古今著聞集 武勇第十二
338 十二年の合戦に貞任は討たれにけり・・・
校訂本文
十二年の合戦1)に貞任2)は討たれにけり。宗任3)は降人になりて来たりければ、優(いう)して使ひけり。嫡男義家朝臣4)のもとに朝夕祗候しけり。
ある日、義家朝臣、宗任一人を具してものへ行きけり。主従ともに狩装束にて、靫(うつぼ)をぞ負へりける。広き野を過ぐるに、狐一疋走りけり。義家、靫より雁股(かりまた)を抜きて、狐をかけけり。「射殺さんは無慚(むざん)なり」と思ひて、左右の耳の間をすりざまに、しりへ至りければ、矢は狐の前の土に立ちにけり。狐その矢に防がれて、倒(たふ)れて、やがて死ににけり。宗任、馬より下りて、狐を引き上げて見るに、「矢も立たぬに死にたる」と言ひければ、義家見て、「臆5)して死にたるなり。殺さじとてこそ射は当てね、今生き返りなむ。その時放つべし」と言ひけり。
すなはち、矢を取て参らせければ、やがて宗任して、靫にささせ給ひけり。他の郎等、これを見て、「危なくもおはするものかな。降人に参りたりとも、もとの意趣は残りたるらむものを。脇をそらして矢をささすること、危なきことなり。思ひ切る害心もあらば、いかが」とぞ、かたぶきける。されども義家はほとんど神に通じたる人なりけり。宗任、いかにも思ひ寄るべくもなかりければ、互ひにかく身をまかせけるにや。
ある夜、また宗任ばかりを具して、女のもとへ行きたりけり。家古くなりて、築地崩れ、門傾(かたぶ)けり。車寄せの妻戸を開けて、その内にて逢ひたりけり。宗任は中門に侍りけり。五月闇(さつきやみ)の空、墨をかけたるごとくにて、雨降り神鳴りて、恐しきことかぎりなし。
「いかにも、今夜、ことあらむずらむ」と思ひたる所に、案のごとく、強盗数十人きほひ来にけり。門の前によそのひてあり。火を灯したる影より見れば、三十人ばかりあり。宗任、「いかがはからふべき」と思ひゐたるに、中門の下より犬一疋、走り出でて吠えけるを、宗任小さき蟇目(ひきめ)を持て射たりけるに、犬、射られて、「けいけい」と鳴きて走るを、やがて同じさまに矢つぎばやに射てけり。
その時、義家朝臣、「誰候ふぞ」と問ひたりければ、「宗任」と名乗りたり。「矢つぎの早さこそ、はしたなけれ」と言はれけり。強盗ども、この言葉を聞きて、「八幡殿のおはしましけるぞ。あなかなし」とて、はふはふ逃げ失せにけるとなむ。
翻刻
言なからましかはあふなからましとそいはれける十 二年の合戦に貞任はうたれにけり宗任は降人に なりて来りけれは優してつかひけり嫡男義家/s247r
朝臣のもとに朝夕祗候しけり或日義家朝臣宗 任一人をくして物へ行けり主従ともに狩装束に てうつほをそおへりけるひろき野を過るに狐一疋 走けり義家うつほよりかりまたをぬきてきつねを かけけりいころさんはむさんなりと思て左右の耳の 間をすりさまにしりへいたりけれは箭は狐の前の 土にたちにけり狐その矢にふせかれてたふれ てやかて死にけり宗任馬より下て狐を引あけ て見るに箭もたたぬに死たるといひけれは義家 見て憶して死たるなりころさしとてこそ射は あてねいまいき帰なむ其時はなつへしといひけり/s247l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/247
則箭を取てまいらせけれはやかて宗任してう つほにささせ給けり他郎等是を見てあふなく もおはする物かな降人にまいりたりとも本の 意趣は残たるらむ物を脇をそらして矢をささする 事あふなき事なりおもひきる害心もあらはい かかとそかたふきけるされとも義家は殆神に 通したる人なりけり宗任いかにも思よるへくも なかりけれはたかひにかく身をまかせけるにや或 夜又宗任はかりをくして女のもとへ行たりけり 家ふるくなりて築地くつれ門かたふけり車寄 の妻戸をあけて其内にて逢たりけり/s248r
宗任は中門に侍けり五月闇の空墨をかけ たる如くにて雨ふり神なりておそろしき 事限なしいかにも今夜事あらむすらむと思 たる所に案のことく強盗数十人きほひ来 にけり門の前によそのひてあり火をともし たる影より見れは三十人はかりあり宗任いかかはから ふへきと思居たるに中門の下より犬一疋走出 てほゑけるを宗任ちいさきひきめをもていた りけるに犬いられてけいけいとなきてはしる をやかておなしさまに矢つきはやに射て けり其時義家朝臣誰候そと問たりけれは/s248l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/248
宗任と名乗たり箭つきのはやさこそはしたな けれといはれけり強盗とも此詞を聞て八幡殿 のおはしましけるそあなかなしとてはうはう逃失に けるとなむ/s249r