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text:chomonju:s_chomonju198 [2020/03/14 17:44] – 作成 Satoshi Nakagawatext:chomonju:s_chomonju198 [2020/03/14 17:46] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 と言へりける、時にとりてやさしかりけり。 と言へりける、時にとりてやさしかりけり。
  
-中院の僧正((定遍))、見物し給ひけるが、これを聞きて、「いみじ」と思ひしめて、同じ入道右府((源雅定))に対面し給ひけるついでに、このことを語り出で給ひて、「やさしくこそ覚え侍りしか」とありければ、入道殿、「歌は覚えさせ給はじ」とのたまひけるを、「そればかりはなどか」とて、「少将公がもとへ宗順阿闍梨つかはし侍りし、『昨日見しにこそ袖は濡れしか』と詠めるに、少将公、『荒涼(くわうりやう)にこそ濡れけれ』とぞ返して侍りし」と語り給ひけるに、たへがたくおかしく思しけれど、さばかりの生仏のねんごろに言い出で給ひけることなれば、忍び給ひけるなん、ずちなくおはしけり。+中院の僧正((定遍))、見物し給ひけるが、これを聞きて、「いみじ」と思ひしめて、同じ入道右府((源雅定))に対面し給ひけるついでに、このことを語り出で給ひて、「やさしくこそ覚え侍りしか」とありければ、入道殿、「歌は覚えさせ給はじ」とのたまひけるを、「そればかりはなどか」とて、「少将公がもとへ宗順阿闍梨つかはし侍りし、『昨日見しにこそ袖は濡れしか』と詠めるに、少将公、『荒涼(くわうりやう)にこそ濡れけれ』とぞ返して侍りし」と語り給ひけるに、たへがたくおかしく思しけれど、さばかりの生仏(いきぼとけ)のねんごろに言い出で給ひけることなれば、忍び給ひけるなん、ずちなくおはしけり。
  
 和歌の道は顕密知法((「顕密」は底本「顕蜜」。諸本により訂正。))にもよらざりけりと、なかなかいと尊し。昔の遍昭、今の覚忠・慈円などには似給はざりけるにや。 和歌の道は顕密知法((「顕密」は底本「顕蜜」。諸本により訂正。))にもよらざりけりと、なかなかいと尊し。昔の遍昭、今の覚忠・慈円などには似給はざりけるにや。
text/chomonju/s_chomonju198.1584175496.txt.gz · 最終更新: 2020/03/14 17:44 by Satoshi Nakagawa