古今著聞集 相撲強力第十五
377 佐伯氏長初めて相撲の節に召されて越前国より上りける時・・・
校訂本文
佐伯氏長、初めて相撲の節(せち)に召されて、越前国より上(のぼ)りける時、近江国高島郡石橋を過ぎ侍りけるに、清げなる女の、川の水を汲みて、みづからいただきて行く女ありけり。氏長きと見るに、心動きて、ただにうち過ぐべき心地せざりければ、馬より下りて、女の桶とらへたる腕(かひな)のもとへ手をさしやりたりけるに、女うち笑ひて、少しももて離れたる気色もなかりければ、いといとわりなく覚え取りて、腕をひしと握りたりける時、桶をばはづして、氏長が手を脇に挟みてけり。氏長、興ありて思ふほどに、やや久しくなれども、いかにもこの手を放たざりけり。引き抜かんとすれば、いとど強く挟みて、少しも引き放つべくもなければ、力及ばずして、おめおめと女の行くにしたがひて行くに、女、家に入りぬ。
水うち置きて後、手をはづして、うち笑ひて、「さるにても、いかなる人にて、かくはし給へるぞ」といふ気色、ことがら、近(ちか)まさりして、たへがたく覚えけり。「われは越前国の者なり。相撲の節といふことありて、力強き者を国々より召さるる中に入りて参るなり」と語らふを聞きて、女、うなづきて、「危なきことにこそ侍るなれ。王城は広ければ、世にすぐれたらん大力も侍らん。御身も、いたくのかひなしにてはなけれども、さほどの大事に逢ふべき器にはあらず。かく見参しそむるも、しかるべきことなり。かの節の期(ご)、日はるかならば、ここに三七日逗留し給へ。そのほどに、ちと取り飼ひ奉らむ」と言へば、「日数もありけり、苦しからじ」と思ひて、心のとどまるままに、言ふにしたがひてとどまりにけり。
その夜より、こはき飯を多くして食はせけり。女、みづからその飯を握りて食はするに、少しも食ひ割られざりけり。始めの七日は、すべてえ食ひ割らざりけるが、次の七日よりは、やうやう食ひ割られけり。第三七日よりぞ、うるはしうは食ひける。かく三七日が間、よくいたはりやしなひて、「今はとく上り給へ。このうへはさりともとこそ覚ゆれ」と言ひて上せけり。いとめづらかなることなりかし。
件(くだん)の高島の大井子(おほゐこ)は、田など多く持ちたりけり。田に水まかするころ、村人、水を論じて、とかく争ひて、大井子が田には当て付けざりける時、大井子、夜に隠れて、面(おもて)の広さ六・七尺ばかりなる石の、四方なるを持て来たりて、かの水口に置きて、人の田へ行く水をせきて、わが田へ行くやうに横ざまに置きてければ、水思ふさまにせかれて、田うるほひにけり。
その朝、村人ども見て、驚きあさむことかぎりなし。「石を引きのけむとすれば、百人ばかりしてもかなふべからず。させば田みな踏み損ぜられぬべし。いかがせむずる」とて、村人、大井子に降(かう)を乞ひて、「今より後は思し召さむほど、水をばまかせ侍るべし。この石のけ給へ」と言ひければ、「さぞ覚ゆる」とて、また夜に隠れて引きのけてけり。その後は長く水論する1)ことなくて、田焼くることなかりけり。
これぞ大井子が力あらはしそむる始めなりける。件の石、大井子が水口石とて、かの郡(こほり)にいまだ侍り。(私に云く、大井子は何様なる者とも見えず。これを尋ぬべし。)
翻刻
佐伯氏長はしめて相撲の節にめされて越前国 よりのほりける時近江国高嶋郡石橋を過侍ける にきよけなる女の河の水を汲て身つからいたたきて 行女ありけり氏長きと見るに心うこきてたたに うち過へき心ちせさりけれは馬より下て女の桶と らへたるかひなのもとへ手をさしやりたりけるに女う ち咲てすこしももてはなれたるけしきもなかりけれは いといとわりなく覚取てかいなをひしとにきりたり/s274l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/274
ける時桶をははつして氏長か手を脇にはさみて けり氏長興ありておもふほとに良久しくなれ共 いかにもこの手をはなたさりけりひきぬかんとすれは いととつよくはさみてすこしも引はなつへくもな けれは力をよはすしておめおめと女の行にしたかひ てゆくに女家に入ぬ水うちをきてのち手をはつ してうちわらひてさるにてもいかなる人にてかくは したまへるそといふけしき事からちかまさりして たへかたく覚けりわれは越前国の者也相撲の節 といふ事ありて力つよき物を国々よりめさるる 中に入てまいるなりとかたらふを聞て女うなつ/s275r
きてあふなき事にこそ侍なれ王城はひろけれは 世にすくれたらん大力も侍らん御身もいたく のかひなしにてはなけれともさ程の大事に逢へき 器にはあらすかく見参しそむるも可然事也彼節 の期日はるかならはここに三七日逗留し給へ其 程にちととりかひたてまつらむといへは日数も ありけりくるしからしとおもひて心のととまるま まにいふにしたかひてととまりにけりその夜よ りこはき飯をおほくしてくはせけり女身つから其 飯をにきりてくはするにすこしもくひわられさりけり はしめの七日はすへてゑくひわらさりけるか次の/s275l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/275
七日よりはやうやうくひわられけり第三七日よりそ うるはしうはくひけるかく三七日か間よくいたはりや しなひていまはとくのほり給へ此うへはさりともと こそおほゆれといひてのほせけりいとめつらか なる事なりかし件高嶋のおほ井子は田なと おほくもちたりけり田に水まかする比村人水を 論してとかくあらそひておほ井子か田にはあて つけさりける時おほ井子夜にかくれておもての ひろさ六七尺はかりなる石の四方なるをもて来 りて彼水口にをきて人の田へ行水をせきて 我田へゆくやうによこさまにをきてけれは水/s276r
おもふさまにせかれて田うるおひにけり其朝 村人ともみて驚あさむ事かきりなし石を引 のけむとすれは百人はかりしてもかなふへからすさせ は田みなふみそむせられぬへしいかかせむする とて村人おほ井子に降をこいて今より後はお ほしめさむ程水をはまかせ侍へし此石のけ給へ といひけれはさそおほゆるとて又夜にかくれて 引のけてけり其後はなかく水論もる事なくて 田やくる事なかりけりこれそ大井子か力あらはし そむるはしめ成ける件石おほ井こか水口石とて かのこほりにいまた侍り(私云大井子は何様なる/物とも不見可尋之)/s276l