text:chomonju:s_chomonju286
古今著聞集 能書第八
286 嵯峨天皇と弘法大師と常に御手跡を争はせ給ひけり・・・
校訂本文
嵯峨天皇と弘法大師1)と、常に御手跡を争はせ給ひけり。
ある時、御手本をあまた取り出ださせ給ひて、大師に見せ参らせられけり。その中に殊勝の一巻ありけるを、天皇仰せごとありけるは、「これは唐人の手跡なり。その名を知らず。いかにも、かくは学びがたし。めでたき重宝なり」と、しきりに御秘蔵ありけるを、大師、よくよく言はせ参らせて後、「これは空海がつかうまつりて候ふものを」と奏せさせ給ひたりければ、天皇、さらに御信用なし。
おほきに御不審ありて、「いかでかさることあらん。当時書かるるやうに、はなはだ異するなり。階(はし)立てても及ぶべからず」と勅定ありければ、大師、「御不審まことにその謂はれ候ふ。軸をはなちて合はせ目を叡覧候ふべし」と申させ給ひければ、すなはちはなちて御覧ずるに、「その年その日、青龍寺に於てこれを書す、沙門空海」と記せられたり。
天皇、この時御信仰(しんがう)ありて、「まことにわれには勝られたりけり。それにとりて、いかにかく当時の勢ひにはふつと変はりたるぞ」と尋ね仰せられければ、「そのことは国によりて書きかへて候ふなり。唐土(もろこし)は大国なれば、所に相応して勢ひかくのごとし。日本は小国なれば、それにしたがひて当時のやうをつかうまつり候ふなり」と2)申させ給ひけれな、天皇、おほきに恥ぢさせ給ひて、その後は御手跡争ひなかりけり。
翻刻
嵯峨天皇と弘法大師とつねに御手跡をあらそはせ 給けり或時御手本をあまた取出させ給て大師に見せ まいらせられけり其中に殊勝の一巻ありけるを天皇仰 ことありけるはこれは唐人の手跡也其名をしらすいかにも/s198l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/198
かくはまなひかたしめてたき重宝なりと頻に御秘蔵 ありけるを大師よくよくいはせまいらせて後是は空海か つかうまつりて候物をと奏せさせ給たりけれは天皇 更に御信用なし大に御不審ありていかてかさ る事あらん当時かかるる様にはなはた異するなり はしたててもをよふへからすと勅定ありけれは大師 御不審まことにその謂候軸をはなちてあはせ目を 叡覧候へしと申させ給けれは則はなちて御らんする にそのとし其日青龍寺にをいて書之沙門空海と 記せられたり天皇此時御信仰ありて誠に我にはまさ られたりけりそれにとりていかにかく当時のいきをひには/s199r
ふつとかはりたるそと尋仰られけれは其事は国に よりて書かへて候也唐土は大国なれは所に相応し ていきをひかくのことし日本は小国なれはそれにし たかひて当時のやうをつかうまつり候也申させ給けれ は天皇おほきに恥させ給てそののちは御手跡あらそひなかりけり/s199l
text/chomonju/s_chomonju286.txt · 最終更新: 2020/04/09 12:35 by Satoshi Nakagawa