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古今著聞集 管絃歌舞第七
245 殿上の其駒は知りたる人少なし・・・
校訂本文
殿上の其駒(そのこま)は知りたる人少なし。
能信大納言1)、法成寺の修正(しゆしやう)2)に南門を入りて参りて、退出の時、西門へ回されけるほど、立ちやすらひける間に、かの曲を唱へられたりけり。大宮右府(俊家)3)の頭の中将にておはしけるが、築垣(ついがき)にそひて、ひそかに立ち聞き給ひけるを、能信卿見付けにけり。中将、驚き騒がれけるを、能信卿、その志を感じて、扇を拍子に打ちて、この曲を授けられにけり。その後かの家に伝はれり。
堀河院4)、中御門右大臣5)に習はせ給ひける時、申されけるは、「一説は、ことに思し召す人あらば教へさせ給ひて、今一説は、教へ給ふまじくは、授け参らすべき」よし、奏し給ひければ、「申す旨(むね)にたがふべからず」と勅定(ちよくぢやう)ありて、両説ながら伝へさせ給ひてけり。
嘉承二年(堀河)崩御の後、右府6)、人々に、「誰(たれ)か、かの曲習ひ給はりたる」と尋ねられけれども、習ひ参らせたる人なかりけり。「劣れる説をもなほ秘せさせ給ひけるにこそ」とて、悲涙を流されけり。
中御門右大臣、子息大納言宗家卿7)、外孫同じく宗能卿8)に授けられたりけり。六波羅の太政入道9)、厳島の内侍に伝ふべきよし、宗家卿に示されければ、歎きながら、世に従ふ習ひ、力及ばで、劣説を伝へられにけり。ただし、他人に教ふべからざるよしを、まづ起請をぞ書かせられける。多好方これを聞きて、かの内侍に問ひければ、知らざるよしをぞ答へける。
この曲は、宗家卿、冷泉内府10)にも教へられたりけるとかや。
翻刻
とそ殿上の其駒は知たる人すくなし能信大納言法成寺の 修正に南門を入てまいりて退出の時西門へまはされける程立 やすらひけるあひたに彼曲を唱られたりけり大宮右府(俊家) の頭の中将にておはしけるかついかきにそひてひそかにた ちきき給けるを能信卿見付にけり中将おとろきさは/s163l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/163
かれけるを能信卿その志を感して扇を拍子に打て 此曲を授られにけり其後彼家につたはれり堀川院中 御門右大臣にならはせ給ける時申されけるは一説はことに おほしめす人あらはおしへさせ給て今一説はおしへたまふ ましくはさつけまいらすへきよし奏し給けれは申旨に たかふへからすと勅定ありて両説なからつたへさせ給てけり (堀川)嘉承二年崩御の後右府人々にたれか彼曲ならひ給 はりたると尋られけれとも習まいらせたる人なかりけり おとれる説をも猶秘せさせ給けるにこそとて悲涙をな かされけり中御門右大臣子息大納言宗家卿外孫同 宗能卿に授られたりけり六波羅の太政入道厳嶋の/s164r
内侍につたふへきよし宗家卿に示されけれは歎なから 世にしたかふならひちからおよはて劣説を伝られにけり 但他人におしふへからさるよしをまつ起請をそかかせられ ける多好方これを聞て彼内侍にとひけれはしらさ るよしをそこたへける此曲は宗家卿冷泉内府にもおしへ られたりけるとかや/s164l
text/chomonju/s_chomonju245.txt · 最終更新: 2020/03/28 18:16 by Satoshi Nakagawa