氏絵十巻たみたる料 紙に書て色々の色紙に詞はかかれたりけり能書 のきこえある人々そかかれたるからの唐櫃になん入ら れたりける御妬に院御方御負ありて小衣の絵八 巻又さまさまの物語ませて四季に書て一月を一巻に 十二巻にせられたりけり料紙こと葉源氏の絵の ことしそのほか雑絵二十餘巻あたらしくかき出して おなしから櫃二合に入られたりけりあはせて/s303l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/303
三合也又風流の絵なと小衣の絵に入てくわへられ たりけるとかや御負わさの日になりて殿たち女院の 御方に参給て責申されけれはふるき絵のいまいまし けにやふれたるを二三巻近習の殿上人の小童 なりけるして被進たりけれは様々にきらひ申 されていと興ありけり其後秘蔵の絵ともは出さ れけり両方の御絵とも姫宮へまいらせられけるか失 させおはしましてのち四条院へまいりたりけり其後 内侍督へそまいりける今はいつくにか侍らん 時代いくほともへたたり侍らねとも御ぬしはおほくかはら せ給ぬはかなき筆のすさみなれとも絵はのこりてこそ/s304r
侍らめあられなる事なり/s304l
text/chomonju/s_chomonju403.txt · 最終更新: 2020/05/23 22:54 by Satoshi Nakagawa