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text:chomonju:s_chomonju251

古今著聞集 管絃歌舞第七

251 志賀僧正明尊もとより篳篥を憎む人なりけり・・・

校訂本文

志賀僧正(明尊)、もとより篳篥(ひちりき)を憎む人なりけり。ある時、明月の夜、湖上に三船を浮べて管絃・和歌・頌物1)の人を乗せて宴をしけるに、伶人等その舟に乗らんとする時いはく、「この僧正は篳篥憎み給ふ人なり。しかあれば、用枝2)は乗るべからず。ことにがりなんず」とて乗せざりければ、用枝、「さらば、打物をもこそつかまつらめ」とて、しひて乗りてけり。

やうやう深更に及ぶほどに、用枝、ひそかに篳篥を抜き出だして、湖水に浸してうるほしけり。人々見て、「篳篥か」と問ひければ、「さにはあらず。手洗ふなり」と答へて、何となき体(てい)にてゐたり。

しばらくありて、つひに音取(ねと)り出だしたりければ、かたへの楽人ども、「さればこそ言ひつれ。よしなき者を乗せて興さめなんず」と、色を失なひて歎きあへるほどに、その曲めでたく妙(たへ)にしてしみたり。聞く人、みな涙おちぬ。

年ごろこれをいとはるる僧正、人よりことに泣きて言はれけるは、「正教に、『篳篥は迦陵頻(かりようびん)の声を学ぶ』と言へることあり。このことを3)信ぜざりける、口惜しきことなり。今こそ思ひ知りぬれ。今夜の纏頭(てんとう)は他人に及ぶべからず。用枝一人にあるべし」とぞ言はれける。

この事を後々まて言ひ出だして泣かれけるとぞ。

翻刻

志賀僧正明尊本より篳篥をにくむ人なりけり或時明
月の夜湖上に三船をうかへて管絃和哥頌の人をの
せて宴をしけるに伶人等その舟にのらんとする時いはく此
僧正は篳篥にくみ給人也しかあれは用枝はのるへからす事
にかりなんすとてのせさりけれは用枝さらは打物をも
こそ仕らめとてしゐてのりてけりやうやう深更におよふ
ほとに用枝ひそかに篳篥をぬきいたして湖水にひ
たしてうるほしけり人々見て篳篥かと問けれはさには
あらす手あらふなりとこたへてなにとなきていにて/s166l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/166

居たりしはらくありてつゐにねとり出したりけれはかたへ
の楽人ともされはこそいひつれよしなき物をのせて興
さめなんすと色をうしなひてなけきあへる程に其曲め
てたくたへにしてしみたり聞人みな涙おちぬとし比
これをいとはるる僧正人よりことになきていはれけるは正
教に篳篥は迦陵頻の声を学といへる事あり此哥を
信せさりける口惜き事也いまこそ思しりぬれ今夜
の纏頭は他人に及へからす用枝一人にあるへしとそいはれ
けるこの事を後々まていひ出してなかれけるとそ/s167r

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/167

1)
「頌物」は底本「頌」なし。諸本により補う。
2)
和邇部氏とみられる。
3)
「ことを」は底本「哥を」。諸本「言」とあるのに従い訂正。
text/chomonju/s_chomonju251.txt · 最終更新: 2020/03/29 17:43 by Satoshi Nakagawa