text:chomonju:s_chomonju257
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text:chomonju:s_chomonju257 [2020/04/01 15:20] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:chomonju:s_chomonju257 [2020/04/01 15:27] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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延章、楽屋に入りて、元正を恨みて言ひける、「年ごろ貴説を承るに、愚説にたがはず。それに、このたびは異説を吹き給ひて、拍子を落さしむること、生きながら首を切らるるなり」と言ひければ、元正いはく、「またくあやまたざることなり。申さるるがごとく、伝ふる所、まことに変はらず。されども、面笛(おもぶえ)正清なり。その休息のほど、笛を元正にゆづる。吹出(ふきだし)にはかの人の説を吹かずして、あに他説を用ゐんや。太鼓の撥(ばち)を取らるるばかりにては、何説をも確かにこそは存知し給はめ」とぞ言ひける。なだらかにめでたくぞ侍りける。 | 延章、楽屋に入りて、元正を恨みて言ひける、「年ごろ貴説を承るに、愚説にたがはず。それに、このたびは異説を吹き給ひて、拍子を落さしむること、生きながら首を切らるるなり」と言ひければ、元正いはく、「またくあやまたざることなり。申さるるがごとく、伝ふる所、まことに変はらず。されども、面笛(おもぶえ)正清なり。その休息のほど、笛を元正にゆづる。吹出(ふきだし)にはかの人の説を吹かずして、あに他説を用ゐんや。太鼓の撥(ばち)を取らるるばかりにては、何説をも確かにこそは存知し給はめ」とぞ言ひける。なだらかにめでたくぞ侍りける。 | ||
- | これ笛吹を背きて、われかしこにもてなすがいたす所なり。大鼓の撥を取る日は、笛吹とよく言ひ合はせて存知すべきことなり。これ古人の伝ふる所なり。 | + | これ笛吹を背きて、われかしこにもてなすがいたす所なり。太鼓の撥を取る日は、笛吹とよく言ひ合はせて存知すべきことなり。これ古人の伝ふる所なり。 |
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text/chomonju/s_chomonju257.1585722051.txt.gz · 最終更新: 2020/04/01 15:20 by Satoshi Nakagawa