古今著聞集 能書第八
290 大納言なる人の若公を清水寺の法師に養はせけり・・・
校訂本文
大納言なる人の若公(わかぎみ)を、清水寺の法師に養はせけり。父も知らざりければ、母の沙汰にて養はせけるに、乳母(めのと)、法師になして、清水寺の寺僧になして、名をば大納言の大別当とぞいひける。こちなかりける名なりかし。件(くだん)の僧、もつてのほかに能書を好みて、心ばかりはたしなみて、「われは」とぞ思ひたりける。
当寺の額は侍従大納言(行成1))の書き給へるなり。年久しくなりて、文字みな消えて、かたばかり見ゆるを、この大納言大別当、「文字のみな消うせぬ時、われ修複せん」と言へば、古老の寺僧等、「さしもやんごとなき人の筆跡をば、いかがたやすくとめ給はん」と、かたぶきあひければ、「いかなる聖跡重宝なりとも、跡形なく消え失せんには、何の益(やく)かあらん。別してわたくしの点をも加へばこそ憚(はばか)りもあらめ、かたばかりもその跡の見ゆる時、もとの文字の上をとめて鮮かになさんは、何の難かあらん。古き仏にも箔(はく)をば押すぞかし」などと言へば、「まことにさもあり」とて、許してけり。その時、額をはなちて、あらたに地粉色して、文字の上(うへ)とめてけり。
かかるほどに、次の日、にはかに雷電おびたたしくして、その額を雨そそきて、みな墨を洗ひて、ただもとのやうになしてけり。不思議のことなり。「いかなる横雨にも、かく額の濡るることはなきに、その上、たとひ雨に濡れんからに、やがて少しももとに違(たが)はず、彩色も文字も消え失すべきことかは。これはただごとにあらず。恐しきわざなり」と言ひてののしるほどに、四・五日を経て、かの大納言大別当夭亡(えうばう)しにけるとなん。
翻刻
大納言なる人の若公を清水寺法師に養せけり 父もしらさりけれは母のさたにてやしなはせけるに乳母 法師になして清水寺の寺僧になして名をは大納言 大別当とそいひけるこちなかりける名なりかし件の 僧以外に能書を好て心はかりはたしなみてわれはとそ 思たりける当寺の額は侍従大納言(行成)の書給へる也 年久く成て文字みなきえてかたはかりみゆるをこの 大納言大別当文字のみな消うせぬときわれ修複せんと いへは古老の寺僧等さしもやんことなき人の筆跡をは/s201l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/201
いかかたやすくとめ給はんとかたふきあひけれはいかなる 聖跡重宝なりともあとかたなく消うせんにはなにの 益かあらん別してわたくしの点をもくはへはこそ憚も あらめかたはかりもその跡のみゆる時もとの文字の上を とめてあさやかになさんはなにの難かあらんふるき仏に もはくをはをすそかしなとといへはまことにさもあり とてゆるしてけり其時額をはなちてあらたに地 粉色して文字のうへとめてけりかかる程につきの日俄 に雷電おひたたしくして其額を雨そそきて みなすみを洗てたたもとの様になしてけり不思儀の事也 いかなるよこ雨にもかく額のぬるる事はなきにそのうへ/s202r
たとひ雨にぬれんからにやかてすこしももとにたかはす 彩色も文字も消うすへき事かはこれはたた事に あらすおそろしきわさなりといひてののしるほとに 四五日をへてかの大納言大別当夭亡しにけるとなん/s202l