古今著聞集 馬芸第十四
367 承元元年より三ヶ年が間新日吉の小五月会に・・・
校訂本文
承元元年より三ヶ年が間、新日吉(いまひえ)の小五月会(こさつきゑ)に、北面の下臈に随身を合はせられけり。同じき二年の五番の乗尻(のりじり)、左兵衛尉大江高遠、右大将(野宮左大臣公継1))下臈佐伯国文とさだめ下されけり。高遠は馬にもしたたかに乗る上、大男にて強力(がうりき)の聞こえありけり。国文、小男・無力の者なりければ、「疑ひなく取りて捨てられなむず」と、人々も思ひたりけり。高遠も傍輩(はうばい)に会ひて、「高遠が小指と国文が腕(かひな)と、いづれか太き」など言ひけり。
さるほどに、打ちちがひて、高遠前に立ちたりけるを、国文追ひて、やがて高遠を取り落しつ。高遠、落ちざまに国文が馬の水付(みづつき)を取りて、ひざまづきたりけるを、国文、とりもあへず、おのが馬の手縄・面懸(おもがい)を押し外して、平頭2)を打ちてけり。高遠、轡(くつわ)を持ちながら、尻居にまろびぬ。国文が馬、轡もなくて走りけるを、中判官親清、馬場末を守護して候ひけるが3)、その郎等たかまどの九郎、国文が馬の首に抱(いだ)き付きて、桟敷に押し当てて留めてけり。
高遠、むなしき轡を持ちて馬場末にありけるを、国文、下人を召して、「『その轡、よも4)御用候はじ。申給はらん』と、江兵衛殿に申せ」と言ひたりければ、国文が郎等、進み寄りて、そのよしを言ひければ、高遠、「すは」とて投げ捨てたりけり。国文、轡はげて上げて参りたりけり。舎人一人、口に付きて、禄二領賜はりけり。ことに叡感ありけるとぞ。
かやうの時、面懸押し外すことは、江帥5)、記しおかれたるは、「馳せ出だして百の術あり」と侍るなる、その一つなりとぞ。
翻刻
承元々年より三ヶ年かあひた新日吉小五月会に 北面下臈に随身を合せられけり同二年の五番の 乗尻左兵衛尉大江高遠右大将(野宮左大臣/公継)下臈佐伯 国文とさため下されけり高遠は馬にもしたたかに乗 うへ大男にて強力のきこえありけり国文小男無力 の者なりけれはうたかひなく取てすてられなむすと 人々も思たりけり高遠も傍輩にあひて高遠か/s268l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/268
小指と国文かかひなといつれかふときなといひけり さる程に打ちかひて高遠前に立たりけるを国文 追てやかて高遠を取落しつ高遠落さまに国文か 馬のみつつきを取てひさまつきたりけるを国文とり もあへすおのか馬の手縄おもかいをおしはつして平頭を打て けり高遠轡を持なから尻居にまろひぬ国文か馬轡 もなくて走けるを中判官親清馬場末を守護し て候けるその郎等たかまとの九郎国文か馬のくひに いたきつきて桟敷におしあてて留てけり高遠むな しき轡をもちて馬場末にありけるを国文下人を めして其轡をも御用候はし申給はらんと江兵衛殿/s269r
に申せといひたりけれは国文か郎等すすみより てそのよしをいひけれは高遠すはとてなけすてた りけり国文轡はけてあけてまいりたりけり舎 人一人口に付て禄二領給りけりことに叡感あり けるとそかやうの時おもかひをしはつす事は江帥記し をかれたるは馳出して百の術ありと侍なる其一 なりとそ/s269l